30-1 お断り
「久しいな、凛太郎」
そう告げた俺の親父、志藤雄太郎は、まるで品定めをするかのような視線を俺に向ける。
「少し、背が伸びたか」
「……それなりにな。あんたとも長いこと会ってなかったから」
「そうだな。————そこのソファーに座れ」
親父は低いテーブルを挟む形で置かれたソファーを示す。
久しく会ったからって余計な話を挟まないところは、やはりこの男がどこまでも効率を見ているという証拠になるだろう。
無駄を省くことは基本的にコストを落としたり自由な時間を作るためにすることだと思うが、この人の場合はそうしてできた余裕にまた別の仕事を入れる。
だからこそ、ひい爺さんの代から細々と続いていた会社をたった二十年そこらでここまで大きくすることができたんだ。
「手紙に書かれていた内容はしっかり伝わっているな?」
「ああ。ちゃんちゃらおかしい話だとは思ったけどな」
ソファーに浅く腰掛けた俺の目の前に、親父は座る。
「単刀直入に受けるか、受けないかで聞く。お前に来た
「……」
親父からの手紙。
そこには、俺に対しての縁談の要求があったことが書かれていた。
相手はこれまた大きな企業の一人娘。
正直、かなり困惑している。
よくあるラブコメ作品で、ヒロインがしたくもないお見合いで困っているところを主人公が助けるという話を見るが、まさかそれが自分に降りかかるとは思っていなかった。
「改めて伝えるが、相手は様々なアミューズメント施設を抱えている大企業、"
「……そのためなら容赦なく息子も使うって? 相変わらず、あんたは会社の利益のためなら言葉の通り"何でも"使うんだな」
こういうところが本当に好きになれない。
やっぱりこの男にとっての俺は、血のつながった家族なんかじゃなく、取引のための"品物"の一つなのだろう。
「俺は、この見合いに応じる気はない。学費や諸々の費用を払ってもらっていることに関しては感謝しているが、そんな都合のいい存在になるつもりはねぇぞ」
「……そうか、ならば断ればいい」
「————は?」
何かしら言い争いになると喧嘩腰でいた俺は、呆気なく引き下がった親父を前にして拍子抜けしてしまった。
この男、人間性に問題があるものの、決して嘘だけはつかない。
だから今の言葉も、本心であることだけは分かっていた。
「天宮司グループと密接に繋がることができなかったところで、私の会社にはダメージがない。つまりお前が婚姻関係を結ばなくとも、何の問題もないということだ」
「……じゃあ、何で呼んだんだよ。俺が断ることくらいは分かってただろ? それなら先に断っとけばこんな風に時間を浪費することもなかったじゃねぇか」
「お前が断るかどうかなど、私には分からん」
————ああ、そういうことか。
そんなことも分からないくらい、この男と俺の間には距離があるということらしい。
分かっていないのは俺の方だった。
「それに、今日はその天宮司グループのご令嬢が直接訪問に来ている。あまりにも顔を合わせて話したいと言うものでな、今は応接室の方でお待ちいただいている」
「あの天宮司グループの令嬢が俺なんかに……?」
「本人から聞くところによると、お前とは
昔馴染み?
天宮司グループなんて大きな会社の娘と顔を合わせた覚えはない。
疑り深すぎるかもしれないが、志藤グループと関係を深めるためにエピソードをでっちあげているだけだと思うのだが————。
「ひとまず会ってみろ。それから断ることに関しては私は何も言わん。婚姻すると決めた時だけ連絡しろ。それ以外なら勝手に帰ってもらって構わない」
「……そうかよ」
どうやら俺たちの会話はここで終了らしい。
いそいそと社長室を出た俺を待っていたのは、相変わらずの無表情を浮かべるソフィアさんだった。
「応接室の方へ案内いたします。こちらへどうぞ」
再びエレベーターに乗った俺は、案内されるがままに応接室の扉の前に立たされた。
ソフィアさんは扉をノックし、そのまま開けて中へと入って行く。
俺は大きくため息をつきながら、彼女に続く形で中へと足を踏み入れた。
「志藤凛太郎様をお連れいたしました」
「————ありがとうございます」
そう感謝の言葉を告げたのは、艶のある美しい黒髪の女だった。
純白のワンピースを身に纏っている彼女はわざわざ立ち上がると、俺に向けて頭を下げる。
「お久しぶり……ですね」
この時までずっと俯いていた俺は、こぼしそうになっていた舌打ちを無理やり噛み締め、取り繕った笑顔を浮かべて顔を上げた。
「申し訳ありませんが、僕とあなたは初対面……かと……」
「……本当にそうですか?」
俺は一瞬言葉を失った。
初対面だと思い込んでいた彼女の顔には、どこか見覚えがある。
もう十年以上前の記憶————思い出したくもないあの時間の中に、彼女の顔は存在していた。
「もしかして……
「よかった、思い出してくれたんですね。改めましてお久しぶりです、
幼稚園の頃、俺に懐いてよく後ろをついてきた女の子。
母親が出て行ったあの日以来曖昧になっていた記憶が、一瞬の頭痛の後に少しずつ鮮明になっていく。
幼い頃の彼女の顔、そして胸元の名札に書かれていた"てんぐうじ ゆずか"という平仮名で書かれた名前。
「あの、大丈夫ですか?」
「————っ、あ、ああ……大丈夫。取り乱してごめん、あまりにも懐かし過ぎて驚いちゃったっていうか」
何とか猫かぶりモードを起動しながら、態度を取り繕う。
そうか、天宮司グループの令嬢とはこの子のことだったか。
今思えば、どこかの企業のパーティーにも彼女の姿があった気がする。
いつの何のパーティーだったか、そこまでは思い出せないけれど。
「改めまして……天宮司柚香です。この度は再会できたこと、心の底から嬉しく思います」
「あ、ああ……どうも」
正直、どういう顔で接していいか分からない。
彼女と会話したのは、それこそ幼稚園以来。
どういう風に接していたかすら思い出せないせいで、顔馴染みなのに初対面の人間と喋っているような、不思議な感覚に苦しめられていた。
「忙しい中でこうして話し合う時間をいただけたことに関しましては、精一杯の感謝をさせていただきます」
「別に、俺は大して忙しくはなかったよ」
「ご謙遜を。次代の志藤グループを担うはずのあなたが、忙しくないはずがありませんから」
————思わず俺は固まった。
そして、ああそうかと納得する。
彼女は、俺の事情を一切知らない。
もちろん俺が家を出たことは公表されているはずがないし、そもそもそんな評判が下がるような情報は流したくないだろうから、彼女が知らないこと自体は仕方がない話だろう。
仕方がない、のだが。
「私とりん君の婚姻関係が成立すれば、私が受け継ぐ予定の天宮司グループと、あなたの志藤グループ、この二つの会社を合併させ、国内でも指折り数えられる程度の巨大企業にすることすら叶うでしょう」
天宮司柚香は、一度間を置くためにティーカップに入った紅茶を一口飲む。
「幸い、私たちは過去で将来を誓い合った仲です。お互いの理想のため、ここは一つ私と夫婦になってくださいませんか?」
「————断る」
「ふふっ、そうでしょうとも。互いの将来のため、あなたが受け入れてくれることは分かって……え?」
何を言われたのか分からないと言いたげな顔で、天宮司柚香は俺の顔を見ていた。
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