言葉の深読みはやめてくれない
10月19日(月) 曇後雨
わははは。笑いが止まらん。あいつ完全に玉砕したわ。今日はランチの時間に来たんだけど店内に入ったときから暗い暗い。「いらっしゃいませ」って言っても、うつむいたままあたしの顔を見ようともしないの。で、言ってやった。
「あらら、どうかされましたか。物凄く元気がありませんね。もしかしたら嫌なことでもあったのでしょうか。気になっている女子が別の男子とイチャラブしている現場を見てしまったとか」
あいつ、ビクッと体を震わせると、蚊の鳴くような声で、
「最近、儲けが少なくて」
だって。
ははは。儲けが少ないのは最近じゃなくてずっとだろ。月1万で威張ってるんじゃねえよ。
その後も完全に心ここにあらず。ランチに付いているスープバーはいつもなら最低3杯はお代わりするのに今日は1杯も飲まずに帰って行った。やっぱり男女が一緒に住んでいるって事実は大きいよね。結婚しているのとほとんど同じなんだから。作戦を考案してくれた兄に感謝だわ。か~、チューハイがうまい。今晩はぐっすり眠れそう。
10月20日(火) 曇後晴
もう最高。今日はあいつ来なかった。予約が取れなかったのか取らなかったのか、どっちかわからないけど、顔を見なくて済むだけでこんなに幸せな気分になれるんだね。神様、ありがとう。
「ねえ、あなたのお兄さん、今度はいつ店に来るの」
その代わりと言っては何だけど店長が話し掛けてきた。兄をずいぶん気に入っているらしい。
「もう来ないと思います。ファミレスはあまり好きではないようなので」
「あらそうなの。残念。ところでお兄さんって独身よね。恋人はいるの? もちろん女のよ」
「いないと思います。兄は昔から全然もてませんから」
「それはつまり女に興味がないってことね」
「たぶん」
「つまり男に興味があるってことね」
「違います!」
うは~、店長もかなりヤバいわ。兄には気をつけるように言っておこう。
「違います! なんて簡単に断言するものじゃないわよ。あなたには隠しているだけかもしれないでしょう。はいこれあたしの名刺。お店に来たら大サービスしちゃうわよって伝えてね」
店長はあたしに名刺を渡して去って行った。名刺の表は普通だが裏はアドレスやら自宅の住所やらキスマークやらR18やらであふれている。
「これは渡さないでおこう」
とあたしは心に決めた。
10月21日(水) 晴
今日はあいつとの2回目のデートだった。言ってやったよ、ガツンと。だけどどうにも手ごたえが今イチなんだよなあ。あいつ自分に都合のいいように解釈するからな。でもまああたしが避けたがっていることだけは理解してくれたようだから、これ以上付きまとわれることはないと思っている。
「あ、遅かったですね」
まるで先生に叱られた小学生みたいに元気がない。前回遅刻された仕返しに今日は30分遅れて待ち合わせの場所に行ってやった。それなのに怒ろうともしないんだから。
「ごめんなさい。寝坊しちゃって。おほほほ」
「いえ、いいです。そして今日もスカートではないんですね」
そこはしっかり文句を言うのか。この脚フェチ野郎め。おまえだって前回と同じスタジャン&カーゴパンツじゃないか。一緒に歩くこっちの恥ずかしさも少しは考えてくれってもんだぜ、まったく。
「あの、今日も和風の店です。気に入ってくれるといいけど」
って、今度はすき焼き食べ放題のチェーン店かよ。どんだけ食べ放題が好きなんだ。そしてコースは牛・豚食べ放題。せめて黒毛和牛食べ放題にしてほしかったぜ。
「あの、今日は指輪、してないんですね」
ああ、あれか。作戦が空振りに終わった以上、はめても仕方がないからな。途中で抜けると面倒だし。
「ええ、彼が何も言わなかったので」
「そうですか。では食べましょう。いただきます」
勝手に食べ始めた。それにしても今日はホントにおとなしい。言葉遣いもこれまでとは全然違うし。同居人がいるという事実が相当衝撃だったんだろうな。もう一押しすれば完全に陥落しそうだ。
「う~ん、美味しい」
あたしは思う存分すき焼きを楽しんだ。気落ちしたあいつの顔は最高の調味料だね。安い輸入牛肉でも国産霜降り和牛に感じられるわ。
それからはほとんど会話をせず黙々と食べグビグビと飲んだ。あいつもそれなりに食べていたがその量は前回の3割程度に激減していた。それでもあたしと同じくらい食べていたけど。
そして締めのデザートを味わっているとき、あいつが突然あたしのアパート名を口にした。驚いたふりをして訊き返す。
「それ、どうして知っているのですか」
「うう、怒らないでね、実は、あの無礼な客を尾行したんです」
当日の様子をかいつまんで話し始めた。よし、ここが勝負どころだ。一気に畳みかけてやる。
「あたしの知り合いらしいという理由だけで一般のお客様を尾行ですか。サイテーですね。あなたがそこまで愚劣な男性だとは思いませんでした」
「だ、だって気になったから」
「気になったからといって他人の個人情報を盗み取るような真似をしてもいいのですか。この犯罪者!」
「そ、そこまで言わなくても」
「いいえ言わせてもらいます。迷惑なんですよ。脅迫まがいの言動でむりやりデートに誘ったり、アドレスや住所を教えろと迫ったり、あたしの知人の後を付けたり、あなた、どういうつもりなのですか」
「ボ、ボクはお姉さんと仲良くなりたいだけで」
「それが迷惑だって言っているんです。こっちはあなたとなんか仲良くなりたくないんです。顔も見るの声を聞くのも半径100m以内に近づくのも嫌なんです。親切にしているのはあなたが店のお客様だから。そうでなければあなたみたいな冴えない男の相手なんか1億円もらったって願い下げです」
「あうあう」
「あたしには心に決めた人がいるんです。もう1年以上も一緒に住んでいて、アパートでは毎晩あんなことやこんなことやそんなことをやっているんです」
「いやだあ~、そんな話は聞きたくない~」
両耳を塞いで嫌々をしている。ふふふ、これはかなり効いている。もう一押しね。
「いいえ、しっかり聞いてもらいます。耳を塞ぐのはやめなさい」
「どうしてあの男なの。どうしてボクじゃダメなの。あんな男よりボクのほうがいい男じゃない。お姉さんを幸せにできるのはボクだけなんだよお」
まさかここまで
「あなた、鏡を見たことあります? あたしを幸せにできると本気で思っているんですか。あなたはあたしにはまったくふさわしくありません。あなたなんかと一緒になったらあたしは不幸のどん底に落とされてしまうでしょう。もっと身の丈にあった女性を探してください。プライベートで会うのは今日限りで終わりです。なんならファミレスにも来なくて構いませんよ。客がひとり減ったくらいで困るようなことはありませんから」
「うわーん!」
テーブルに突っ伏して泣き始めた。見苦しいなあ。でもスッキリしたわ。この手の男にはこれくらい言ってやらないとダメだね。
「シクシク」
いつまでも泣いてるんじゃねえよ。せっかく美味しい料理を食べて満足感に浸っていたのに、これじゃ台無しじゃない。こんなヤツ放っておいてとっとと帰ろ。あたしは席を立った。
「それではあたしはこれで失礼します。永久にさようなら」
「待って!」
出口へ歩きかけたあたしは後ろに倒れそうになった。振り向くとあいつはテーブルの上に腹ばいになってあたしの服をつかんでいる。
「なっ、そこから降りなさいよ、みっともない」
あーあ、何やってんのよ。まだテーブルが片付けられていないから服がすき焼きのタレでビショビショになってるじゃない。そうまでして引き留めたいの? 往生際の悪いヤツ。
「何? まだ言い足りないことでもあるの」
仕方なく席に着く。あいつは涙を拭きながら話す。
「ねえ、それって本心なの。もしかしてボクを諦めさせるためについているウソじゃないの?」
はあああー! どこをどう解釈したらそんな結論が導き出せるわけ? こいつの脳みそ腐ってるわ。
「どうしてあたしがあんたのためにウソなんかつかなくちゃいけないのよ」
「きっとお姉さんは何か不幸を抱えているんだね。そしてもしボクと一緒になったらその不幸のためにボクまで不幸にしてしまう、だからウソをついてボクを諦めさせようとしている。ね、そうなんでしょ。全てはボクを思いやってのこと。そうだ、そうに決まってる。ボクみたいにカッコよくて将来有望で優しくて気前のいい男子が女子に振られるなんて、そんなバカなことあり得ないもん」
アホだ。こいつ真性のアホだ。こうまで自分に都合のいい解釈ができるのは一種の才能かもしれない。これ以上説得のしようがないわ、こりゃ。
「そう思うなら勝手にそう思っていればいいでしょう。とにかくあたしは二度とあなたに会いたくないんです。わかった? あたしにまとわりつくのは金輪際やめてちょうだい、ふん」
あたしは席を立つと即行で店を出た。あいつは追いかけて来なかった。今思い返すと失敗したかな、と思う。最後に言った「勝手にそう思っていればいいでしょう」は良くなかった。あの言葉であいつは自分の妄想が正しいと信じ込んでしまったかもしれない。だから追いかけて来なかったと考えられないだろうか。
「あ~、あたしも詰めが甘いな」
けれども手応えは確実に感じられた。あれだけ言われて今までどおり振る舞えるほどあいつは図太くないだろう。さて明日からどうなるか、楽しみでもあり不安でもある。
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