15-6

「詳しいことは、また今度にさせてよ。物事には伝えるタイミングってものがあるからね」

「……そっか」


 俺はすんなり引き下がることにした。

 この流れで話してくれないということは、きっと何が起ころうとこの場でだけは話してくれないだろう。そこをいくら問い詰めたとて、ストレス以外に生むものはない。

 

 ともかく、何か理由があるということが分かっただけ十分だ。


「少なくともマイナスな感情は一切持っていないから、安心してよ」

「ああ、安心させてもらうよ」

「それじゃあ続きをやってもらえるかな?」

「……はいよ、お嬢様」

「さっきはお姫様だったのに、格下げかい?」

「姫って呼ぶと俺が王子とかそういう役割になったみたいでむず痒いからな。その点お嬢様なら召使になった気分で済む」

「ふむ、りんたろー君を召使にか……悪くないね」

「つーか、帰ってから一週間はお前のためにも飯を作る予定なんだから、ある意味もう召使みたいなもんだろ」

「おお、ちゃんと覚えていてくれたね。感心したよ」


 ビーチボールの時に約束してしまったことは、ちゃんと記憶に刻まれていた。俺には都合の悪い約束だったとしても、一度交わしたものを違えるのはポリシーに合わん。


「……そういう君もさ、この前はどうしてあの子のお願いを聞いたんだい?」

「あ?」

「ボクだって自覚はしているのさ。年頃の男女が一緒にお風呂に入るなんて健全とは言えないって。だけど君はレイの要求を呑んで一緒にお風呂に入った。ボクとのこの時間はあくまで罰ゲームだけど、あの子との時間は違うよね?」

「……そうだな、断ろうと思えば断れた」


 それでも断らなかったのは――――。


「————やっぱり言わねぇ」

「ケチ」

「お前だって詳しくは言わなかっただろ? お相子だ」

「ちぇ、まあいいけどさ」


 結局、ミアはそれ以上何かを聞いてくることはなかった。

 俺がミアを、延いてはミルスタの三人を好ましく思っている理由の中には、相手の隠したい部分には無暗に踏み込んでこないという部分が挙げられる。


 この距離間は、どこまで行っても俺にとっては心地いい。


「ほら、背中終わったぞ」

「ありがとう。じゃあ後は前だね」

「よし、いいんだな・・・・・?」

「…………やっぱりなしで」


 ふっ、臆病者めが。

 内心俺もホッとしているのは内緒だ。


「じゃあ代わりに足を洗ってもらおうかな? 何だか本当にお嬢様になった気分になれそうだし」

「趣味悪……」

「いいだろう? 別に減るものじゃないしさ」


 まあ、体の前面を洗うよりはマシか。

 ミアは浴槽の縁に腰掛け、膝をつく俺の目の前につま先を向けてくる。

 この角度だと彼女を見上げる形になるのだが、その際に水着に見え隠れしていた太ももの付け根などがよく見えてしまい、落ち着いていたはずの心臓がまた跳ねた。


「おやおやぁ? どうしたのかな、顔を逸らしてさ」

「……何でもねぇよ」

「ふーん、まあ君の名誉のことを考えて、これ以上は追及しないようにしておくよ」

 

 つくづく男は女に弱い生物だと思わされる。

 

 俺はうぶ毛一つないミアの足に泡のついたスポンジを走らせた。

 一番触れるのに抵抗があったのは、その太もも。

 程よくついた足の内側の肉はスポンジ越しでも確かな柔らかさを主張しており、その度に手が止まりかける。

 しかし下手に止めてしまえば、その分洗い終わるのが遅くなるわけで――――。


「……っ、おい、もういいだろ?」

「へっ⁉」

「『へっ⁉』じゃないだろ⁉ 俺を辱めたいのならもう目的は達成しただろって!」

「あ……あー! そうだね、もういいよ。うん」


 ミアは慌てた様子で手をばたつかせると、足を下ろして立ち上がる。

 よく見れば、彼女の顔もだいぶ赤い。

 ああ、やはりこいつも恥ずかしかったのか。


「仕掛けてきたくせにこういうことに慣れてねぇのかよ」

「あ……当り前さ。父親意外の男性に体を触れられた経験なんてまったくないんだからさ」

「そこまで体張る必要もねぇだろうに」


 俺をからかいたいがために自分の体まで使うところが、いつまで経っても理解できない。

 それを楽しんでいるならまだしも、こうして恥ずかしがっているならなおさら意味がないと思うのだが。


「ほら、ボクは湯船に浸かってから出るから、もう君は好きな時に出てっていいよ」

「ん、そうか。じゃあ体洗ってから出るわ」


 はぁ。とりあえずこれで俺の仕事は終了らしい。

 終わってみれば、何てことのないイベントだった。こんなことで命令権を使わせることができたのは、まさに僥倖と言えるだろう。


「ふぅ……」


 風呂から出た俺は、お湯で火照った体を冷やしながらドライヤーで髪を乾かしていた。

 二ヵ月くらい前まではバスタオルだけで乾いていたのだが、最近になって伸びてきたことを自覚してからは、乾かしきるにはドライヤーが必須となっている。


 体から火照りも水気も消えてきた頃、突然脱衣所の扉が派手な音と共に開け放たれた。

 今まさに部屋着を着ようとしていた俺は、とっさに腰をバスタオルで隠す。

 扉を開け放った張本人である玲は、さっきよりも焦った顔で俺を見つめていた。


「……一応お決まりだから言っておくけど、ノックくらいしてくれよな」

「ミアに、何もされなかった?」

「お、おう、別に何もされなかったぞ」

「————分かった、ならいい」


 そう告げて、玲は脱衣所の扉を閉める。

 男の着替えを覗いてまで聞くことがそれか? 

 ずいぶんと分かったつもりになっていたが、俺はまだまだ玲のことをよく理解していなかったらしい。


◇◆◇

 着替えも終えてしばらく。俺はコテージのリビング部分に置かれたソファーに腰掛け、冷凍庫の方に入っていたアイスキャンディーを舐めていた。

 同じソファーには、すでに風呂を上がったミアと玲が座っている。

 最後に入浴したカノンはまだ戻って来ておらず、俺たちは各々スマホをいじったりしながら彼女が戻ってくるのを待っていた。


「ふー! さっぱりしたわ!」


 くだらないネットニュースなどを適当に流し見していれば、浴室の方からタオルを肩にかけたカノンが現れた。


「おい……」

「ん? 何よ」

「……いや、何でもない」

「はぁ? 変なりんたろーね」


 口から漏れかけた言葉を呑み込み、代わりにため息を吐いた。


 何度も言いたくなるのだが、やはり無防備すぎると思うのだ。

 三人とも風呂上りで体が熱を持っているからか、普段よりもさらに薄着になっているように見える。

 ショートパンツにTシャツというその格好は、同じ屋根の下で過ごすに当たりあまりにも刺激的すぎた。

 理性だけは強くて本当によかったと心の底から思う。


「凛太郎、これ食べたいの?」

「へ?」

「さっきからチラチラこっちを見ているから、この味が気になったのかなって」


 俺がブドウ味を選んだのに対し、彼女が選んでいたのはオレンジ味。確かに味は違う。しかし気になるというレベルでは――――。


「じゃあ、はい」


 玲は自分の分のアイスキャンディーから口を離すと、先端を俺の方へと向けてきた。

 口の中の熱で溶けたアイスの一部が、とろりと溶けてソファーの上に落ちそうになっていた。それが妙に艶めかしい。


「タピオカの時はともかく、いくらお前が相手でも舐め回したものをシェアするのは遠慮させてもらうぞ」

「ん……確かに舐め回したって言われると抵抗がある」


 アイスキャンディーを引っ込めた玲は、溶けた部分が落ちてしまう前に再び口に咥えた。

 

 俺が何も言わず咥えていたら、どうする気だったのだろう?

 

 顔色を変えずにアイスキャンディーを楽しむ玲を横目で見ながら、ふとそんな疑問が過ぎった。

 きっと、何も思わなかったんじゃないだろうか。

 こうして簡単に差し出してくるからこそ、玲にとっては特に大した意味もない行為だったと言える。


 ————そんな風に決めつけてしまったせいで、俺は彼女の頬がほんのり赤みを帯びていたことに気づかなかった。


 気づいたとしても、それを俺は風呂上りだからと決めつけていただろう。

 そうして俺は、またもや確信から目をそらした。

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