第216話 VIPルーム

 大男は、表情を変えず、ほとんど口も動かさずに、言う。


「カード、持ってるか?」

「カード? なんだそれは?」

「知らねえならせな」


 今の短いやり取りで、大体のことは分かった。


 あの、奥のスペースは、VIPルームのような場所で、特殊な会員カードでも持っていないと、入ってはいけないのだろう。カードの存在すら知らない俺たちは、大男にとって話す価値もない客で、とっとと消えろという感じなのだ。


 だが、そのぞんざいな態度に、イングリッドがキレた。


「なんだその態度は! 馬鹿にしているのか!? 私は馬鹿だが、馬鹿にされるのは嫌いだ!」


 そう叫ぶと、いきなり大男に掴みかかり、人間離れした怪力で、彼の体を地面に投げ飛ばした。


 ええぇー……確かに、ちょっと失礼な態度ではあったけど、キレすぎだろ……


 今日は、イングリッドに対して、感心することばっかりだったが、やっぱり怖いよこいつ……短気すぎる……


 大男は、恐らくこのバーの用心棒だろうし、普通の人間よりは腕っぷしに自信があるに違いないが、七聖剣『厄災のイングリッド』の前ではタダの子供同然で、投げで地面に頭をぶつけると、そのまま気絶してしまった。


 いきなりの暴行騒ぎに、店内が騒然とする。


 店のあちらこちらから、どこにこれだけいたんだと思うほど、たくさんの用心棒が騒ぎを聞きつけてやって来た。


「ッンダコラアアアアアァァァァァァ!」

「ヤンノカオラアアアアアアァァァァァァ!」

「ナメテンジャネェゾォオアアアァァァァァァ!」


 多種多様、色々な容貌のいかついお兄さんたちが、俺たちを威嚇するように、強い言葉を投げかけてくる。気の弱い人間なら、これだけで震えあがってしまいそうだ。


 騒然とした不穏な空気の中、イングリッドは何故か楽しそうに微笑む。


「ほう、こいつら、どうしてかわからんが、私たちとやる気らしいな」

「いや、どうしてかは分かるだろ! お前が用心棒のお兄さんをやっつけちゃったからだよ!」


 あぁ……なんでこんなことに。

 俺はただ、イングリッドの師匠に会いたかっただけなのに。


 無意味な戦いは、したくない。

 こちらの事情を説明すれば、わらわら集まって来た用心棒たちは、許してくれるだろうか。


 だ、駄目だろうなあ。

 当たり前だけど、すげー怒ってるもん。


 どうしよう……

 そう悩んでいると、奥のスペースから、女の苛立った声が響いて来た。


「おい、やかましいで! 今、大事な勝負の最中から、静かにしとってや!」


 その一声で、口々に怒鳴り声をあげていた用心棒たちが、一斉に黙り込んだ。

 よっぽど、今の関西弁女に敬意を払っているか、あるいは、怯えているらしい。

 イングリッドが、パァッと顔を輝かせて、叫ぶ。


「今の声、お師匠! お師匠ですね! 私です、イングリッドです!」


 しばらくの静寂。

 それから、奥のスペースを区切っている仕切りのドアが開き、女が出てきた。


 身長は、俺より少し小さい。

 見るからに気の強そうな瞳に、虎の毛並みを想起させる、黄金の長い髪。

 その頂点には、ぴょこんと猫のような耳がとんがっている。


 まるでミニスカートのように丈の短い、紫色の浴衣を着て、正面で腕を組んでおり、身長の割にやたらとでかい乳房がどっしりと持ち上げられて、大迫力だ。


 女は、イングリッドの姿を見て、人懐っこい笑みを浮かべた。


「おぉー、ほんまや、インコ、ごっつひさしぶりやん! 元気そうやな!」


「お師匠も、お元気そうで何よりです!」


「どや? ちっとは強なったか?」


「いえ! 剣の道は険しいです! 最近では、腕試しの武者修行で、初めて敗北した始末です!」


「はぁー、さよか! 長い人生、そんなこともあるわ! まあ、ウチは真剣勝負で負けたことないけどな!」


「さすがです! 恐れ入りました! お師匠!」


 うるさいなこいつら……

 大声出さないと、喋れないのか。

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