12-2
「なあ、何言ってんだ?」
頭の中で思い浮かべていた言葉がそのまま口から飛び出した。
玲は目の前に並ぶ水着を品定めしながら、何でもないことのように告げる。
「せっかく凛太郎が水着を買ったのなら、それを最初に見るのは私がいいから」
「うーん……そう言われてもよく分からないんだが」
「気持ちの問題だから、説明が難しい。つまり、私も水着を着るから、凛太郎も一緒に水着を履いてお風呂に入ってほしいってこと」
何がつまりなのかまったく分からない。
適当な水着を二着手に取った玲は、それぞれを自分の体の前に持っていく。
「凛太郎、どっちがいい?」
「え、ええ……?」
困惑しながら、二つの水着を見比べる。
片方は青みのかかった黒――つまるところ紺色のビキニ。さらに詳しく言うのであれば、胸部の布を首の前でクロスさせてうなじの部分で固定する"クロス・ホルター・ビキニ"と呼ばれる水着だ。優月先生の仕事場にあった資料にそう書いてあったから、おそらく間違いない。
そしてもう片方は、極端に布面積の少ない"マイクロビキニ"。もはやジョークグッズとしか思えないような水着がなぜこの健全なショッピングモールに売っているのかは分からないが、少なくともこの場における選択肢は一つしかなかった。
「えっと……その紺色のビキニ、だな」
「ん。じゃあこっちを買う」
これ以上何か口を挟む前に、玲は購入を済ませてきてしまった。
俺は状況が上手く呑み込めないまま、そんな彼女を迎える。
「ちょっとだけ疲れた。帰る前にタピオカミルクティー飲みたい」
「あ、うん。分かった」
「どうしたの?」
「いや……久しぶりにお前と話が噛み合わねぇなって思って」
とにかく分かったことと言えば、玲が俺の水着姿を真っ先に見るために、一緒に水着を着て、一緒に風呂に入りたいらしい。
いや、整理してみても分からねぇな。
とりあえず今は大人しく玲について行こう。どうせ冗談なんだろうし。
買い込んだ洋服たちを揺らしながら、俺たちはショッピングモール内のタピオカ屋の方へ向かう。
ブームはだいぶ落ち着いたとはいえ、やはり学生が解き放たれる休日となるとだいぶ列ができていた。
「タピオカって、確かでんぷんなんだっけ。どんな食感なんだ?」
「食べたことないの?」
「ああ。実はブームに乗り遅れてな。一度も行く機会がなかったから、今日が初めてなんだよ」
「なるほど。うーんと……もちもち?」
「お前の語彙力のなさがよく分かったよ」
自分たちの番が来て、俺は冒険もせずに一番売れているタピオカミルクティーを注文する。
対する玲は抹茶ミルクを選んでいた。それはそれで美味そうだ。
「————あー、なるほどね」
口に含んだタピオカを咀嚼し、飲み込んだ後にそう言葉をこぼす。
確かにもちもちという言葉が一番合う。俺の歯応えだけで言うのであれば、食感はこんにゃくに近い。
ただこれは腹に溜まりそうだなぁ……。
味は美味しいけども。
「おいひぃ」
「……」
もっきゅもっきゅという効果音が聞こえてきそうなほどに、玲は頬を膨らませてタピオカを咀嚼していた。
すごい面だ。到底国民的スーパーアイドルとは思えない。
「凛太郎、そっちのも飲みたい。交換しよ?」
「お、おい……それは――――」
玲は俺の方へ身を乗り出すと、強引にストローを咥えて中身を吸う。
底に溜まっていたタピオカのうちのいくつかが、ストローを通って彼女の口の中に入っていった。
こいつ、ここ最近積極的すぎないか?
まあこの程度の間接キスで動揺しているだけ、俺の恋愛経験もたかが知れている、
彼女からすれば、このくらいは普通の範疇なのかもしれない。
「ん……美味しい」
「……そうかい」
「じゃあ、私のもあげる」
そう言って、玲は飲み口を俺に向けてきた。
彼女の目が期待に染まっている――――。
こいつ、有無を言わせない気だ。
「——わ、分かったよ」
俺は今まで彼女が飲んでいたストローに口をつけ、中身を吸う。
事件はその時に起きた。
妙に緊張していたせいか、思いのほか勢いよく吸ってしまった俺の口の中に大量のタピオカが飛び込んでくる。
かろうじて勢いに任せて飲み込めたものの、液体の方はそうもいかず、気管の中に遠慮なく流れ込んできた。
むせると同時に、口元からぽたぽたと抹茶ミルクが垂れていく。
染みが自分の衣服に広がるのを見て、やっちまったという感情がこみ上げてきた。
「大丈夫?」
「げほっ……あ、ああ。問題ねぇよ」
「でも……」
「ちょっとトイレで拭いてくる。ここで待っててくれよ」
申し訳ない顔をしている玲をその場に残し、俺は近場のトイレを探す。
ちょっと遠いな。まあ仕方ない。
しばらく歩いてようやく見つけた男子トイレに入った俺は、個室からトイレットペーパーを少し拝借し、蛇口の前に立つ。
乾いたトイレットペーパーを服の裏に当て、外から湿らせたトイレットペーパーで軽く叩く。すぐに洗濯ができない外出先での応急処置といったら、これくらいしかできない。
「ふぅ……少しは落ちたか」
ある程度目立たなくなったことを確認して、俺は改めてさっきの出来事を思い出す。
誰が何と言おうと、間接キス――――だったよな。
自覚すれば自覚するほど、頬が熱くなっていく。
「まだまだガキだな……俺も」
早く大人になりたいと常に願っているはずなのに、こんなこと一つで取り乱す。俺もまだまだ成長できていない証拠だ。
(あいつと長く過ごしていれば……この感情にも慣れるのか?)
鏡に映るただの高校生でしかない志藤凛太郎に問いかける。
当然答えは返ってこない。
そんな自分の行いが馬鹿らしくなり、鼻で笑い飛ばす。
「立場はちゃんと弁えないとな」
ハンカチで手を拭き、トイレから出る。
いつかこの関係が終わりを迎えた時、辛くなってしまわないよう心構えだけはしておくつもりだ。
浮かれて我を忘れるようなことだけはしたくない。
玲を待たせている場所へは少し距離がある。
俺は彼女を一人にしておく不安から、少し駆け足で戻ることにした。
すると――――。
「ねぇ君、結構可愛いじゃん。一人?」
——ああ、なんてテンプレートな。
玲の前には、二人の男が立っていた。
髪を染めていたりアクセサリーをたくさんつけていたり、巷で言うチャラチャラした男たち。二人はベンチに座る玲を上から見下ろす形で、ニヤニヤと下衆な笑みを浮かべている。
どう見てもナンパというやつだ。
まあ、気持ちは分からんでもない。玲はどの角度から見ても美少女だし、一人でいたらワンチャンを狙って声をかけたくもなる。
頭が夏に侵されきったああいう連中は、自制というものを知らない。
普通なら迷惑を考えて声をかけないところを、奴らは一種の度胸試しのような感覚で突き進んでいく。
だからこそ質が悪い。
「一人じゃない。カップを二つ持っているのが証拠」
「相手の子って女の子? それならちょうど二対二でちょうどいいじゃぁん! 一緒にお茶しようよォ。俺ら大学生の割に金持ってるし、全部奢ってあげるよん」
もはや玲の言葉を遮るようにして喋り、何としても主導権を渡さないつもりらしい。
そりゃそうだ。下手に長引かせれば、警察やら警備員やらを呼ばれてしまう可能性がある。成功するにしても失敗するにしても、短期決戦で済ませるつもりなのだ。
優月先生の仕事場からの帰り道、夜の街でああいうキャッチの男を見たことがある。もしかしたら本当にそういうところでバイトしているのかもしれないな。
————なんて、冷静に分析している場合じゃないか。
何と言って切り抜けたものかと頭を悩ませながら、とりあえず玲の下に近寄るべく歩き出す。
「女の子じゃない。そうじゃなくても、あなたたちと一緒にいる時間はない」
「えー、もしかして彼氏ぃ?」
「っ……」
そんな言葉が聞こえてきて、俺の足は一瞬止まってしまう。
玲は――――何て答えるんだろうか。
「……うん、そう。彼氏を待ってる」
にやけてしまいそうなほどの高揚感が、じわりじわりと心の奥底から込み上げてきた。
ただのその場しのぎの発言のはずなのに、この破壊力。
これは駄目だ。癖になる。
そうなってしまう前に、俺は頭を振ってその感情を振り払った。
さて、あの乙咲玲にここまで言わせてしまったんだ。役得だとか思う前に、まずは助け出そう。
「————うちの彼女に何か用ですか?」
なんて、少しかっこつけ過ぎたかもしれない。
窮地と言ってもいいこんな状況で、俺の顔は照れ臭さで少しだけ歪んでいた。
「あー……チッ、めんどくさ」
「行こうぜ」
「あーあ、"レイ"に似てていいなぁって思ったのに」
あっぶねぇ。ちゃんと知能だけはある奴らで助かった。
長引かせるだけ無駄だと判断してくれたのだろう。本当に恨めしそうに俺を睨みつけながら、二人組の男は俺たちの前から去っていく。
「ふぅ。問題は……なさそうだな」
「凛太郎、ありがとう。助かった」
「むしろ一人にして悪かったな。ちょっと染みがしつこくて」
「それも元はと言えば私のせいだから……」
「じゃあおあいこってことで、ここはひとつ」
俺は彼女の手から自分の分のミルクティーを受け取り、笑みを浮かべる。
そんな俺を見て、彼女も安心したように微笑んだ。
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