呪詛狩りのカーマイン
くしまちみなと
第1話 呪詛の街
「オニサーン。ちょっとつかれてるみたいよ!」
寝不足の疲れなのか目の下に濃いクマをつくり、少しふらついた足取りで俯き加減に歩いていたその男性は、そうかけられた女性の声に立ち止まり、怠そうに首を上げた。
声をかけてきた女性は、ビルの脇にテーブルと古風なランタンを置いて客を取っている占い師のようだった。マントのようなものを被って雰囲気を出しているために、姿形まではわからないが、手を振って見せたことから彼はそう判断した。
「うるせえな……わかってんだよ……。疲れてんだ……」
そうブツブツと返事にならない声をもらした。
疲れ切って弱った心につけ込んで何かを売りつけてくる性悪女に決まっている。彼はそう断定して彼女を無視し、またゆっくりと駅に向かう道を歩きはじめた。
仕事で上司にいびられ続けている。あきらかにパワハラに感じるのだが、最近、どういうわけか仕事がまともに上手くいってないのだから、そう言い返すこともできなかった。
そんなストレスを抱え続けているせいか、このところずっとまともに眠ることができない。もう、すべてが最悪だった。
いっそうのこと、このまま線路に飛び込んでしまえば楽なんじゃないだろうか――などと考えなくもない。
駅に向かう線路脇の道を歩くたびに、最近、そう感じてしまう。
――そうだ、飛び込んでしまえば……。
まるで何かに憑かれたかのように、彼は唐突に道路脇のフェンスに飛びつき、よじ登りはじめた。
「だから憑かれてるって言ったのに!」
その声と共にフワリと空気が揺らめき、それに遅れるように新鮮な柑橘系の果物の香りが彼の周りに漂い集まった。彼が見上げたフェンスの上には、真っ白い雪のような髪をポニーテール揺ったややきつめの顔立ちをした若い女性が、呆れた顔をして立っていた。ライダースジャケットに脚にぴったりしたスキニーパンツを履いていたが、その顔は先ほど声をかけてきた占い師らしき女性のものだった。
「なっ……?」
「自分の意志で電車に飛びつくならまだしも、呪詛に憑かれて飛び込んだんじゃその後処理が面倒なのよ」
女性はニッと笑ってから無情にも彼のあごを蹴って、フェンスから突き落とした。
「ぐっ……」
歩道に突き落とされた彼の隣りに音もなく降りた彼女は、腰に下げたシザーバッグの中から、なにか細いものと筆を取り出した。
「名前は?」
「はあっ!? なんでお前に……」
痛みを堪えながら彼は怒りで目を剥いたが、女性は冷たい眼差しで睨み据えられると、瞬く間に気圧されて俯かされた。
「早く名前と年齢、生年月日をいいなさい。すぐに!」
「なっ……名前も知らないお前に、なんで個人情報を言わなきゃいけないんだよ!」
男は精一杯の去勢を張って見せたが、彼女はフンフンと流すように頷き、
「あたしの名はメイシン。これで名前を知ったわね。さっさと名前と年齢、生年月日をいいなさい!」
と言って筆先を彼の眉間に突きつけた。
「後藤信二……平成10年5月7日生まれ……。23歳」
「良い子ね」
メイシンはニッと笑って筆をクルリと動かし、信二の額に墨で丸を描いた。
「ああーっ! なにしやがんだよ!」
信二がそう喚いたが、メイシンはまったく気にした様子もなく、筆を使って左手に持った細い板に信二の名前と生年月日、年齢を書き入れ、その板でペシッと信二の額に描いた丸を軽く叩いた。
そしてメイシンは右手に板を持ち替えてフッと板に息を吹きかけた。良く見ると、その板は人の形に切り抜かれている。
さらに左手の人さし指と中指を立てて刀印を結ぶと、
「
と唱え、最後の『疾』の声と同時に、刀印の剣先たる中指の先でその板を叩いた。
「ギリギリね」
「いったいなにしてんだよ!」
目の前で何が起っているのか分からない苛立ちから叫んだ信二を、メイシンは冷たい眼差しで見下ろしながら、右手に持っていた
「もうちょっとで手遅れになるところだったの。感謝して欲しいかな」
「なにがギリギリな……ふぐっ?」
わめきかけた信二の口をメイシンは手で塞ぎ、シッと言うように自分の唇に指を当てた。
その直後、チャッチャッチャッチャとアスファルトを爪のある脚で蹴る犬の足音が、信二の耳にやけにハッキリと聞こえた。
リードもなしに野放しにされていたら絶対誰かが通報するだろうというような、グレートデンよりも二回りほど大きい巨大な犬が暗がりから現われ、メイシンが投げ捨てた板切れを咥え、噛み砕いた。
何度も何度も……。
徹底的に噛み壊すというように、犬は板切れを加え直しては噛み続けた。が、そこで違和感を感じたのか、急に板切れを吐き出して辺りをキョロキョロと見回しはじめた。
凶暴な犬のその行為と、身体から放たれる禍々しい気配に打ちのめされ、信二の身体は震え、口を押えられていなくとも声すら出せない状況に陥っていた。
「ギリギリ……遅かったか……」
目を剥いたまま身動きすることすらかなわない信二をそのままに、メイシンはチッと舌打ちして筆をシザーバッグに戻し、手を合せてわざとポキポキと指を鳴らしてみせた。その音に気づいた犬が眼を爛々を輝かせて2人を顔を向け、低く身構える。しばしの睨み合いの後、犬が唸りを上げてメイシンと信二を睨み据え飛びかかろうとした矢先、メイシンはカチカチと歯を噛み合わせる甲高い音を鳴らした。
その音に出鼻を挫かれたのか、犬は嫌悪感たっぷりの表情を浮かべて一歩退いた。
不思議なことに、その
その証拠に身体の震えが止まり、声も出せるようになっていた。
「なんなんだよ……あの犬は……」
犬――
そう、一応それは犬の姿をしていた。
赤く光る
ツォン! ツォン!
犬は威嚇するように奇妙な鳴き声を放ち、牙を剥き襲うタイミングを計っていた。しかし、犬が飛びかかろうと身を沈める瞬間を狙い、メイシンが再び歯音を鳴らしてその出鼻を挫いていく。
それは古代中国から伝わる道術の〝
メイシンは犬が怯えた隙を逃さず、腰から背中に手を回すと、どこにそんな棒をしまってあったのかと思う長さ90センチほどの棒を引抜き、右手で構えた。
「犬……。お前じゃあたしに勝てない」
棒と見えたのは木製の剣だった。しかし、その刀身には定規のような目盛りが刻まれており、目盛りには様々な漢字が刻まれている。
メイシンは左手の刀印の腹で刀身を撫でるように鋒に進めると、鬼という漢字が刻まれた目盛りで指を止めた。
「
その朗々としたメイシンの叫びを聞いた瞬間、犬は雷に打たれたようにビクンッを身を竦ませた。
「その
その姿形を言葉として言われる毎に、犬はビクンと身を震わせ、唸ることも動くことも出来ないまま、爛々と輝かせる双眸に怯えの色を浮かべていく。
「
疾の叫びとともに、その犬はまるで体内に爆薬でも仕掛けられていたかのように爆散し、赤い血煙と共に消え失せた。
「よかったね。お兄さん。これであんたにかけられた呪詛は消えたよ」
開いた口を塞ぐことも出来ず、目の前で起きたこともまったく理解出来ないまま、ただ信二はそこに座り込み呆然とするしか出来なかった。
そんな信二を見てメイシンはクスリと笑い、『じゃあね』と後ろ手に手を振って夜の街に消えて行った。
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