第15話 物足りない学校で


 久遠の家にお邪魔した、次の日のことだった。


 昼休みの校舎裏に、ひとりでいる。

 教室で電話するわけにはいかず、人通りの少ない場所で通話していた。

 ディスプレイには、久遠 なぎさの文字が浮かぶ。

 いつもよりも、すこし低い声で久遠が話した。


「えっ、風邪?」


『そうなのよ。羽純くんは、だいじょうぶ?』


「俺は大丈夫。昨日、スマホ探し回ってたときに、冷えたのかな」


『……恥ずかしいわ。ところで、授業、どのくらい進んだ?』


 ときおり、「こほっ」と咳が聞こえてくる。それでも、授業の心配をするのが、まじめというか……。


「ぼちぼち。後でプリントとノートの写真を撮って送るよ」


『ありがとう』


 また、咳の音が入った。


「あんまり、大丈夫じゃなさそうだな」


 しばらくの沈黙が返ってきた。


『そうね。身体の倦怠感よりも、すこし寂しいって感じてる』


「わかる。体がだるいのに、ひとりぼっちで寝てるしかないって寂しいよな」


 帰ってきた返事は「こほっ、こほっ」と、乾いた咳だった。

 心配になった。久遠の一人暮らしは、始めたばかりって言っていた。風邪をひくのは、はじめてなんだろう。


「飲み物とか、食べ物あるか? よかったら、学校帰りに寄れるけど」


――ちがう


 そうじゃないだろ、俺。

 言い直そう。


「寄らせてくれ。おせっかいだが、できることあればしたいんだ」


 久遠は、なにも言わない。静かに、時間だけが流れていた。


 困らせちゃったかな。

 

 考えてみると、久遠は、弱ってるところを他人に見られるのを嫌いそうだ。

 余計なこと、言っちゃったかな。


『桃』


 言葉が、こぼれ落ちてきた。


 もも?

 果物の、桃?

 いきなり出てきた単語に、ぽかんとしてしまった。


『桃缶、食べたいわ。あと、スポーツドリンク。……お願いしても、いい?』


 控えめな声が、聞いてくる。


「もちろんだ。またあとで、連絡する」


『ありがとう。お昼休み、短くしたわね』


「気にすんな」


 久遠の笑い声がした。

 なんだか胸のすく思いだった。


 放課後の予定が決まると、授業が流れるように過ぎ去った。

 帰りのホームルームが終わり、学校からの帰り道。

 教室のなかで久遠に、チャットを打った。


『桃缶とスポドリだけでいいか?』


 スーパーに向かって歩いているときに、スマホが震えた。


『うん。そのふたつ、お願いします』


 白い猫が、お辞儀するスタンプと一緒に返事がくる。


『了解っと』


 スーパーの缶詰コーナーと、飲料水コーナーを回る。レジに行くまでに、栄養ドリンクが目についた。ビタミンの多そうなエネルギーゼリーを、ふたつ手に取った。

 手早く会計を済ませると、急ぐ必要もないのに走ってしまう。

 頼られるって、うれしい。


「へへっ」


 尻尾をぶんぶん、振り回す。

 道を歩いていると、遠くに大きなマンションが見えた。

 もう少しだ。

 なんだか緊張してくる。

 久遠、喜んでくれるかな。でも、元気ないだろうから、顔を見るのも悪いな。


――待てよ、顔を合わせるぞ?


 姉ちゃんが友達に会うとき、めんどうくさがりながら化粧しているのを思い出す。

 もしかして、風邪で休んでいる久遠に、化粧させてしまったかも。

 建物のエントランスに入る直前に、反省しながら歩く。手に持っているビニール袋が、すこし重く感じた。

 緊張しながら、ひとつずつボタンを押して、呼び出しボタンを押す。


『はい。羽純くん? ありがとう』


「押しかけて悪いな」


『ううん。開けるわね』


 自動扉が開いて、奥に進める。

 エレベーターに乗り込み、ひとつずつ増えていく数字を見上げていた。静かなフロアの廊下をゆっくり歩く。久遠の部屋前で、深呼吸をした。


「すーっ、はあ。よしっ」


 空いている左手で、扉を二回ノックする。


 ドアノブがゆっくりと下がり、控えめに扉が開く。

 明かりが漏れる室内から、久遠が顔を見せた。

 白いマスクをつけて、いつもより覇気のない表情だった。なにより、目が重そう。


「これだけ、渡しとく。思ったよりも、体調悪そうだな。久遠がそんなのだと、調子狂う」


 スーパーのビニル袋を渡した。両手で袋を持ち、玄関の側へ置いていた。


「ありがとう。あら、ゼリーまで。だめね、わたし。羽純くんには、助けられてばかり。また、好意に甘える形になっちゃったわ」


「俺もよく、友達に助けられてる。そのお返し? お裾分けだ」


 財布をだそうとする久遠を止めた。


「元気になったらにしよう。学校で待ってるから」


「なにからなにまで、ありがとう。そうね、ゆっくり休ませてもらうわ。玄関先で、ごめんなさい。ほら、うつすと悪いから」


 久遠は咳が出そうになったらしく、慌てて扉をしめながら、家の中を向いた。

 咳の音が響いていた。 

 辛そうで、なにかしてやりたいと思う。


「うつせば治るっていうなら、俺にうつしちゃえ」


「バカ言わないで。もし、そうなったら、ずっと看病するわよ」


「うつして頂けるか?」


 マジで言ったら、久遠が目を細めた。

 ああ、たのしいな。

 でも、長居しちゃ悪い。


「今度、またゆっくり話せるとうれしい」


「ええ、そうね。わたしから、また声をかけるわ」


 マスクで顔は見えないけど、優しい目が見えている。


「おやすみ、久遠。おだいじに。学校で待ってる」


「ありがとう、羽純くん。また、学校でね」

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