第一章 ヒーレンヴィルナの人工精霊
1.真っ赤なアレが飛んでくるのです
こんな状況になれば、さすがに避けるのも面倒になります。
春の心地よい風が吹く、清々しい朝だというのに、まったくもって面倒なのです。
だからと言って、私は生来の『メンドクサガリ』と言うわけではありません。どちらかと言えば、マメな方だと認識しています。
まだ、おばあちゃんが生きていた頃は、言いつけに従って、毎朝かかさず黒フサスグリの木に水をやっていましたし、夕方には家の前に灯す
そうです。ちゃんと意味があって、因果応報にもとづく結果が伴うのであれば、それは面倒なことであっても、必要なことと認識しているのです。
それを行う事は義務であり、はたまたそれは社会的な奉仕、いや仕事と言うものにも繋がっていくのです。そんな日々の積み重ねこそが、私と世界を、より良い方向へ運んで行くと、細やかながら、信じているのです。
ですが、これは、理に適っているとは思えません……。
始まりは三日前のことです。
朝の
どこからともなく、真っ赤なリンゴが、私の顔を目掛けて飛んできました。
最初はびっくりして、右手で顔を覆い、目を瞑ってしまいました。
しかし、リンゴの当たる気配がしません。
あれっ? と思い、恐る恐る目を開けて、辺りを確認すると、私の背後でリンゴはコロコロと地面を転がりながら、ポワンと消えてしまいました。
ははぁん、これは……、
幻導力、それは魔法の様にも見えますが、決してそうではありません。これは一種の幻を操るもので、光の屈折を利用した蜃気楼に近いものです。なぜ近いかと言いますと、実は光の粒である光子を利用するのではなく、幻の粒である
ですから、二つ飛び級で、このオボステム市立の幻導大学校に入学した私にとってみれば、こんな初歩的な幻導力を見抜く事は造作もありません。
だからと言って、幻導物のリンゴに驚かされたことに、目を瞑るつもりもありません。
私は頬を膨らませて、辺りを窺いました。
すると、左手前方の実験棟と幻子力研究所の間の人込みの中に、ニヤケ顔のハル君を発見しました。
なるほど! この幻導物のリンゴの生産者はハル君ですね!
ハル君は、私と同じイビラガ村の出身で、ちょうど一年前に、半島統一のどさくさに紛れて、このオボステム市に潜り込んだようです。
どういう経緯で、潜り込んだのか、詳しい事情はまだ聞いていませんが、私がこの大学に入学できたのは、少なくともハル君の計らいがあったからだと思います。北方のオーク王国出身の私たちが、大都会であるオボステム市で暮らせるなんて、村にいた頃には考えられない事でしたから。
本来、オボステム市は独立自治を行う巨大な城塞都市で、ボアム半島随一の文化的な街として栄えてきました。しかし、戦争による分断を経て、現在はオーク王国の管理下にあります。
政治の事は、あまり詳しくありませんが、まあ、オークによる半島統一が実現した結果、私たちが大学に通えているという事実には変わりありません。
そういう意味においては、オーク王国に感謝しないといけませんが……、あれ? なんの話しでしたっけ? そうです! ハル君でした。
「ハル君ですね! このリンゴ!」
私は、悪びれるわけでもなく、ニヤニヤと嬉しそうにこちらを見ているハル君の前まで行くと、右手に真っ赤なリンゴを出現させて迫りました。
「やあ、おはよう! ルリリカ・ボタニーク、相変わらず、綺麗なリンゴを出すねぇ」
「そういうことじゃ、ありません! どうして、こんなことするのです? あれ? ってか、なんでリカです?」
「うん? なんで? まあ、そうだねぇ、一応は大学という公共の場所だし、リカ氏族に敬意を払ってフルネームの方が良いかなぁ? と……」
「そうなんですか? じゃあ、私もハル君じゃなくて、ハルセダリ・レープリって、フルネームで呼んだ方がいいですか?」
「セダリ……、うーん、それはそれで、ちょっと気持ちが悪いねぇ。僕のことはハル君でいいかな? なので、僕もここでは、今まで通りルリちゃんにするよ」
ハル君はそう言うと笑顔で続けました。
「しかし、そんなにボーっと歩いていると危ないよぉ。村と違ってここは人が多いんだからねぇ」
それでなのですね……、先ほどのリンゴは……、いやいや口で言ってくれれば済むことじゃないですか?
「はあ、でも、リンゴは投げないでほしいですね! ビックリするじゃないですか!」
「まあまあ、そうだねぇ。じゃあ、それは謝るよ。でも、こんなところで、お互い制服姿で会うってのも、なんだか気恥ずかしくてね。どう声を掛ければ良いか迷っている間に手が出てしまっていたよ。いや、正確にはリンゴが出ていたかな?」
ハル君はバカなことを言いますね……。しかし、まあ、なんだか気恥ずかしいのは、私も同じです。なんせキャンパスで会うのは初めてですし、なにより大学指定の制服である紺のローブを
入学前には、オボステム市内で何回かハル君にも会いましたが、その時は制服ではありませんでしたからね。
しかし、田舎の村から出てきて、都会の大学でお互いの新しい側面を見るとは、こういうことなのでしょうか? この時の私たちには想像もできないことでしたが……。
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