第78話ー⑥ 夜空にきらめく星を目指して

 織姫は全速力で廊下を駆け抜けていた。


 あの人なら。先生なら私のことをわかってくれていると信じていたのに――


 そう思い、目から涙が溢れる織姫。


 完璧な人なんていないことは織姫自身もわかっていたが、信頼していた暁に裏切られたような気がして悲しく感じていた。


 私はやっぱり誰の目にも止まらない星なんだ。ずっと独りぼっちで、そのまま消滅するんだ――


 そう思いながら、織姫は涙を拭う。


 それから角を曲がったところで誰かと衝突する織姫。


「いてて……前方不注意ですよ」


 その声の方に視線を向ける織姫。


 すると、そこには織姫とぶつかった拍子に転んでぶつけた尻を撫でながら、そう言う狂司がいた。


「ご、ごめんなさい。私……」


 織姫は狂司の顔を見ながらそう言った。


「まったく……って何かあったんですか」


 目に涙を浮かべている織姫を見た狂司はそう言った。


「え……?」

「ほら、目に涙が」


 狂司はそう言いながら、織姫の瞳に溜まった涙を人差し指でそっと拭った。


 突然のことに驚いてフリーズする織姫。


「大丈夫、ですか……? さすがに頭は打っていなかったですよね?」


 狂司は心配そうな顔をしてそう言った。


 その言葉で数秒前のことを思い出した織姫は顔を真っ赤にする。


 さっき、この人……最低なことを――!


「あり得ません! あなた、最低です!! あ、あんなことをするなんて、信じられませんっ!!」


 織姫はそう言って胸の前で作った両手の拳を上下に振る。


「そんなに大声出さないでくれませんか? 確かに僕も軽率だったことは謝ります。でもそこまで言われる覚えはないです」


 やれやれと言った顔でそう言う狂司。


「で、でも――!」

「あはははは!」

「な、何なんですか、いきなり!」

「いや、さっきまで悲しそうだったのに、嘘みたいだなって思っただけですよ」


 狂司にそう言われはっとする織姫。


「そう、言われてみれば……」


 さっきまであんなに悶々としていたのに、嘘みたい――


「悩みなんて、悩むだけ無駄なんですよ。婚約のこともまだまだずっと先のことなんだから、すぐに答えも出さなくていい。それと、後継ぎに選んでもらえないのなら、選ばざるを得ない行動をすればいいのではないですか」

「……え」


 きょとんとする織姫。そしてそんな織姫を見つめ、話を続ける狂司。


「昨日、織姫さんの話を聞いてから、僕なりに考えてみたんですよね。その両親がどうしても織姫さんを後継ぎにしなければならないことになれば、婚約のこともそして後継ぎのことも解消するだろうって」


 私のために、そんなことを考えてくれていたなんて――


「でも言葉にすることは簡単ってことはわかっていますよね。それができたら、こんな苦労は――」

「はい、それ! 織姫さんは昨日から……いえ、きっと前からですよね。諦め癖があります。どうせ……とか仕方ないから……とかって言ってすぐ諦めるでしょう?」


 的を射ている――そう思った織姫は少し悔しく思う。


「思考停止は死と同じです。成長することを諦めた瞬間から人は退化が始まっています」


 確か、どこかの本で読んだ言葉だったな――


 そう思い、嬉しくなって微笑む織姫。


「いったん、後継ぎや婚約のことは脇に置いておいて、両親を認めさせるにはどうしたら一番だと思います?」

「どうしたら……」


 勉強も運動も大概のことはできた。それでも両親は私のことを認めてはくれない。それはきっとそれが当たり前のことだからだ――


「両親がやったことないこと、出来そうにないことで結果を出す……とかでしょうか」

「……自分で答えを出せるじゃないですか。それは素晴らしいことですよ」


 そう言って狂司は織姫に微笑む。


 その笑顔を見た織姫は胸が温かくなるのを感じた。そして再び目に涙を浮かべる。


「ど、どうして泣くんです!?」

「わ、わからないんです。でも、胸がいっぱいで……嬉しくて……だから――」

「もしかして、今まで褒められてこなかったんですか」


 そう言われた織姫は、はっとして狂司の方を見た。


「それは確かに認めてほしいと思っても仕方がないことかもしれませんね」


 そして狂司はそっと織姫の頭に手を乗せた。


「じゃあここにいる間だけ、僕は織姫さんの褒める担当になりましょう。社会に出たら、褒められることなんてないと大人たちから聞いたことがありますから」


 そう言って織姫の頭を撫でる狂司。


 こんな子供扱いされるなんて……でも、嫌じゃないのは、なんでだろう――


「今まで褒められなかった分、僕がここで褒めるので、ここから出たらせいぜい頑張ってください」

「最後に一言多いのよ……でも。ありがとう……烏丸君」


 織姫は顔を赤くしてそう告げた。


「ははは!」


 気に入らないって思っていた。でも、私が思うより悪い人間じゃなかったのね――


 そう思いながら、笑う狂司の顔を見つめる織姫。


「ああ、えっと……そろそろ出てきてもいいか?」


 そして急に姿を現す暁。


「いつ声を掛けてくるのかなって待っていましたよ、先生?」

「気づいていたのか!」

「走ってくるのが見えましたからね」

「あはは……」


 そう言って頭を掻く暁。


 私、ひどいことを言ったのに、追いかけてきてくれたんだ――


 それから織姫は立ち上がり、暁の正面に立つ。


「せ、先生」

「な、なんだ?」


 気まずそうな顔をする暁。


 そしてそんな暁に織姫は、頭を下げた。



「あの……ごめんなさい。私、先生のことをちゃんと信じてあげられなくて……」


「いや、謝るのは俺の方だろ! 織姫は何にも悪くない。俺がまだ織姫のことをちゃんとわかってやれなかったことがすべての原因なんだ」


「いいえ。私がちゃんと話せばよかった。両親に認められたいばかりで、周りが心配してくれていることに気が付いていなかったのかもしれません」



 烏丸君も先生も、みんな私を思って言ってくれていたのに、私は――


「織姫……」

「これからはちゃんと相談します。そして先生を信じます。私の居場所は両親が与えてくれた狭い箱ではなく、きっと誰に支配されているわけでもない、広い空なんだと思うので」


 そう言って織姫は微笑んだ。


「わかったよ。ありがとう、織姫」

「一見落着ですね」


 狂司はそう言って暁と織姫に微笑んだ。


「狂司もありがとうな!」

「いえいえ」

「それでは、私はこれで失礼します! さっそく企画書を作成して、両親にプレゼンをしなくてはなりませんから!」


 そう言ってから織姫は自室の方へ急ぎ足で向かったのだった――



 * * *



 暁と狂司は、急ぎ足で去っていく織姫を見つめていた。


「織姫の変わりようには驚いたよ……狂司はどんな魔法を使ったんだ?」


 暁が首を傾げながらそう問うと、


「別に。ただ受容してあげただけですよ。彼女が何よりもそれを望んでいたので」


 そう言って微笑む狂司。


 自分より織姫との付き合いが短いはずの狂司の方が、織姫のことをよくわかっていたんだという事を知る暁。


 そして、これが心と心のふれあいから生まれる成長なんだろうな――と狂司を見て暁はそう感じていた。


「やっぱり子供たちの成長を見られることって幸せだな」


 暁がそう呟くと、


「……ドクターも前に同じようなことを言っていましたね」


 と狂司は懐かしそうにそう言った。


「それが親心ってもんなのかもな!」

「そういうことなんでしょうね」


 暁と狂司はそう言って微笑みあうのだった――。

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