第76話 楔

 うーむ。

 よくわからんが、まあ、こいつが重要だというなら、信じて見守るとしよう。


 ジガルガは、小さく『ありがとう』と言うと、先程までより、さらに厳しい目をイングリッドに向ける。

 眼力だけで睨み殺そうとしているかのようなその迫力に、イングリッドがすっかり委縮してしまっているのが、傍目にもよくわかった。


「さて、聖騎士イングリッド。記憶があるのなら、先ほどの戦いの顛末は、分かっているな?」

「はい……」

「我はその気になれば、お前の目玉を抉ることも、気絶している間に、殺すこともできた。それも分かるな?」

「はい……」


 余計なことを言って何度も怒られたため、イングリッドはすっかり、「はい」とだけ答えるマシーンになってしまった。


 その姿は哀れを誘うものであり、側で様子をうかがっているレニエルも、何度か口を挟もうとするが、そのたびにジガルガが制止するようなジェスチャーをとって、介入を許さなかった。


「つまり、お前の命は、我が情けをかけてやったから、今現在も存在していると言える。これも分かるな?」

「はい……」

「以上のことから、お前は我の所有物になったも同然だ。お前の命、体、心。その全ては、我の支配下にある」


 ちょっと待て、なんでそうなる。

 いくら何でも、理論の飛躍が激しすぎる。


 これには、さすがのイングリッドも反論するに違いないと思っていたが、彼女はしょんぼりとこうべを垂れ、今までと同じ言葉を繰り返すだけだった。


「はい……」

「よし、素直で偉いぞ。では、主人である我に、誓いの口づけを」

「は、はい……あの……」

「なんだ。返事だけしてればいいと言ったのを忘れたのか」

「い、いえ、その、どこに口づけをすれば……?」

「どこでもいい、好きにしろ」

「で、では……んっ……」


 イングリッドは、一瞬だけ躊躇ためらいを見せ、それから、ジガルガの――ジガルガが入った俺の体、その唇に、自らの唇を重ねた。


 うわぁ……こんな経験、なかなかできんぞ。

 自分の体が、誰かとキスしているのを、こうして傍からから眺めるなんて。


 しばらくして、誓いの口づけとやらは終わり、ジガルガはそれまで身にまとっていた硬い雰囲気を解いた。


 それから大きく深呼吸し、俺に向かって、心の中で囁きかける。


『これでもう大丈夫だ。奴の深層心理に、ぬしが主人であるという刷り込みをおこなった。以後はぬしへの従属心が防護壁となり、他者からの念波などで操られたりはしない』


『それが、楔を打ち込むってことなのか? あんなにギャンギャン怒鳴ってたのも、全部そのため?』


『うむ。ただでさえ、邪鬼眼の術が解けたばかりで、精神的にも肉体的にも疲弊しているから、ああやって委縮させると、スムーズに刷り込みをおこなえるのだ』


 怒鳴りつけて刷り込むって、なんかブラック企業の研修会みたいでやだなあ……


『あれ、でも、俺が主人って、どういうこと? お前が主人じゃないのか?』


『何を言っている、我が入っているのは、ぬしの体だぞ。そして、奴はぬしの唇に、誓いの口づけをしたのだ。ぬしが主人に決まっているだろう』


『そういうもんなの?』


『そういうものだ。我が怒鳴りつけた分、優しくしてやれ。……さて、頭も体も動かしすぎたせいか、また眠くなってきた。我は……また……しばらく……寝る……』

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