金が全ての問題を解決してくれる
10月27日(火) 晴
今日で終わると思ったんだけどなあ。「借金まみれ大作戦」は今もまだ継続中。それもこれもあいつの諦めの悪さが原因なんだよなあ。
業務終了後、割引価格で夕食を済ませて外に出るとあいつがいた。一応、驚いた顔をしてやった。
「あんた、どうしてここにいるのよ」
「昨日、ラブラブ同居人に教えてもらったんだ。お姉さん、借金があるの?」
いきなりあたしの借金話かよ。ここにはファミレスの客もいるんだぞ。少しは周りの状況を考えて物を言えよ。
「こんな所でプライベートな話題はやめてくれない。場所を変えましょう」
「う、うん」
あたしはあいつを連れていつもの雑居ビル2階の喫茶店へ入った。あいつは落ち着かない様子で店内を見回している。きっとこんな店に入るのは初めてなんだろうな。
「ここって高いんじゃないの。ボク、あんまりお金を持ってないから水だけでいいです」
まったく、どこまでシミったれた野郎なんだ。こっちまで貧乏気分になっちまうわ。
「お金はあたしが出してあげるわ。マスター、コーヒーふたつね」
「あ、ありがとう」
満面の笑顔。まるで幼稚園児だな。
「それであらためて訊くけど、お姉さん、借金があるの?」
よし、本題突入だ。思いっ切りちゃらんぽらんな女を演じてやる。
「そうなのおー。あたしって子供の頃から金遣いが荒くてえ、お小遣いはその日のうちに、お年玉はその週のうちに全部使っちゃうのよねえ。欲しい物は何でも手に入れないと気が済まないって感じ。だから貯金なんてしたことないの。社会人になってからも給料はすぐ消滅。足りなければ借金。返せなければまた借金して返す。そしたらあれよあれよという間に借金は雪だるま。もう今は首が回らない状態。そんな時に出会ったのがあのイチャラブ同居人。彼の給料のおかげであたしは何とか生きていられるようなものなの。あ、もちろんあたしのファミレスの給料は借金返済には使ってないわよ。あたしの稼いだお金は全てあたしの好きなことに使ってるの。人生、楽しんだもん勝ちよ。どうせ死んじゃえば借金なんてチャラなんだから。ね、あんたもそう思うでしょ」
「え、あ、う、そんな、ほへ?」
おい、ショックなのはわかるが日本語喋れよ。それとも衝撃で脳みそが蒸発しちまったのか。
「えっと、家族に相談とかは?」
「するわけないでしょ。したって助けてなんかくれないし」
「弁護士に相談とかは?」
「別に闇金から借りてるわけじゃないし。法律に触れてないんだから弁護士だってどうしようもないのよ」
「自己破産とか?」
「そんなみっともないことできるわけないでしょう」
「はああ~」
頭を抱えてうつむいてしまった。よし、これはいける。こんなアホ女と一緒になりたいと思う男なんか存在するはずがない。やはり金の力は偉大だ。どんな問題も解決してくれる。あたしは勝利を確信した。
なのに世の中思いどおりにはいかないもの。あいつのしぶとさは筋金入りだった。
「借金ってどれくらいあるの?」
「えっ?」
完全に想定外の質問だった。そこまで考えていなかったのですぐには答えられない。いくらぐらいが妥当だろうか、不審に思われないけれど返済が厳しいアラサー女の借金の額、う~ん……。
「これくらい?」
あいつが人差し指を立てた。100万か。ちょっと少なすぎるな。あたしは首を横に振った。
「じゃあこれくらい?」
さらに中指を立てた。200万。妥当な金額のような気もするけど、もう少し多くてもいいか。あたしは首を横に振った。
「もしかして、こんなにあるの?」
さらに薬指追加。300万。まあこんなもんだろ。あたしはうなずいた。あいつはため息をつくと沈痛な面持ちでつぶやいた。
「30万か。大金だな」
「おい」
思わず声が出てしまった。30万が大金だとお。こいつの金銭感覚どうなってんだ。そんなもんマグロ漁船にひと月乗れば稼げるだろ。いい加減にしろよ。
「決めた。その借金、ボクが肩代わりしてあげる」
「ええっ!」
天地がひっくり返るくらい驚いた。兄貴、全然話が違うじゃないか。
「で、でも、あんた月に1万しか稼げないんでしょ。30万なんて大金どうするのよ」
「母ちゃんに頼んで仕送りしてもらう。それで返せばいいよ」
あちゃー、その手があったか。万事休すだ。今度はこちらが頭を抱える番だ。どうしよう、兄にメールを打って相談しようか。あたしはスマホを取り出した。その時、誰かがいきなりあたしたちのテーブルを叩いた。
「この愚か者!」
兄だった。全然気づかなかった。兄は仕事が終わると急いでこの店に駆け付けて作戦の進捗状況を見守っていてくれたのだ。やはり頼りになるな、兄貴、感謝!
「あ、おまえはラブラブ同居人」
「そうだ。オレはイチャラブ同居人だ。君たちの話は聞かせてもらった。はっきり言って少し見直したのだ。どれほど相手に好意を抱いていようとも借金の肩代わりなど簡単にできるものではない。それなのに君は申し出た。おっ、見どころがあるじゃないかと思ったんだ。それなの何だ。自分で稼ぐのではなく母ちゃんに仕送りしてもらうだと。恥を知れ!」
いや、見直したらダメだろ。あたしたちの目的はこいつを完膚無きまでに叩きのめすことなんだから。ちょっと不安になってきたぞ。
「で、でもボクには30万なんて大金無理だよ」
「ヤル前から決め付けてどうする。好きな女を得るためなら自分の限界まで力を尽くして頑張るべきではないのか」
おいおい、何だか兄の様子がおかしいぞ。こいつを応援しているみたいになってるじゃねえか。
「そうは言っても、自信ないし、頭悪いし、ピーマン嫌いだし」
ピーマンは関係ないだろ。ああそうか。こいつの頭の中はピーマンみたいに空っぽだから嫌いなのか。
「ああ、じれったい。わかった。ならばオレと勝負しよう」
「勝負?」
「そうだ。もし君が1週間以内に自力で30万を稼ぎ出せたら、オレは潔く身を引く。彼女は君のものだ。だがもし君が30万を稼ぎ出せなかったらその時は君が彼女を諦めるのだ。アパートには2度と近づかない。ファミレスにも近寄らない。通勤途中の彼女に話し掛けたりもしない。彼女とは完全に縁を切ってもらう。どうだ」
「オ、オニイ、そんな約束をしても大丈夫なのか」
これはさすがにマズイと思った。30万だぞ。ちょっと頑張ればすぐ稼げそうな額じゃないか。
「大丈夫だ。オレを信じろ」
本当かな。まあ兄の分析力は人並み外れているから絶対に稼げないと見越しての申し出なんだろうけど。
「ホントなの。ボクが1週間で30万稼げたら、本当にラブラブ同居人は身を引いてくれるの?」
「男に二言はない。約束する。君と彼女の新しい門出を盛大な拍手で祝ってやろうではないか」
「う~ん、どうしよう」
悩んでいる。あたしも悩む。こいつに30万稼ぎ出せる能力があるとはとても思えないが万が一ってこともあるからな。下手すりゃあたしはこいつの彼女にならなきゃいけなくなるんだぞ。
「ねえ、1か月で30万じゃダメ?」
交渉か。ただのバカだと思っていたが多少は知恵が回るみたいだ。
「1か月では長すぎる。どんなに延ばしても10日がいいところだ」
「じゃあ3週間」
「2週間だな。それ以上は待てん」
ハラハラしながらふたりのやりとりを見守る。兄貴、どうしてそこまで譲歩するんだよ。その自信はどこから出て来るんだ。本当に大丈夫なんだろうな。
「14日で30万かあ……うん、わかった。その勝負、受けて立つよ。でも」
ここであいつがにんまりと笑った。また良からぬことを考えているな。
「でも、何だ?」
「勝負を受けるからお姉さんのメールアドレスを教えてくれないかな」
何だよ、その理屈。勝負とアドレスは関係ないだろ。調子に乗るのもいい加減にしろよ、とあたしは思ったのだが兄はそうは思わなかったようだ。
「了解した。後で彼女から君にメールを打たせよう。君のアドレスを教えてくれ」
「オ、オニイ!」
さすがに驚かずにはいられない。あたしは兄の手を引っ張って店の奥へ連れて行った。
「どういうつもりだよ兄貴。どうしてあんなヤツにあたしの個人情報を教えなきゃいけないんだよ」
「おまえの個人情報はすでにかなりの量が漏れている。住所まで知られているんだからな。今更メールアドレスを教えたところでどうということもない」
「で、でも」
「考えてもみろ。どうしてあいつはファミレスをのぞいたりピンポンダッシュをしたりすると思う。おまえと何らかの形で繋がっていたいからだ。メールアドレスを知ればその繋がりができる。そうなればそれらの行為は一切やらなくなるはずだ」
そうか。現実の世界でまとわりつかれるよりネットの世界でまとわりつかれたほうがまだマシってことか。少なくとも管理人さんや店のみんなへの迷惑はなくなるからな。
「わかった。ならあいつ専用に適当なアドレスを取得して送信しておく」
「うむ。よろしく頼む」
話がまとまったのでテーブルに戻る。あいつはスマホで為替のチャートを眺めていた。かなりヤル気になっているようだ。
「彼女は同意してくれた。これで君は勝負を正式に受理したと判断していいのだな」
「うん」
「ならば善は急げだ。10月27日19時35分をもって彼女争奪30万円大勝負を開始する。君は2週間後の11月10日19時35分までに30万円を自力で稼ぎ出すこと。それができなければ彼女を諦める。できればオレが彼女を諦める。それでいいな」
「うん」
「正式な誓約書は後日発行する。印鑑と通帳と身分証明書を用意しておいてくれたまえ。日時は追って連絡する。以上だ」
「はーい。さあ、今日から頑張るぞ。あ、ボクのメールアドレスは知っているよね。しゃぶしゃぶデートの時に渡したメモに書いてあったでしょ」
あんなもの即行でシュレッダーにかけてやったわ。パンツの色とか書いてあったしな。
「悪いけどなくしちゃったの。また教えてくれない」
「えっそうなの。ならこれ。ボクのメールアドレス。お姉さん、写真とかも送っていいからね。R18でも全然OKだよ、えへえへ」
「あんたは文字だけにしてよ。画像添付のメールは即削除だから」
「残念。じゃあね」
あいつは意気揚々と帰って行った。あたしは椅子に腰かけて冷めたコーヒーを飲んだ。冷めても美味しかった。
「心配するな。あいつに30万を稼ぎ出せるほどの能力はない。ズルして誰かから援助してもらっても、業者が発行する取引記録があればすぐ見破れる。大船に乗ったつもりで2週間を過ごすがよい。はっはっは」
兄は楽天家だなあ。ホントにこれで解決してくれればいいんだけどね。まあこうなってしまった以上あれこれ考えても仕方がないし、今のあたしにできることと言えばお金の神様に祈るくらいね。
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