1-3 和菓子職人とホッチキス

 翌朝、ムカゴが高校の教室に入れば騒然となった。

 高校生のガキどもが遠巻きに憶測と考え無しの嫌悪を口にした。

 ムカゴが二歳の娘を高校まで連れて来て、平然と膝に乗せたからだろう。今日はおばさんの通院日。クコの面倒を見る人がいないため致し方なかった。

 

 朝礼が終わると担任に呼ばれ、生徒指導室に連行された。担任と教頭と生徒指導の教師が並んでいた。


「その子は……」


 そちらが呼び出したはずなのに、生徒指導の教員は言い淀んだ。


「娘です。多分、先生、知ってると思うんですけど」


 一通り子供を高校に連れて来てはならないとの説諭があった。教頭と生徒指導の教師が教室を出て、女性の担任教師と二人残された。


「阿部君、将来のことはどう考えているの?」


 親切そうな言葉の裏から、蔑みが滲み出ていた。


「……大学に通いながら、和菓子屋を継ぐつもりです」


「その子を育てながら? 今でさえちゃんと育児と勉強が両立できてないでしょ?」


「両立?」


 ムカゴはすぐさま怒気を自制できなかったことを悔いて、幼い子供に言い聞かせるような口調に改めた。


「僕が和菓子屋で働くのはクコの養育費を稼ぐためです。でも、万が一和菓子屋が潰れた時、何かしらの肩書や資格を持っていた方が早く就職できるんじゃないかって思ったので、今のうちに大学に通っておきたいんです。両立なんてしません。僕の全て、クコが最優先です」


「今時そんな……」

 教師は絶句したようだ。


 今時? 女性でも自由に働ける時代なのにぃ、ってか? 知るかそんな価値観。


「阿部君自身の将来の可能性を潰して、子育てをするって意味なの? ご両親は何て言ってるの?」


 ムカゴの将来に口を出せるのは「ご両親」ではなく、下宿先の雇い主だ。まあ、そんなことは訂正しなくても良い。この場で大事なことは、


「言葉を返すようですけど、この世に娘より大事なものってありますか?」


 この女には到底理解できないのだろうなと憐れみを抱きながら、返答した。


 ムカゴの膝の上に座っているクコが、大きな瞳を不安げに揺らしてムカゴを見上げた。大人たちの話が理解できずとも、穏便でないことは十二分に察知している。クコは賢い子なのだ。


 ごめんね、と謝りたい気持ちを込めて、娘をやんわりと抱き締めた。顔をうずめるように艶やかなクコの髪に潜って、頭のてっぺんに口づけを落とす。

 クコは擽ったそうに、それでも担任の目を憚りながら遠慮がちに笑った。

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