乾坤一擲~権六伝~
響恭也
落日北庄
もうもうと黒煙を上げ、織田家筆頭家老として栄華を誇った柴田家の居城である北庄城は焼け落ちつつあった。
羽柴秀吉が率いる軍勢は十重二十重に城を取り巻き、アリのはい出る隙間すら残さぬ備えだ。
城中への突入を許さぬとばかりに旗本の武者が城の入り口をふさぎ鬨を上げる。それも主家に殉じようとする滅びの美学を全うせんとの振舞だった。
「はよう突入せんか! このままでは……」
「すでに天守は炎に包まれております、これでは……」
「ぐぬぬ、権六め、お市様を道連れにしようてか!」
秀吉は地団太を踏むが、激しく上がる火の手を見て、これでは助けられぬと諦念を浮かべる。
「まあよい。姫君たちは儂が手にある。いくらでもやりようはあろうにの」
人好きのする笑顔とは違う、陰謀家の表情を浮かべて笑みをこぼす。勝利を確信し、高笑いを上げる姿はある意味秀吉の素顔であったのだろう。
「申し訳ありませぬ。このような仕儀になったは我の力が及ばなんだゆえ」
柴田勝家はその巨躯を縮めて妻であるお市御前の前にひれ伏す。
形式上は妻であったが、彼の性格上、主家の姫として遇していたのである。
「何を申すか。貴方はわっちをあの猿から守ってくれたのであろ?」
「はっ、左様にございます。それでも最後まで守り通すことができなんだことが無念にござる」
「ふふ、貴方は変わらぬの。父上に従って那古野の城に参ったときと同じじゃ」
「はっ、信秀さまの遺児を守れなんだは我が不徳によるところ。これより泉下に参り詫びようと思いまする」
「ふふ、父上も兄上もそなたを責めようなどとは思わぬであろ? というか、なんでわっちに手を出さなんだのかの?」
いたずらっぽく笑みを向けるしぐさは今にも焼け落ちそうな天守の中でするものではない。
戦国の習いとして覚悟が決まっているゆえんであろうか。
「うぇ!?」
年甲斐もなく耳まで真っ赤な顔をして勝家はうろたえる。
「くっくっく。義姉上の申す通りじゃの。わっちは別に構わなんだのにのう」
義姉とは信長の正室である濃の方のことである。何やらいらぬことを告げていたようだ。
死を間近にして少女のようにころころと笑うさまは、昔に那古野の城で勝家を脅かし、うろたえるさまを見て笑っていた少女のままだった。
「くくっ、くはははははは!」
つられて勝家も笑いだす。
「のう、権六よ。わっちは貴方様の妻として死ねるが幸せであるぞ。備前殿はわっちを連れて行ってはくれなんだ故な」
「……死出の旅にこのような老体が供とは申し訳ございませぬ」
「日ノ本一の武者がともがらじゃ、地獄の鬼も閻魔も蹴散らしてくれよう?」
「お市様には指一本触れさせませぬ!」
「うむ、なれば褒美をつかわそう」
「はっ!?」
「わっちが褒美じゃ。今生はこれにて終わる。だが……輪廻の先に再び巡り合えたらの、わっちを守ってたもれ。ずっとじゃ」
勝家はひげ面をゆがめ落涙する。
「はっ、しかと承り申した」
「ふふ、言葉が硬いぞえ、旦那様。市は貴方様の妻じゃ。それとも己が妻にまで……いや、在りうるのか?」
「お市。儂はそなたを輪廻の果てまで守り抜くと誓おう。そなたは我が隣にてあり、儂の武辺のほどを見届けるがよい」
「おお……なんと麗しき武者ぶりよ。ふふ、惚れ直したではないか」
誉め言葉に思わずテレを隠せない勝家と、潤んだ目で夫を見上げるお市。そんな二人だけの場所に割り込む人物がいた。
「あーあー、のろけるのはそれくらいにしてくれませんかね?」
見つめ合う二人の前に一人の少年がいた。年のころは15,6。白磁の肌に紅を差したような唇。キリッと吊り上がった眦。
その顔に彼らは同じ人物を思い浮かべた。
「殿!?」「兄上!?」
「うん、残念だけど違う。僕の名前は織田秀孝」
「秀孝じゃと!? 喜六は弘治のころに死んだはずじゃ!」
「あー、うん。そうなんだけどね。いろいろとありまして……」
「して、何用じゃ? 死人が蘇るにしてもただ事にはあるまい」
死を目前として、細かいことは考えないようにしたのか、お市はいっそ笑みすら浮かべて弟を名乗る少年に話しかける。
「ああ、うん。実はね。この歴史は根本からゆがめられているんだ」
「ゆがめられている? どういうことじゃ」
「僕が15の時に死んだのが始まりでね。三郎兄上の事績が少しづつずれて行っているんだよ」
「ほう?」
「お市姉さんは権六と結婚してるはずなのになぜか浅井に嫁いでるし、藤吉郎はなんか勘違いして天下に野心見せてるし。十兵衛はあんな自滅するしかない暴挙をするはずがない。ないんだ」
「……だがわっちの知る過去はそうではない」
「ああ。だからゆがみを直す。けどね、僕一人じゃとても無理だ。だからさ、姉さんと権六。手伝ってほしい」
間違いをただす。喜六様はそうおしゃられた。間違いとはなんじゃ?
「喜六様。その間違いとは?」
「無論、兄上が天下を取ることだ」
その一言に勝家は目を見開いた。
「本能寺で殿が亡くなること自体が間違いと?」
「ああ、そうだ。佐久間があんなわびしい晩年を迎えてよいはずがない。彦七があんなところで死ぬはずがない。又十郎もだ」
「わかり申した。拙者は何をすればよろしいか?」
「うん、まずはそっちの戸から出てくれたらいい。あとのことは……その先? いや過去なんだから前になるのかな? ま、いいや。再び顔を合わせればわかるよ」
「ははっ!」
「権六。勘十郎兄上を救って、三郎兄上の歯車が狂うのはそこからだ」
織田勘十郎信勝は勝家のもと主である。織田弾正忠信秀亡き後、信長の次弟にあたる彼に付け家老として配属された。
烏帽子親も務め、偏諱をも行った、実の親子にも等しい関係であった。
しかし信勝は正論を言う勝家を退け、甘言を弄する津々木蔵人に傾倒していく。その結果は信長に対する謀反に敗れ、最後には合戦を避けるべく暗殺という結果になっている。
「……必ずや」
「わっちもちゃんと嫁にするのじゃぞ。権六」
「は、はは!?」
「勘十郎兄上は優しい方であった。三郎兄の峻厳な性情を補う存在になりうるはずじゃ」
「左様。故に信秀さまは儂を勘十郎さまの股肱となるべくつけられたのです」
というあたりでぶわっと煙が天守に流れ込んできた。
「あ、そろそろやばいね。じゃあそっちの戸をくぐるんだよ。また会おう、権六」
「はっ、喜六様もお達者で」
「お達者も何も、僕もう死んでるんだけどね」
「お、おう。失礼仕った、では!」
「喜六。聞きたいことは様々あれど、信長兄を救えるのならばわっちは何でもします」
「ええ、ありがとうございます」
「権六。わっちを離さないでたもれ」
「おう。お前が嫌になってももう離さぬ。命が繰り返すたびに儂はそなたを見つけ、そのもとに駆け付けようぞ」
二人は手に手を取って光が差す戸をくぐる。二人の姿が消えた直後、天守に蓄えられていた煙硝に火が回った。
天守はその天辺から崩れ落ち、柴田家の栄華は露と消えていった。
爆発と同時に天から光が降り注ぐ。その光は柴田のつわものたちをかき消し、いずこかへと連れ去っていた。
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