相変わらず、難しいことはよくわからない

「あ、木下くん」


 保健室から出たところで、歩いてきた欅田に鉢合わせた。この時間に何してるんだろうか。


「お前も保健室?」


「あ、ええと……木下くん呼んで来いって夏海ちゃんが」


「よく保健室だってわかったな」


「さっきふらふらしながら校舎に入っていくところを見たので」


 ……ふーん。俺のこと見てたの?いや違う違う。


 にしても、北条か。


「なんだか木下くん、少し楽しそうですね」


 俺が押し黙っていると、少し顔を覗き込みながら欅田は話しかけてきた。


「楽しそう、ね」


 それなりに楽しくはあった。本当にあいつに振り回され続けた二週間だった。結局こちら側の収穫はゼロ。

 思い返せば、俺の知る限りかなり北条に近しい存在なのに、欅田にその話をしたことがない。

 なかなか込み入ったことを聞く機会もなかったからな……。ちょうどいい機会だし、聞くだけ聞いてみよう。


「なぁ欅田。お前から見て、北条ってどうなんだ?」


「夏海ちゃん……?」


 ふぇ……?と首を傾げる欅田に、俺はそう、北条さんと頷く。


「印象……ではないな……。なんていうかわからんが、あいつの心理といえばいいのか」


「心理、ですか」


 心理、という言葉を欅田は繰り返した後、ほんの少しだけ笑ったように見えた。それから、小さく「おめでとう」と呟いた。

 おめでとう……?どういうこと……?


「以前、木下くんと話した時に私が何て言ったか、覚えてますか」


 前に話したとき……あぁ、校舎裏で松本に絡まれた直後か。


「確か北条はいろいろと考えているとかなんとか」


「そう。私、そうやって言いました」


 少し興奮気味に同意した欅田は、窓に近づいて閉会式の様子を眺め始めた。

 いま二位の黒組団長が話しているから、もう間もなく松本がいろいろ語り出すはずだ。


「私、初めて夏海ちゃんと話した時に思ったことがあるんです。なんて綺麗な目をしているんだろうって。まるで透明な湖のような、澄んだ瞳の奥にしっかりと底がある。それがすごく印象に残っているんです」


「底がある、か。……俺にはわからん世界だな」


 俺はかつて北条の瞳について、澄んだ青い空のようだと言った。

 それは奇しくも欅田と反対の考えだ。俺には彼女の果てが見えていなくて、欅田には見えている。


「そのこと、夏海ちゃんに、聞くつもりなんでしょう?」


 突然欅田に核心を突かれて、思わず言葉に詰まった。


「木下くんがどういう予想をしているのか、私にはわからない。けれど、夏海ちゃんはしっかりと考えていることがある、それだけは確か……だと思います」


 だから大丈夫、と言って、それっきり俺と欅田の会話は途切れた。

 無言でその場から離れるわけにもいかず、仕方なく窓と反対側の壁に寄り掛かる。


「続いて、優勝した紅組団長の言葉‼」


 ようやく松本が話し始めた。今まで大変だった、最後に怪我されたときは終わったと思った、みたいな話をして、卒業式みたいなBGMが流れている。


 何回考え直したって、どうしても否定的にあの空気を捉えられない。

 あそこには簡単に切り捨てることのできないものがある。

 一方であれは不変じゃないから、俺は一生迎合できないという考えが脳内に席巻している。


「最後に、支えてくれた人に感謝したい。花梨、亮輔、最後までふがいない俺を支えてくれてありがとう。紅組のみんな、俺についてきてくれてありがとう」


 これは……ううん。流石にちょっと酔いしれてるな。お前は解散前のアイドルか。


 全体に関する評価は変わらずとも、ところどころには、やっぱり「虚構」があるんだよな、なんか。ニンゲン、ムズカシイ。


「最後に……夏海」


 松本が北条の名前を読んだ瞬間、不意に歓声が上がる。名前を呼ばれた彼女は、少し戸惑ったような表情をして壇上に上がった。


「いつも助けてくれてありがとう。これからも一緒にいてくれないか」


 周囲が「HOOOOOOOOO!」と一斉にはやし立てて、松本は少し照れ臭そうに頬をかいている。


 ……おぉ。初めて見たぞ、公開告白。自称恋愛リアリティーショーみたいなやつでやってそうなクソ寒いやつ。

 あんなのは、場の空気に流された以外に付き合う理由がないとしか思えない。普通勝算があるならもっとうまいやり方をする。知らんけど。


 これは評価するに値しないように思えてくるな?そもそも、俺が改めて感心したのは体育祭に向かう団結だったのであって、自分のよくわからない感情を衆人環視のもと曝け出すことじゃない。


 北条は渡されたマイクを取る。転校生で顔もスタイルも良く、成績もトップである北条は目立っていたし、さぞかし気になっている輩も多いことだろう。

 その返事の行方を決める唇に、誰もが注視していた。


 俺とて気になっている。それは俺が恋愛感情とは関係なく、北条がどういう人間かを見定めたいからだ。


 果たして、北条の解答やいかに。


「怜、ありがと!それにみんなもありがと!あとは~……」


 北条はそこで言葉を切り、誰かを探す仕草を見せた。


「あ、いた!桔梗ちゃ~ん!トージ~!二人もいっぱい助けてくれて、ありがと~‼」


 彼女はこっちを見ながら、ぴょんぴょんと跳ねて手を振っている。それから、最後に満面の笑みにピースサインでこう付け加えた。


「みんなのこと、愛してるぜっ‼」


 あーらら、振られちゃったでござるねぇ……。松本はなんと反応してよいものか決めかねて、戸惑っている。

 周囲は、まだ脈があると思った輩がたくさんいたのが、「うおおおおおお‼」と雄叫びが上がった。


 そんな松本をさっさと退場させ、会長が再び壇上に立った。引っ込めー‼お疲れー‼と愛憎入り混じる叫びの中で、俺の歌を聞けぇ‼と言わんばかりにマイクを握りしめた。


「今ここに、体育祭の終了を‼宣言する‼」


 こうして、長くて短い、俺の体育祭は終了した。

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