四、


 それから二日ほど悩んで俺は、ギルドの主人が勧めてくれ、ヤアンが俺の泊まる宿屋が、遠すぎると文句を言うので、ギルドの屋根裏部屋に引っ越すことになった。

 勿論、リザイラをヤアンと共に協力して、守るのが目的でもある。

 二階には部屋が五つあり、二つはあの二人が、一つはギルドの主人が使っていた。

 あと一つは開かずの折れた地間らしいが、書類関係の部屋だろう。

 なるべく、女性と同じ空間は避けたいと言ったら、屋根裏部屋をあてがわれた。

 埃まみれの慣れない環境だが、俺が適応するか、掃除をすればいいだろう。

 風呂と便所は共同になってしまうが、俺の金銭的事情から、贅沢は言えなかった。

 扉を叩くことだけは忘れないようにしないとな。

 それと、今日から少しだけではあるが戦闘訓練をヤアンから、その友人のシドから槍の訓練を受けることにもなっている。

 あの退廃的な廃墟屋敷の訓練場にまた行くのかと思うと、今の俺には少し怖かった。

 神々と精霊が存在するなら、幽霊だって存在してもおかしくはない。

 最初に来た時に、ヤアンが屋敷にまつわる怪談をいくつか話してくれた。

――夜遅くまでいると、屋敷の足場が崩れて入れないはずの部屋の窓に女性の影が見える。

 などという、ちょっとした内容が今は怖い。

 俺の国でもそういう話はあったが、ありえないと思うだけでよかった。

 それを俺が告白すると、魔術師のリザイラはともかく、ヤアンまで苦笑しやがる。

「ひどいじゃないか、俺はありえないことがありえるって知ったばかりだぞ」

「オレは幽霊だと言ったか? 実際は特異点移動した魔女とか神官かもしれねえぞ?」

 特異点というのは、神官や魔術師が移動に使う仕組みで地面で魔力が強い場所を使って空間を移動する『場』らしい。リザイラは使えないらしいが、便利だとは俺も思う。

「特異点移動も面倒だぞ。あちこちを中継して移動しないと魔力の消耗が激しいんだ」

「アンタは使えるのか? それも神の血を引く特権?」

「いや試したいとも思わねえよ。やるならまずは教えを乞わなきゃ、どこに飛ばされるか」

 わかったものではない。ものらしい。ただ、その場所が視えるのは確かなようだ。 

 そんな他愛もない話をしながら、俺は昼時までの間に五回ヤアンに殺されている。

 ヤアンとの訓練は主に組手で喧嘩殺法と言えばいいのか、首を捻る寸止め、地面に叩きつけられ、馬乗りになられて喉仏を潰す――、目潰し、回し蹴りなどなどだ。

 俺の力ではそれらは殺しにも繋がらないだろうが、ヤアンの手に掛かると殺傷力が伴う。

 地面に倒れる度に、俺は殺されると思うのだった。

 リザイラは樽の上に座って見ていたが、それが少々不機嫌そうに見えるのは気のせいか。

「ヤアンはイノシシすら素手で絞め殺すんですよ。生きているだけマシというものです」

 俺が弱音を吐く度に、リザイラは微笑みながら嫌味や毒舌を吐く。

 その妖艶な微笑が嫌味や毒舌の時に、いつもより光り輝いて見えるのは俺だけだろうか。

「そんな女、嫌だな。って、うわあ‼」

 また俺は殺された。まだ、ヤアンと組手の最中だった。

「あー、のどが渇いた」

「お疲れ様です。飲み水これっぽっちしかありませんので、ヤアンどうぞ」

 ヤアンはカップ一杯の水を飲まずに、俺の顔にどばっと掛けた。なんの拷問だよ。

「うへぇ。おい、レオ。ギルドの井戸で水を汲んできてくれ」

「あと、少し回復させてくれぇ~」

 俺は全身がむち打ちにあったように痛くて動けなかった。

「行け!」

 ヤアンの低く唸るような声を聞いて、俺はすぐさま立ち上がった。

 ここの井戸は最近枯れたそうで、飲み水は買うか、ギルドまで戻らなくてはならない。

 俺ものどが渇いていたから、流石に補給は必要だ。三人で運べば、後に使う人間も水に困らないのにな。と思いながらも、女に手伝って貰うのは流石に情けないとも思う。

 本気でヤアンは女に見えない。澄まし顔の可憐な少女が傍らにいると余計だ。

 そう毒吐きなから俺は空の水瓶を抱えて走った。これすらも鍛錬なのかもしれない。

 とは言え、ギルドと訓練場はあまり離れた距離じゃないからお安い御用だ。


 水瓶に水が溜まる間、ギルドの主人からカップを借りて自分も飲もうと酒場に入る。

 一瞬、酒場に妙な男がいる。と思った。まず明らかに傭兵ではない。

 この酒場にはそぐわない上品な身なりをしている。

 上流階級の匂いがするが、気さくに傭兵たちと話をしていた。

 年齢は青年から老人と幅広い印象が残る。

 それにどことなく感じる既視感。俺の父に似ているのか。

 だが、男は唇に人差し指を当て、俺に沈黙を促し、姿を消した。

 何故か、俺はそれだけで納得してしまう。

 

 俺は水の入った水瓶を今度は背負って中身が零れないように走った。

「ほれ、水を、持って、まいり、ました、ぞ。少尉殿」

 息切れしながらも、俺は揶揄うようにヤアンに敬礼する。

「あ、おうサンキュー! お前から飲んでいいぞ」

 ヤアンは時々だが、トラシア語を使う。それは師匠がトラシア人だったからだという。

 訓練を始めてから、ヤアンにも優しい面が色々、見えてきた。少しではあるが。

 例えば、ヤアンが個人的に槍使いのシドに俺の指導を頼んでくれたのだ。

 午後は、商家の夜間警備に行く前にシドが俺に槍の鍛錬をしに来てくれる。

 最初は稽古を付けてくれるもんだと思っていたが、そうではない。

 傭兵にしては優しい顔の彼も槍の鍛錬だけはやたらと厳しく、人食い鬼のようになった。

「もうちょい体幹と腕力を鍛えろ。長物ってのは動体視力だけじゃだめだ!」

 シドはそう言って俺に目隠しをして、つま先立ちで樽渡りをさせたり、片腕立て伏せをさせるだけで、本題の槍は素振りだけだ。俺が疲れを見せると俺は槍の石突きで突かれた。

「情けねえな! 今日はオイラはもう行く。また明日頑張ろうな」

 優しい言葉を残してシドは涼しげに去っていった。

 仕上げに、ヤアンと一戦交えるのだが、疲労困憊の状態ではまともには戦えなかった。

 毎日、水が無くなる都度、水瓶を持って走らされるせいでもある。

「一朝一夕に強くなれねえんだ。今は耐えろ」

 その日はヤアンの冷たい言葉の裏に暖かいものを感じたりもするが――。

「頑張ってくださいね。そんなんじゃ、いつまでも人助けなんてできませんよ」

 リザイラの優し気な微笑みの裏には、何か違うものがあるような気もした。

 何日経過したかと思えば、実際はまだ六日しか経っていない。その齟齬は俺が訓練中に何回も殺され、伸びていたからで、魔法やら魔術的なことではない。

 ヤアンは依頼も請けず、自ら重んじる巡回と称した散歩の時間を訓練に割いていた。

 もう一つ大変なことは、知識の復習と新しい知識の学習を並行して行うことだ。

 気が逸れて集中を欠く。目新しいことに関しては驚く。それを克服させたいらしい。

 夜はギルドの酒場でうとうとしながら食事をして部屋で泥のように眠った。

 そして、その七日目の昼過ぎ、また俺が水瓶に水を汲んで戻ってきた時の事である。

 何と言うか、二人の様子がおかしい。

「何か、黄昏が早くないか?」

「やはり、そう思いましたか」

 黄昏がどうと言ってはいるが、二人の視線の先は例の窓辺に向けられている。

 俺も釣られてそちらを見やる。窓に長い髪の女の影が見えた。

「魔女の移動中?」

「いや、あの女はずっと、こっちを見てんだ。見つめてるというか」

「ヤアンは、巫者なのでしょう? あれが人かどうかわからないんですか?」

「ううむ。ちょい遠いんだよ。そう見えるようになってるのはわかるが――」

 ヤアンが首を傾げながら肩をすくめて、まさにお手上げという感じで言った。

「幽霊は夜の存在だろ? なんで黄昏?」

「本当に怖いのは黄昏なんですよ。まだそこまでは読んでないんですね」

 リザイラが言っているのは俺が二日前から読み始めた数冊の児童書のことだ。

 ヤアンがこの街の図書館で借りてくれて、今は俺の教本となっていた。

 あの本にはそんなことまで書いてあるのか。じゃなくてだな。と気持ちを切り替える。

「そんなことよりこの状況だよ!」

 まだ、昼過ぎだというのに、ここだけが夕暮れの時間みたいになっていた。

 ヤアンの耳がぴくりと動き、咄嗟にリザイラを壁に立たせて、庇うように立っていた。

「どうした?」

「狼の声がした。それも数が多い」

「それってアンタの神か?」

「違う! 野生の群れだ。ここには結界が張られてないから、魔術師だろう」

 それこそ、ヤアンの声が狼のように唸り、俺はとっさに相棒の槍を掴んだ。

「そこにいるのでしょう? そろそろ出てきてはいかがですか?」

 リザイラの声が果敢に響く。

――あーははははは! 見つかってしまったわね。

 直接、頭の中に響くような狂気に満ちた笑いと声がする。

「今の聞こえたか?」

「当たり前だ」

 ヤアンが呆れながらも、警戒を緩めずに言った。

「リザイラの罪は議会の計らいで魔術図書館側も合意して、許されたはずだ」

――知っているわ。でも許せないの。

 また、声が頭に響く。悲しい声だった。

「組織なんだろ? 個人的な感情は捨てるべきだ!」

 ヤアンがいつになくまともなことを言っている。

――そこにいる魔女は私の愛しい人を手に掛けた。

「ほう、そうかい。なら姿を現せ。復讐なら止めない」

「ヤアン⁉」

 リザイラと俺の口から同じ声が漏れる。

 それでもヤアンはリザイラを背に守ったままだ。

「みすみす、思いを遂げさせるワケねえだろ。それも覚悟の上だろうさ」

「それって、意味が違いませんか」

 空気中に、水の波紋のようなものが縦に現れる。そこから狼の群れが続々と現れた。

 そして見事なまでにブロンドとオリーブの肌に茶の外套をまとった美しい女性も現れた。

 その姿を俺はどこかで見かけていた。が、思い出せない。

「ほう、随分な別嬪さんだな。上玉と言うべきか?」

 ヤアンの口角が狼の口の如く犬歯をむき出しにして吊り上がる。

「それ順番が逆じゃないか。何て言うか魔女ってみんなが黒服ってわけじゃないんだな」

 この妙な緊張感のせいで思わず、そんな感想が冷静に口から出る。

「黒服を着るのは黒魔術師だけですって、なに呑気な事、言ってるんですか!」

「リジィ、あの美人は愛する人をお前に殺されたって言ってるけど?」

「逃げる時に人を殺したりしてません。殺すも何も、出奔したこと自体、気が付かれませんでしたよ。確か、三か月か半年ぐらい気付かれてはいなかったはずです」

「お前、そんなに存在感薄いのか?」

「魔術図書館そのものの人口が多いんです!」

 呑気にという程でもないのだが、俺たちが話をしている間に狼の群れは俺たちを囲んで、壁を背にしたことで逃げ場のない状況になっていた。狼の数なんてもう数えたくもない。

「おい、別嬪さん、リザイラは身に覚えがないらしいぞ」

 ヤアンが女性に声を掛ける。

「ベラと呼んでくれるかしら? あの人はいつも私をそう呼んでくれたわ」

 うっとりと、呟くように言った彼女に俺は違和感を感じた。

 何というべきか、焦点が合わない瞳と生気というものがオリーブの肌に感じられない。

「ベラ? ああ、ヴェラか。麗しの君とかそういうあれか」

 ヤアンが微妙な余裕を見せた。そう見せようとしていると言った方が正しいだろう。

「そうよ。なら、この贈りギフトの意味もわかってくれるかしら?」

「狼のことか? 気が利いてるが、ちょっと凝り過ぎだと思うね!」

 ヤアンとベラと名乗る魔女が、俺には意味の分からない会話をしている。

「狼どもよ。そこの背徳の魔女を喰い殺しなさい! その肉、その血を一滴と残すな!」

 ベラの声で狼の群れが長を筆頭にリザイラへと向かってきた。

 リザイラの身は俺とヤアンの背後にある。最初に食われるのは、ヤアンか、俺か。

 俺は狼に食い殺されて、ここで終わるのか、それは嫌な最期だ。と思っている横では、ヤアンが何故か余裕の表情を見せている。口許は動かないが、目元がほころんでいる。

 リザイラだけでも狼から守れるだろうか。そんな心配が頭をよぎり、強く槍を握った。

「レオ、狼に手を出すなよ」

 俺に強く言って、ヤアンは無防備にその腕を狼に曝し、群れの長と思しき狼にヤアンは自らの腕を喰らいつかせる。

「アンタ、何やってんだ!」

 狼の鋭い牙がヤアンの腕の肉に突き立てられ、喰らい付いたまま離さない。

 白いガントレットカフスが赤黒く染まっていく。ヤアンは籠手などしていなかった。

 もう片方の腕でしっかりとヤアンがリザイラを守るように押さえつけ、その動きを制す。

 リザイラは明らかに動揺しているが、ヤアンを助けようと、もがいてもいる。

 ヤアンは喰らいついたままの狼の長をじっとり睨め続けた。その時に、ヤアンの銀髪の蒼い艶が色味を増していくのは、決して錯覚じゃなかった。

「がうっ!」

 ヤアンが吠えた。比喩でもなんでもなく、ひと声だけ噛みつく勢いで小さく吠えた。

 途端、高い悲鳴が上がる。最初は狼の声、次はベラの声だった。

 狼の群れが反旗を翻したかのように、ベラに向かっていき、喰らい付こうとする。

「よせ!」

 強い制止を命じる高いしゃがれ声と共に狼は先頭から伏せていく。

 俺はぼたぼたと地面に流れる血の匂いが鼻に衝いて、くらくらと眩暈がした。

 安堵したようにヤアンはリザイラの守りを解き――それでも、リザイラを背に隠してはいるが――自分の傷付いた腕を庇う。

 ヤアンの顔色を窺うように狼の群れがまたこちらを向く。当の本人は自分の腕を抑え、笑っていた。いいんだ。と言わんばかりの許しの笑みだ。

 俺が、何でそんな顔が出来るんだよ。と問う間もなく、ヤアンは剣を抜いてベラに迫る。

 そして、そのオリーブ色の首筋に銀色の刃を突き立て、魔女と睨め合いながら頸動脈に沿う形で、それを顔までぎりぎりに這わせた。嫌らしい笑みでヤアンの顔が歪んでいる。

「もしも次にリザイラを狙ったら、その美しい顔とはさよならだ。わかったな?」

「くぅ!」

 ベラが初めて人間らしく悔しそうに表情を歪めた。そして、またあの空気に水の波紋が現れて、悲しみと恨みのこもった目でベラは中に吸い込まれるようにして消えていく。

 何故だろう。俺たちの方が悪いことをしていると錯覚しまうこの光景は。

 ベラが完全に消えて、本当の黄昏を迎え、我に返ったヤアンが最初に声を上げた。

「あ、あの魔女。狼、おいていきやがった!」

 ヤアンの周りに群れが出来て、その全てがヤアンに従うつもりで伏せている。

「アンタ何やったんだ? これも魔法か?」

 俺は戸惑いながら当然のようにヤアンに訊ねたが、逆に戸惑いの表情が返ってきた。

 ヤアンは大きく息を吐いた。そしてまた吸い、何かを押さえ付けるようにまた吐く。

「ヤアン、大丈夫ですか?」

 リザイラもなにやら深刻な顔でヤアンの肩から背中をさすっていた。

「あ! おい! 傷口は大丈夫なのか?」

 俺は急にヤアンの受けた傷が心配になって、彼女の腕に触れる。

 そこには血の痕跡こそあるが、傷そのものが消えていた。

「お嬢さんの薬石じゃあなさそうだな」

「まず、オレが狼にやったのは群れの長を呪から放つことだ。オレの血でできるんだ」

「じゅ? えっとそれはどんなものなんだ? わかりやすく頼む」

 俺の教本はあくまで児童書だ。大人が使う言葉は出てこないか、記され方が違う。

「呪文や呪いだ。そういうのは対象の行動を縛るんだ。あの女はそれを狼にやってた」

「狼を操っていたのか?」 

「そうだ。だから、それを血で放って、長を俺に服従させた。群れは長に従うんだ」

「それでこいつらは魔女に反旗を翻したのか」

 ここにいる狼たちは今や、ヤアンのしもべと言うわけか。

「呪いは返るんだ。オレ自身の血の特性で解き放つとな。魔力に対抗力があるからな」

「抵抗力じゃなくてか。で? えぐれた肉と傷はどこに行ったんだ?」

「肉は狼の腹の中さ。オレの部族はみんなこうなんなんだよ。ほっといても治る」

「もう少しわかりやすく頼む」

 俺の疑問にヤアンはそこだけはなんだか、ぼかしているように思えた。

「ヤアンには強力な自己治癒能力があると言った方がいいですかね。治りが早いんです」

「化け物だとは思ってたが……」

 思わず漏れ出した言葉を俺は引っ込める。

「ああ、こんなの人間じゃねえよな」

 ヤアンはその力を毛嫌いしているかのように言った。

「いいや、アンタは人間だよ。但し『超』がつくけどな。そういう世の理なんだからな」

 ヤアンは俺の言葉にふっと笑った。

「そうか、お前は『超』馬鹿だしな。明日は訓練は休みだ。神官に会わなきゃ」

「ここも結界を張らないといけませんね。訓練やら鍛錬をやめるなら別ですが」

「そうだ! あの女の空間転移はなんだ? 特異点があそこにあったのか?」

 俺の指摘に二人とも少し考え込んでしまう。

「ヤアン、わかります?」

「ベラが出てきた場所にはねえんだ。それにあんなに派手なものじゃねえしな」

 ヤアンの言葉に、それは例の影の見えた部屋にはあるってことか。と俺は思った。

「リジィは?」

「空間転移であることは間違いないでしょう。ただベラの姿には帳が張られていて」

「オレにも視え難かったのはそのせいか。障壁かと思ってたが、そっちか」

「それってどっちも、自分に張る結界みたいな感じか?」

 俺の言葉に二人が驚く。

「なんだよ。勉強したんだ。土地に一定の者が入り込んだりできないようにするんだろ?」

 結界は、規模は違えど、魔術や魔法で作る壁や要塞のようなもので、あらゆる場所に、仕掛けてあるそうだ。結界の主が許したものしかそこに入れなくなるらしい。

 魔術はまだわからないことだらけだが、魔法は生命に最も強く働きかけるものらしい。

「そうです。よくそこまでわかりましたね。えらいえらい」

 リザイラが明らかに俺を小馬鹿にした口調で微笑んだ。

 どうにも彼女から最近は疎まれている節があって、個人的に切ない。

「まず、ギルドに戻ってシドに、今日の鍛錬は中止だと伝えよう。狼もどうにかしねえと」

 ヤアンが言った。どことなくヤアンの顔には疲労が見られた。

 ギルドの主人にも、襲撃のことを伝えなければならないらしい。

「ギルドに戻る途中の道も気を付けた方がいいぞ。前にあの女を途中で見たかも」

 俺がそれを伝えると二人が妙な面持ちになり、その意味を訪ねる力が俺にはもなかった。

 黙りこくったまま、俺たち三人は帰途に着いた。

「なんだい。その三人揃って幽霊でも見たような面ぁしやがって」

 ギルドの主人が俺たちを見て驚いている。

 それだけ、ヤアンもリザイラも精神的、肉体的にと違いはあれ、消耗している証拠だ。

「おいおい、まさかレオが音を上げたんじゃねえだろうな」

 シドが呆れているが、俺はいやいや。という意味を込めて手を振るしか出来ない。

「違えよ。リジィが襲撃を受けたんだ」

 それをヤアンが助け船を出し、シドを含めた他の人間も納得した様子だ。

「その割にお嬢ちゃんは……元気そうでもないか。一命を取り留めたって感じだな」

 ギルドの主人がいつもの陰気な溜息を吐く。

「ランドルフとブラッドを呼び戻した方がいいかいねえ?」

「いや、そこまでのコトじゃねえ。何せ相手は女だ。やばそうだったら言うさ」

「音を上げるのはヤアンか? でもそれも大事だぞ」

 老獪で巌のような印象のサイラスが言う。彼は歴戦の傭兵らしい。

「訓練場って結界が張られてないんだな。古い建物だからオレはてっきり安全かと」

 ヤアンがギルドの主人に向かって文句を言う。

「ほう、あそこで襲われたのかい。確かにあそこは結界を張ってない」

「珍しいな。ここは剣でも血でも斬れない結界が張られてるのに」

「ここは魔術図書館みたいなサンクトゥムの一種だからな。聖域というべきか」

「へえ、そうだったのですか。でも確実にここに存在していますよね」

「まあ、種類が違うって話だよ」

「そうだ! おっさん、襲撃に狼が使われて、呪を解いてそいつら放置してきちまった」

「そうかい。今は疲れてるだろうから、放っておいていい。ちゃんとあとで帰してやれよ」

 ヤアンの心配にギルドの主人は労いを示し、忠告していた。

 狼のこともあるし、サンクツムとかも気にはなるが、俺には今その余力がない。

「まあ、明日はドルディアの祝日だ。ゆっくり休むといいさ。飯は持っててやるから」 

 その言葉で、ヤアンの部屋にリザイラが入っていくのを俺は見届けて、自室に戻った。

 ヤアンと一緒なら、リザイラも大丈夫だろうし、心安らかだろう。

 そう思いながら俺は部屋に戻ると泥のように眠った。

 しかし、夕食を届けに来たギルドの主人の足音と肉の匂いで俺は目を覚ます。

「ありがとうな」

「起きたのか。なあに、見習い傭兵の体調管理も仕事の内だ」

「なあ、サンクツムってなんだ?」

「言葉が間違ってるが、魔術的な聖域のことさ。そんなことを訊きたいのかい?」

「今はそのくらいしか思いつかないから。腹も減ってさ」

「強い魔術師がつくった仕掛けだらけの空間だよ。詳しいことはリザイラに訊きなさい」

「アンタも魔術師なのか?」

「ここの仕掛けはギルドの主人が仕掛けたりできるものではないよ」

「そう、か」

 なんだか、眠たくて俺は珍しく、腹を満たすことより、再び眠ることを優先する。

「随分と好奇心が旺盛な子だ。もっと学びたまえ。青年」

 ギルドの主人の口調に違和感を覚えたが、強い眠気に抗うことができなかった。

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