第78話
次いで聞こえる威勢のいい女性の声。
ラグナルは驚きに目を見張り、背後を振り返った。
そりゃ驚く。
優れた身体能力や嗅覚を持つダークエルフに背後からとはいえ軽々と一撃を決めたのだから。
「イーリスもイーリスだよ。しゃんとしな!」
ラグナルの背後から顔を出し、そこに想像通りの人物――師である女調剤師ジーニーの姿を認めて私は頭を下げた。
「すみません!」
さっきとは違った意味で頰が熱い。
師の家でいちゃついていたのを見咎められたのだ。恥ずかしいなんてもんじゃない。
「まったく、なーに流されてんだい。易々と主導権を握られんじゃないよ。こういうのは最初が肝心だからね」
言いながら、ジーニーは右手に持った薬草の束を、苛立たしげに左の手のひらに打ち付けた。おそらく、それでラグナルの頭を叩いたのであろう。
そこではっとした。人間嫌いで、誇り高くて、喧嘩っ早くて、黒魔法ジャンキーのダークエルフが、見知らぬ人間に後頭部を薬草で叩かれて、エロエルフ呼ばわりされたのだ。
ジーニーは剣術の達人でもなれければ、嘗ては名うての冒険者だったなんてこともない。調剤師としての腕は一流だが、そうと知らなければごく普通の肝っ玉母ちゃんにしか見えない。実際、ジーニーは子沢山だった。大恋愛の末、裕福な商家の次男坊と駆け落ち同然に家を出て結婚して、子供を五人ほど産み、離婚して一人で子供達を育て上げたという豪快な女性である。豪快な女性であるが、武術の嗜みなどかけらもない。
私が慌ててラグナルの袖をひこうとしたとき、信じられないことに、ラグナルが頭を下げた。
「……場を弁えず、申し訳なかった」
「おや、なんだ。ゼイヴィアに聞いていたよりまともじゃないかい。わかりゃいいんだよ。節度を守る。相手の気持ちを尊重する。それさえ守れれば若人の恋愛にゃ、寛容なほうさ」
そういうとジーニーは支度をするから待ってなと言って奥の部屋に引っ込んでしまった。
ゼイヴィアにどんな話を聞いていたのかだろうか。まさか師にまで根回ししていたとは。ラグナルが戻ってくるのも予想していたようだし、つくづく油断ならない人だ。いや、それよりも……
――ラグナルが成長してる!!
大人になったラグナルは人間の世界の常識を少しばかり身につけただけでなく、忍耐も兼ね備えていた。
「おい、どういう顔だそれは」
ジーニーが去った扉から目を離して、私を振り返ったラグナルが、不服そうに声をあげる。
「感動しちゃって。ラグナル、大人になったんだなーって」
喋らない儚げな幼児から甘えん坊へ、甘えん坊から生意気な子供へ、生意気な子供から反抗期の少年になって、反抗期の少年から思春期を経て青年に。それが今や立派な大人である。
一人のダークエルフが成長していく様を目の当たりにしたのだ。これが感動せずにいられるだろうか。
本当に大人になったと、一人納得していると、ラグナルは眉を寄せた。
「俺はもともと成体だ」
元はそうかもしれないが、一年前は違ったではないか。
「なんだ、これだけかい。これじゃあ全く足りないねぇ」
戻ったジーニーは昨日私が採取してきたサオ茸を見て落胆の声をあげる。
この一年で彼女は私に一通りの知識を詰め込んだ。無論まだまだ経験は足りないし、希少な素材を使うものなどは、文字通り知識にとどまっている。
それでも一応はロフォカレ所属の薬剤師として及第点を得て、今私はジーニーと共にサオ茸を使った傷薬の改良に取り組んでいた。
素材が確保しやすく安価で効能の高い傷薬の安定供給を目指しているのだ。
しかしその、確保しやすいはずのサオ茸が手に入らないのでは話にならない。
「陽気で地面が乾燥していて、私が入れるところではこれ以上は無理です」
少し奥に入れば確実にあるに違いないのだが。
「キーラン達が帰ってくるのは今日の夜だったかい?」
「はい。でも明日一日休息をとったあと、明後日には先日の遺跡にもう一度潜ると聞いています」
「なら、仕方ない。一人で森の奥に入らせるわけにはいかないからね。落ち着いたらまた採りに行っておくれ。今度はキーラン達とね」
半年前までは薬草の採取は私とジーニーの末子の青年の役目だった。しかし兄弟子である青年は自立し、今は他の街で店を構えている。以来、薬草採取のお鉢は私一人にまわってくることになったのだが、少しでも一人で森の奥に入ろうものなら、ロフォカレの面々に小言をもらうハメになるのが常だった。
キーランには「イーリス、無茶をしても得るものはない」と静かに諭され、ウォーレスには「イーリスさんは自信家だな」と茶化され、ルツには「怪我をしては元も子もありませんよ。いえ、怪我で済むかどうかも怪しいのですから」と悲しげに言われ、ノアには「バカじゃないの?」と呆れた眼差しを向けられるのだ。ゼイヴィアに至っては「街を滅ぼすつもりですか?」と意味の解らない言葉を言われたこともある。
遺跡の探索が終わってから、と話がまとまりかけた時、ラグナルが口を開いた。
「森の奥に潜りたいのか? なら明日、俺が同行しよう」
そうだったラグナルがいた、と私はジーニーと顔を見合わせることになった。
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