第5章 アルテン島の謎

 結局、収穫がないまま、トランはどんどん歩いて行く。

「どこへ向かうんですか?」

「実家」

 北へ、北へと向かい、トランはどんどん村の外れのほうへ向かっていた。たくさんの花が、咲き乱れていた。ベゴニアやアンスリウム、ブーゲンビリアをはじめ、アミの知らない花々が育っている。

「すごい!」

 花々の先のほうには、背の高い植物の畑らしき場所も見えてくる。薄い緑色は、先の食事の印象から、トウモロコシと思われた。

「もう少し歩くよ」

 容赦なく言い放ち、どんどん進んでいくトランに、アミはもう少し眺めていたいのに、と名残惜しく思いながら、大きな実がなる木々の畑に入って行く。

「この木は……?」

「ココヤシ」

「たくさんありますね」

「実家はココヤシ畑なんだ。僕はやらないけど」

「どうしてですか?」

「……魔法使いがココヤシ育てるの?」

「いいじゃないですか」

「僕は村中から仕事が入ってきて、忙しいんだ」

 あちらこちらで見かけるのと同じタイプの民家が見えてきた。トランは真っすぐそこへ向かっていく。

「ただいまー。ちょっと友だち連れてきてるよ」

「トラン!?」

 奥から、やはり和装を崩したような姿の女性が出てくる。丸顔で、浅黒い肌のその女性は、現代の人ではないのだと考えると、まだ60歳にもなっていないのではないかと思われた。ただ、実際に会った印象では、皺が寄り、65歳、あるいはもう少し上かもしれないとさえ思えた。

「ちょっとトラン! あんた農作業も手伝わないで、勝手に出て行って、いったいどこで何してるのよ?」

 横から鋭い女性の声がする。お姉さんがいるらしい。

「別に独立したっていいじゃないか。僕には僕の人生があるんだ」

 トランはそう言い張った。アミの印象では、トランのほうが正しく思われた。だが、アルテンの文化は違うのかもしれない。

「また例の魔法とかなんとかって言うんでしょ? 少しは人の役に立つ、まともな仕事したらどうなの?」

「僕が人の役に立ってないって言うの? 姉貴、それはただ、姉貴が僕のこと認めようとしないからじゃないか」

 アミは思わず苦笑してしまう。自分も家ではひどい扱いを受けていたな、と思いながら。

 親っていうのは、だいたい自分の世代の価値観で子どもを判断していると、アミは思っていた。アミ自身、会社員として働かないといけない、という価値観を押しつけられたし、母親は母親で、アミにだけ刺繍のセットやステンシルの道具を買い与えて、兄には武道を習わせていた。アミの父親は、体罰を推奨する人でもあった。アミは、そんな父親を暴力的だと言って非難した。最後は冷戦のような状況だった。

 トランはどうにか妖精の資料について問いかける。

「そんなの、あなたのおじいさんしか、知らないわよ」

「母さんのお父さんじゃないか」

「知らないものは、知らないの。妖精の名前を明かしたらいけないと思っていたのよ」

「まあ、母さんじゃ、守り手として、弱かったんだろうな」

 トランは納得したようにうなずいた。

「何が言いたいの?」

「知ってたら殺されてたかもって思って」

「だれによ?」

「ヴァーミアに」

「ヴァーミアって……」

 トランの母親は、言葉に詰まったように黙り込む。何か得体の知れない恐怖に襲われたような目でトランを見つめている。

「気にしないで。今のところは大丈夫。ただ、僕は今、妖精と一緒なんだ。それで困っててさ」

「……そこに妖精がいるのは、見えてるよ」

 そう言ったまま、座り込んでしまう。

「家の中を調べてもいい?」

「勝手にしなさい」

 トランは母親が言い終えるか終わらないかのうちに、もう棚の一つに近づいている。

「……いや、こんな表立ったところには、何もないだろうな。あったとしても……」

 トランは仲間たちに手招きして、別の部屋へ移動する。

「この奥から始めよう」

 狭い部屋だった。部屋の周りは、ほとんど棚ばかりで、奥に机が一つある。棚には、本やらノートやらが、びっしりと詰まっている。書斎のようだった。

「少しでも妖精に関する資料を見つけたら、教えて」

 アミたちは、棚を分担する。アミは自分が受け持った棚の左下から、右上に向かって見ていくことにした。下にあれば、背伸びをしなくて済む。

 ぱらぱらと資料を見て、内容を把握しようと努める。言葉が少し古いようで、文字だけでは読みづらかった。最初の資料は、村の気象についてで、イラストがかなり入っていて、比較的、見やすかった。アミは棚を見上げる。これと同じ言葉で書かれた資料が多いはずだ。英語で読むのとどっちがマシだろう。とはいえ、イラストや漢字で内容のイメージはつかめるかもしれない。それらしい資料を見つけたら、そのときはトランに声をかければいい。

 気を取り直して、次の資料に手を伸ばす。同じような資料が何冊か続き、次は村の祭りについて。アミが見る限り、このあたりには村に関する記述が多かった。

「どんな感じだろう?」

 しばらくして、トランがみんなに声をかける。

「言語の研究資料ばかりですね」

 バートが最初に反応した。

「村に関する資料です」

 アミも応える。

「うーん、わたしのところには、小説みたいなのが多いかなぁ」

「そうか。僕が見ているところには、村人たちの伝記や、農業関係の資料があったけれど」

「妖精に関する記述なら、言語は関係ないでしょうね」

「バート、アパラチカ、たぶんそのへんは違うから、僕とアミのところを手伝って」

「わたし、トランのほう手伝うよ」

「じゃあ、僕が村のほうかな」

 バートがアミのほうへ来る。

「右上から見てくれる?」

「ああ。高いところからのほうがいいか」

 ぱらぱらと資料をめくり、バートがうめいた。

「うぅ……手書きで書いてあるよ、これ。かなり読みづらいんだけど」

 アミは思わずバートの手元を見る。一応、ペンの文字ではありそうだったが、ところどころにペンのインクが薄れている箇所もある。アミが見たページには日付が入っており、天候とか、こんな研究をしたとか、書かれている。

「これって、日記?」

「そんな感じだよね」

「見せてくれ!」

 トランが反応した。ひったくるようにノートを取ると、棚に寄りかかって、アミには信じられないような勢いでそれを読んでいく。

「間違いない。祖父の日記だよ」

 トランにつられて棚を見上げる。同じような背表紙が、その棚の上のほう、二段分を占めている。

「ここに何か情報がありそうだな」

 バートが手を伸ばした。日記が入った棚から、同じ背表紙のノートを机にどんどん積んでいく。アパラチカがその一冊を手に取り、眺め始めた。アミもそれに続くが、文字が読みづらくて、進まない。

 そうしている間にも、トランはどんどん日記を読んでいた。

「ああ、妖精研究について、書いてあるよ!」

 トランはその部分を声に出して読み始める。

「……の洞窟の中に隠し場所を設け、そこに妖精たちの名前を保管し……」

 トランはぱたんとページを閉じる。

「この日記を持っておこう。それと、日記の束は僕の家に運び出そう。バート、荷車を用意してくれないか?」

「わかりました」

 バートが部屋を出て行く。

「家には厳重に魔女除けの魔法をかけないと。一応、かかってはいるけど、もっと厳重に、だ。それと、運んでる途中に荷車を襲われても、まずい。アパラチカ、何かいい方法はない?」

「さあ。相手の手の内がわからないと……とにかく、まずは情報を集めて、こっちの動きに気づいていないかどうか、確認してみるのが先かも」

 アミは、はっとして部屋を見回した。盗聴でもされていないかと気になったのだ。ただ、もしヴァーミアが盗聴するとすれば、それは盗聴器を使ってではない。

「どうしたの?」

「あ、いえ。盗聴されてないかと思って」

 トランの顔が険しくなる。

「家族に被害が及ばないといいけどな」

 アミは、トランと自分の境遇が、実際には違うんだろうと考え直す。アミは、家を出てきてから、家族に連絡を入れていなかった。心配されていてもおかしくない。捜索願が出ていても、不思議ではない。船上では携帯の電波が届かなくなって、電源を切ってしまったが、そのまま電源も入れずに放置してしまっていた。

 アミはバッグからスマホを出してみる。日本の人たちが島にも来ていたから、ここにいれば通じるのかもしれない。だが、もし家族から連絡が入っていたら、アミは話したいだろうか。アミはスマホをバッグに戻してしまう。まだ、見なくていい。この問題が解決したら、いくらでも説明できる。

 トランのお母さんがお茶を持ってきてくれた。バートも一緒に戻ってきた。

「荷車は庭にあります」

「ああ、助かるよ。少しお茶でも飲んで休もう。移動の方法を考えないと」

 トランはバートに、アイディアがないか尋ねる。

「そうですね、トランさんは一緒にいないほうがいいかもしれないです。アミさんと僕で、運びますよ。そうしたら、向こうも気づかないでしょう。トランさんは、少し先を歩いて、何か問題があったら、アパラチカに伝言させてください」

「それはいいね」

 仲間がたくさんいたほうが、有利なのは事実だろう。アミは恵を懐かしく思った。恵は怖いもの知らずだった。ここにいれば、どんなに心強いだろうか。だが、巻き込みたくない、大切な友人だ。

 お茶は緑茶だ。日本から輸入したのだろう。アミは、アルテンでハイビスカスのお茶が飲めるかもしれないと思った。添えられている砂糖菓子は、アルテンで簡単につくれそうだった。

「日本みたいに洋菓子は入れないんですかね」

 バートがトランに話しかける。トランはまだ何か考え込んでいそうな、煮詰まったような表情をしていたが、バートに声をかけられ、ふと顔を上げた。

「ああ。あ、いや。輸入はそんなにしてないんだろう。お茶はともかく、菓子くらいなら、ここでもつくれるから」

「だけど、種類はだいたい似たようなものですよ」

「だろうね。だけど、アルテンは、ほら、金銭的に日本政府に依存してるから」

 そういえば、政府が税金で賄っている部分も多いはずだ。アミは少し気が重くなる。決して経済状況がいいとは、言えないはずなのに。

「まあ、だけど、いいんじゃない? アルテンはアルテンで、貢献できる部分もあるんだから。日本と同じで、ここは水資源が豊かだし、ほら、砂糖や花、それに南国の植物が育つから、日本はお金の代わりにそれを持って行けばいいんだし」

 トランの言葉に、アミは世界の農家と金銭事情について考える。一般に、農業を営んでお金持ち、という話は、あまり聞かない。どちらかというと、農業国は貧しいイメージのほうが強い。人間の生活に欠かせない仕事であるにもかかわらず、優遇されているとは言えないと思った。

「農業じゃ、十分とは言えないでしょう」

「それじゃあ、魔法薬でも売るかい? あれも多くがアルテンで生産してる薬だからな」

「確かに、それはおもしろいかもしれませんけど」

 トランは笑った。

「日本は割とファンタジーが好きな国だそうじゃないか。行ってみた限り、アニメやゲームがたくさんあったし」

「まあ、そうですね」

 アミは肯定する。

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