聖戦を絶つ剱

久守 龍司

プロローグ

 草原を切り裂くように存在する、途方もなく巨大な断層。そしてその断面に築かれた宗教都市ダシェナニ。崖に沿うようにして、あるいはくり抜いて建てられた建造物は階段状に都市を形成し、街ひとつが何かの芸術作品のようにも感じられる。


 ダシェナニの起源は遡ること千年前、分裂したペウセシド教団の一派であるダシェナ派にある。旧来の戒律と伝統を固持するダシェナ派は、より寛容なルダント派に正統の座を明け渡して久しかった。難解な戒律は市井の人々には浸透しなかったのだ。もはや復権は難しいと悟ったダシェナ派は新天地を求め、山脈を越えて東方のイェセクの地へと落ち延びたのだった。


 当時のイェセクは半遊牧の暮らしを送っていた。部族国家が勃興しては衰退し、文化の合流地ではあるものの交差点とは言い難く。ダシェナ派は技術、そして自分達の教義を伝えた。現地の宗教はぼんやりとした一神教で、読み書きをそれなりに必要とする商人が多かったこともあって、ダシェナ派の教義はあっさりと浸透していった。今では、イェセクの土地に根付いた国家宗教である。辿り着いた地には名が刻まれ、イェセクの首都に成長していた。

 しかし、ダシェナ派は国家の枠組みを超えた世界宗教の座に返り咲かねばならない。一派の上層部は、次第にその考えを強めていた。




 ダシェナ派の本部は、断層をくり抜いて作った建築の中でもひときわ大きく壮麗なものだ。青く彩色された陶器のタイルが壁面に敷き詰められ、ファサードだけでも周囲の家屋数軒分に及ぶ。手動の昇降機がいくつか、地上や他の建築との間を行ったり来たりしていた。その内部には無数の部屋があり、儀礼用の空間はもちろん、高位の神官と「親衛隊」や「不死隊」と呼ばれる常備軍の精鋭の住居も兼ねているのだった。


「……散逸したと考えられていた初期教団の聖遺物、聖剣が見つかったそうだ。“予見者”アルマーヴェズィ師によって造られた一振り……ウルタミシュ、お前はそれをルダント派に先んじて持ち帰るように。これはお前の、一の戦士としての能力を見込んでのことだ」


 儀礼用の部屋のひとつ。初老に差し掛かる年齢の人族の男が、正面に立つ少女を見据えていかめしく告げる。法衣を纏った男はやや禿げ上がった髪を一つに束ね、ウォードで青く染めていた。ダシェナ派の高位神官の証である。


「場所はどこなのですか」


 ウルタミシュと呼ばれた少女のほうは、軽装の戦士の格好をしていた。刃を通さないよう、塗料が塗られた色鮮やかな長衣には青銅の板がラメラ―アーマーのように飾られており、身動きするたびに金属の擦れる音がした。ウルタミシュは蛇系獣人族で、縦に切れた瞳孔の黄色い瞳と、白い模様の入った鮮やかな黄緑色の尾を持っていた。高い位置で結われた波打つ髪の色は灰色、日に焼けたように頬に赤みが差している。話を聞いているのかいないのか分かりづらく、眠たげにも見える。右側の腰に携えた曲刀には、不死隊第一位の戦士であることを示す「一」の数字が刻まれていた。


「ルダント派の本拠地、イコラント王国だ。商業都市ルマリヨン近辺の村にあるらしい。らしい、というのは……すまないが、情報は殆どないに等しい状況にある」

「そうですか……分かりました。最善を尽くします。帰還の際には、聖なる剣を携えていることでしょう」

「期待しているぞ」


 神官は返答に満足して顎髭を撫でる。

 イコラント王国は山脈を挟んだ先にある農業国家だ。高速魔導航空船を使って空路で向かえば時間はそうかからない。が、あまりにも情報が穴だらけ、むしろ穴しかない状況である。ウルタミシュは不安を感じたが、どの道断れるようなものではない。制度上は全ての信者は平等であり、神以外に跪くことは冒涜罪にあたる。だがお互い同じように向かい合ってはいても、教団では神官の方が戦士よりも上位の立場にあるのだ。ウルタミシュは簡潔に退出の挨拶を述べ、出立の支度のためにその場を立ち去った。


 高速魔導航空船の発着場はイェセクにはない。同じくダシェナ派を受容し、事実上の属国となっているエンデギが最も近かった。ダシェナニから馬を走らせ、乗り換えてもおよそ二日。高速魔導航空船は朝と昼の二回しか来ないが、乗ってしまえば一日もかからずルマリヨンに到着する。ルマリヨンから馬を借りて……近辺の村がどれくらいの距離なのだろう。一刻も早く辿り着かなければいけないのに。それも、イコラント王国を本拠地とするルダント派より早く。ウルタミシュは山脈よりも西に行ったことはなかった。



 ウルタミシュは、主要な通路からは外れた場所にある自室で旅の支度をした。まだ太陽は完全に昇りきっておらず、正午から馬を走らせれば二日後の高速魔導航空船には間に合う時間だった。

 水の入った皮袋が一つ、羊皮紙の地図が一枚、干し肉が七日ぶん、ついでに乾燥デーツも少し。燧石と、治癒魔術が込められたスクロールも持っていく。鞘があるとも分からない聖剣の刀身に巻くためのぼろ布一枚、そして上から羽織る防寒用の外套。あまり重くなると馬の負担になるが武器も必要だ。


 高速魔導航空船への乗船時には武器が回収され、降船時に返却される。不死隊の制服の長い裾は武器を隠すのにはちょうどいい。しかし航空船には低位でも金属……特に鉄を嫌い、見分ける力を持つ妖精族が同乗するらしい。ウルタミシュは左脚のベルトに装備している鉄製の短剣を外し、代わりに母親の遺品の黒曜石のナイフを付けた。黒曜石は脆いからあまり使いたくはないのが本心だ。不死隊の証である曲刀は、ダシェナ派の影響が及ぶ土地であれば揉め事を起こさずに済む。もちろんルダント派の影響下にあるイコラントでは逆に揉め事の種になるだろうが、布を巻いて誤魔化せばそれで済む。持って行かない手はない。盾か複合弓を持っていくことも考えてはみたものの、邪魔になるのでもう一本曲刀を持っていくことにした。小ぶりなもので辛うじて持ち運びが可能だ。



 手動の昇降機よりずっと早い魔導式昇降機で本部から地面に降り、すぐそばにある厩舎で汗血馬の一群を借りる。ウルタミシュは馬に満遍なく荷物を括り付け、そのうちの一頭にすばやく跨った。

 人の良さそうな鳥系獣人族の厩舎番が、馬上のウルタミシュに気さくに祈りの言葉を告げる。


「一の戦士様、任務かなんか知らんけど、頑張ってな! 神の御加護があらんことを!」

「ありがとう。あなたにも、神の御加護があらんことを」

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