18-3

「そう言えば凛太郎、それ何?」

「ん?」


 食事と洗い物を終えた俺がソファーでくつろいでいると、突然玲が壁に立てかけてあるベースケースを指差して問いかけてきた。

 まあ、そりゃ気になるよな。昨日までなかったんだから。


「ちょっと色々あってな。文化祭の後夜祭ステージで演奏することになったんだよ」

「え、凛太郎が?」

「意外か?」

「うん。すっごく」

「だよな、俺もそう思う」


 俺がそんな人前で出し物をするなんて、雪緒に言っても驚かれること間違いなしだ。

 

 ケースからベースを取り出し、持ったまま再びソファーに腰掛ける。

 幸い、野木に何でもかんでも可愛い物で揃えるという癖はなかったらしく、このベース自体は白と黒の単調な色をしていた。

 これなら俺が持っていてもあからさまな借り物のような違和感は出ないだろう。


「どういう風の吹き回しなの?」

「表向きの理由は、人の手伝い。裏の理由は、純粋に楽器を始めてみたかったんだよ」

「凛太郎が楽器好きなんて、知らなかった」

「……カッコいいからな」

「え?」


 俺は照れ臭くなり、玲から目を逸らす。


 雇い主の優月先生に言われて色んな娯楽に対して理解あるような生活をしているが、中でも俺はながら作業に最適な音楽を好んで楽しむ傾向にあった。

 普段から聞いていると、まだまだ大人になり切れない俺の単純な心は簡単に憧れてしまうわけで。

 ボーカルに関してはやってみたいとは思わなかったが、ギターやドラム、それこそベースなどは一生で一度でいいから触ってみたいと思っていた。

 元々目立った趣味もないし、そのままハマって趣味と言えるようになればいいなと、そんな淡い期待も抱いていたのである。


「俺だってどこにでもいる平凡な高校生男子だからさ、純粋に楽器が弾けたら楽しいだろうなって思うし、カッコいいって素直に思うんだよ。理由なんてそんなもんだ」

「……思ったよりも単純だった」

「くっ……悪かったな。大した理由がなくて」

「ううん。むしろ凛太郎にそういう一面があって安心。私は応援したい」


 玲は俺の方に身を乗り出しながら、微笑ましい物を見るかのような笑みを浮かべた。


 玲とこうして過ごすようになってから、俺自身が徐々に素直になって――――いや、素直にさせられている気がする。

 彼女がどこまでも真っ直ぐに気持ちを伝えてくるせいで、俺まで影響を受けてしまっているらしい。

 人に影響されて自分が変わっていくなんて恐ろしいだけかと思っていたが、これが思いのほか悪いとは感じなかった。


「まあ実際に楽器を弾くとなると、これがまた中々上手く行かないんだけどな」


 俺はヘッドと呼ばれるベースの先端に並ぶペグという名のネジを指でいじる。

 いわゆるチューニングというやつだ。

 ギターやベースは、放っておけば放っておくだけ本来の音から少しずつズレてしまう。弦が湿気や温度で伸び縮みしてしまうとか、原因は様々らしいが、詳しくは知らない。

 演奏する前は、毎回こうして本来の音になるように調整する必要がある。これがちょっとだけ面倒くさい。


 幸いなのは、チューナーと呼ばれるチューニングを補助してくれるアイテムがあること。

 ヘッドにこのチューナーを装着し、音が狂っていないことが分かればチューニングは終了。

 ネックに張られた弦を押さえながら、俺はもう片方の手で弦を弾いた。

 

 部屋に響くのは、俺たちが演奏する予定の曲の前奏の部分。


 野木からベースを受け取って帰ってきてから、とりあえずこの部分を何度も練習してみた。あまり時間はなかったものの、何とかゆっくりであれば止まることなく弾くことが可能になっている。


「……」

「どうだ? ベースだけでも何となく何の曲を弾いているかくらいは分かる――――って、どうした?」

「あっ……ううん、ちょっと見てた」

「ん……?」


 玲の視線を辿れば、それは俺の手へと行き着いた。

 手がどこかおかしかったのだろうか?


「凛太郎って、指弾き派なんだね」

「え? あ、ああ……俺が好きなアーティストはみんな指弾きだったし、ピックを使うよりしっくり来たからさ」


 ベースには大きく分けて二つの派閥みたいなものがあって、それがピックを使うか使わないかの違いに繋がる。

 まあ大部分の人は指弾きらしいのだが、これに関しても細かい部分の差は俺には理解できなかった。

 

 いずれ細かく違いが分かるようになるのかもしれないが、それもいつになることやら――――。


「凛太郎、手を見せて欲しい」

「まあ、いいけど」


 俺はベースから手を離し、そのまま玲へと向ける。

 彼女は俺の手を下からすくうように持つと、自身の手を重ねてみたり、指を一本一本撫でてみたり、手相をなぞったりし始めた。


 それが何ともこそばゆい。


 夢中になって俺の手を触りまくる彼女の顔はどこか真剣で、恥ずかしくなってきてもこの手を引っ込めるのは少々気が引けた。


「あの……玲さん?」

「……」

「……おーい」

「————はっ」


 いつの間にかうっとりとした目をしていた玲に、意識が戻る。

 彼女は俺の手と顔を見比べ、どこか照れた様子で自分の手を離した。


「……ごめん」

「もしかしてだけど、お前手フェチ……?」

「そうじゃないと思っていたけど、そうなのかも」

「自覚がなかったパターンか。それで、俺の手は御眼鏡に適ったのか?」

「うん。今までじっくり見たことがなかったから気づかなかったけど、凛太郎の手、すごくタイプかもしれない。思ってたよりも大きいし、指は細くて長いし。ちょっとだけ浮き出た血管がその……えっち」

「これ以上はやめておこうぜ! な⁉」


 危ない、変な雰囲気に流されるところだった。


 お互い何となく気まずくなってしまい、目を泳がせる。

 空気感に耐えられなくなった俺は、おもむろにテレビをつけた。


「あ……これ」


 テレビに映ったのは、毎週この時間に放送している音楽番組。

 司会タレントとレギュラー陣の間にゲストが座るというセットなのだが、そこに座っている女たちに俺は見覚えがあった。


 というか、隣にいる。


「これ、この前収録したやつ。写真集の発売に合わせてくれたみたい」

「へぇ……」


 二人して画面を眺めていると、番組恒例のゲストによるライブコーナーが始まった。

 毎回この時間ではゲストの新曲が披露され、宣伝に一役買っているらしい。

 ミルスタも例に漏れず新曲を披露し、番組を大いに盛り上げていた。


『今披露した新曲の発売日に合わせて、私たちの写真集が発売されます』

『文字通りボクらが一肌脱いでいますので、興味がある方はぜひ』

『CDの方はあたしたちとの握手会で使える握手券がありまーす!』


 という三人の宣伝を最後に、番組は終わった。

 握手会か。こういう言葉を聞くと、やっぱり彼女らはアイドルなんだと思い知らされる。


「というか、写真集もう発売したんだな」

「うん。あ――――そうだ、凛太郎には一冊渡そうと思ってたの」


 そう言いながら、玲は自分の荷物から自分らが表紙に並んでいる雑誌を取り出し、俺へと渡してきた。


「はい」

「……もらうにしても、何か目の前にいる奴の写真集って思うと複雑だな」

「そう?」


 だって全員際どい水着姿なんだもの。

 こうして玲と共にいることに慣れてきたとは言え、青少年の目にはかなり毒である。

 

 ちなみにどうでもいいと思うが、俺はエロ本のような物は持っていない。全部ネットでデータとして買う派である。


「まあ……くれるって言うならありがたくもらうけどさ」

「ん。素直なのはいいこと」

「下心あるみたいな意味に聞こえるからやめろ」


 俺は写真集を受け取り、とりあえずテーブルの上に置いた。

 それと同時に、玲が持っていたスマホが震えだす。


「あ、マネージャーから電話。ちょっと出てくる」

「おう」


 彼女はそう言いながら、廊下の方へと出て行った。

 ちゃんと部外者である俺に声が届かないようにするところは、分別がついていて安心できる。

 

 俺は一度はテーブルの上に置いた写真集を手に取ると、寝室の方へと移動した。

 そして、枕の下に隠してあるもう一冊の写真集・・・・・・・・を取り出す。


「まさか……自分でもう買ってるなんて言えねぇよな」


 一冊を漫画などが並ぶ本棚にしまい、もう一冊を再び枕の下に戻す。

 どうか当分の間はバレませんように。

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