邪神の祝福または呪い
第46話新たなるプロローグ
いつの間にか眠っていたようだ。朝一人目を覚ました僕は咄嗟に額に手を当てる。
寝ぼけた頭で昨日の出来事を思い返して力なく腕を戻した。
圧倒的な人間の軍隊のこと、女神の使徒を名乗る女のこと、そして森神官のこと。
邪神と絡んで僕に血を流させる記憶。そう、記憶だ。
この世界のどこを探しても生真面目で魔法好きで、族長の下につけたことを喜んで、それでも僕についてきたゴブリンはいない。
記憶の中の存在なのだ。
なんとも思っていないようにしていたつもりだった。
そう思わなければならないほど、近しく感じていたはずだった。
それは自己愛に満ちた欺瞞だったのか。今となってはもうわからない。
僕が空虚な思考を巡らせている間に他のゴブリンたちも起き出していた。
集落の木の床も大分酷かったが、岩に直接寝っ転がるよりマシだ。
人間と比べたら鼻で笑えるほど酷い寝床だったが、野生動物としては恵まれていた。
草と毛皮のベットが恋しくなるくらいだ。
それでも寝入ったのだから、昨日はよほど疲れていたに違いない。
「よぉ、いい朝……とは言えないな」
目を擦りながら手を挙げて挨拶してするゴブリンリーダーに、僕も手を挙げて返す。
確かに小雨が降っている黒天だ。お世辞にもいい天気とは言えない。
「我々にとっては恵の雨だ。我々の臭いを洗い流してくれるかもしれない」
あの使徒の手下の狼は随分と鼻が効きそうだった。
下手しなくても臭いを辿られれば好ましくない事態となる。
「かもな……」
「……」
ぼんやりと返したゴブリンリーダーはその場に突っ立って僕をジロジロと眺めているままだ。
その無遠慮なはっきりと観察する目に晒されるのはいささか居心地が悪い。
「なんだ?」
じれた僕はついてぶっきらぼうに尋ねた。
「持ち直したのか、と思ってな」
「まあ、な」
眠ったのが良かったのだろう。虚勢を張れるくらいはなんとか心を落ち着けられた。
「そりゃよかった」
何度か頷いたゴブリンリーダーは食べ物を求めて動き出した。
僕も雑嚢から干し肉を少し取り出す。水なしで食べるのは苦痛ですらあるが、何か食べないと動けそうになかった。
モサモサと食事を飲み込み、唾を飲み込んで喉の渇きを誤魔化す。
さて、これからどうしよう。
「なあ、これからどうする気なんだ?」
同じようなことを考えていたらしいゴブリンリーダー。
「そうだな……」
東西南北の内、逃げてきた南はまず却下。先にウルズが派遣されたであろう北は……、逃げ出した僕をよく思わないだろうから却下。隠しても多分バレるだろう。バレなくても居づらい。
残されたのは東と西。森の奥へ進むか森を出るかと言い換えてもいい。
森の奥はより強大な魔物がいるだろうし、森の外には人間がいる。
どちらも一長一短。
僕の進むべきは……難しいな。
「東と西、どちらかにすべきだな」
「……なあ」
ゴブリンリーダーが真剣な顔を、マジな顔を見せた。
珍しい。昨日は切羽詰まった酷い表情だったが、これもこれで典型的なゴブリン顔の彼には似合わない。
「なんだ」
「東ってなんだ?」
疲労感。それから呆れ、最後に……馬鹿らしくなってしまった。
張り詰めていた糸が滑稽なこのゴブリンに乱暴にちぎられた。
「ぷくくく」
「そんなに笑うなよ!」
恥ずかしそうにしているゴブリンリーダーには悪いが、なんだか馬鹿馬鹿しくて仕方がないのだ。
ああ、やっぱり、死ぬのはやめにしよう。
確固たる理由もないまま、僕はなぜかそう思った。
理屈というには感情的で、決心と言うには打算的すぎる。
どうしようもなく曖昧で自分本位な決定だ。
それでも、取り敢えず生きていこう。そう、決められた。
「ぷくくくくく、悪いな。お前を笑うつもりじゃないんだ」
「これだから術師の奴は……」
「悪かったって」
僕は笑いを納めてゴブリンリーダーの肩を叩いた。
「東は太陽の昇る方、西はその反対。で、南は太陽がどちらかと言えば太陽がある方向、北がその反対」
指を指しながら僕が教えると、ゴブリンリーダーは何度か頷いた。
「なんか便利そうだな」
なんかじゃなくて実際便利なんだけど……まあ、その認識で問題ない。
「その通り。で、本題は我々が今後どこに行くべきかだ」
「ウルズ様に合流……したら殺させる未来が見えるな。戻るわけにもいかないし、かと言って森の奥にもいきゃしない。東に行ったらニンゲンがいるらいしけど、……ま、なんとかなるだろ」
「楽観的だな」
なんとかなるって。なんとかって具体的になんだよ。もっと論理的な説明が欲しい。
「いいか?」
ゴブリンリーダーが得意気に指を振った。
「自慢じゃないが、これでも俺はあんたより長く生きてる。その間にいろいろあったが、それでも何とかなってる。俺の勘を信じろ」
「信じろって……」
その無責任ながら意味不明な自信に裏打ちされた言葉に、僕は思わず頭を抱える。
勘ピューターの理論は銭形警部の代で終わりだと思っていたんだけど。
「真面目な話し、奥に進むのはやめた方がいいと思うぞ。俺は族長に付いて奥に行ったことがあるが、あのニンゲンの使い魔よりヤバイ奴がわんさかいた」
「マジで?」
真顔で聞き返した僕に、同じく真顔で頷き返す。
マジで?選択肢がなくないか。
「それに比べたら、ニンゲンのがマシだろ。弱い奴もいたじゃねぇか」
確かに、確かに弱い奴もいた気がする。
それでも、僕の魔術で先制攻撃を喰らわせて、かつ数の力で叩き潰しただけだ。
まともに戦っていれば結構危なかったと思う。
「強敵が多数いる場所と、一人一人は弱いが倒しすぎると強敵が現れる場所か」
……選択肢酷すぎない?なに、その二択。
いっそのことここで暮らすのは……ダメだ。追手たる使徒のことを考えれば遠回りな自殺だ。
僕はスッキリした、自棄になった思考でゴブリンリーダーの提案を飲むことに決めた。
「よし、もう少し北に進んでから森を出よう」
幸い、ゴブリンは夜目が効く。夜闇に紛れてしまえばこの矮躯を見つけるのは困難なはずだ。多分、きっと、プロバブリー。
「なぁ」
立ち上がりかけた僕にゴブリンリーダーは躊躇いながら声をかけた。
「なんだ」
「名を授かったのか」
ドキリとした。
別に後ろめたくもなんともないことなのだが、どこか落ち着かない。
「なぜ、そう思う?」
僕の抑揚のない声は、ほぼ認めているのと同じだ。
秘密にしていたつもりはない。言わなかっただけだ。あんな形で与えられた名など、言いたくもない。
「俺は他のゴブリンが名を与えられるのを見たことがあるんだ。なんとなくその時に似ている」
「勘かよ」
僕はボソリと呟いた。顔を輝かせるゴブリンリーダーに、それ以外に返す言葉を思いつかなかった。
「おいおい。名を与えられるってのはすごいことなんだぜ」
ゴブリンリーダーの顔には羨望と嫉妬とそして敬意があった。本当に名前を貰うことは名誉なのだろう。
ならば、拒否する理由はない。
「私の名前は……」
言葉が、続かなかった。たった二文字が口に出せない。僕の心のどこかが死に物狂いで拒絶しているのだ。
邪神の思い通りになってたまるかと。
「なんだよ?」
訝し気なゴブリンリーダーが僕の心を決めさせた。
まあ?修羅場と地獄がデフォルトな異世界で、僕は序盤の雑魚キャラかつ、ノーチートで邪神と戦う勇気なんざカケラもないけど?
邪神を利用はしても、思い通りに動いてやるなんて真平ごめんだね。
合理的でないことを承知で、あの野郎に中指たててやる。心の中でだけど。
「僕は、私は部隊長……いや、私こそが新しい族長だ。それ以上でもそれ以下てもない。私のことは今後族長と呼ぶように」
いつのまにか注目していた部下が、一斉に頭を下げた。
ゴブリン10匹と僕一人、いや11匹で再出発だ。
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