第二部 三流調剤師と真紅の印
第75話
間違っている。
こんなのは間違っている。
何が間違っているって、美貌のダークエルフと手を繋いで街を歩いている今の状況だ。
すれ違う人々がラグナルを見て驚きに目を見張り、次に隣を歩く私を見て首を傾げ、さらに繋いだ手を見て、生温かい眼差しを送る。
とってもデジャヴ。
今はラグナルと再会した翌朝である。
昨日、一年ぶりに会ったラグナルは、見上げるほどに背が高くなり、体つきがしっかりして、大きな大人の男の手をもつダークエルフになっていた。
首に毛先がかかる髪は、癖が少し残ったままで、薄暗い森の中でも朝日の中でも、眩く輝いている。月光だの煌めくだのと言った小っ恥ずかしい言葉を、二つ名に織り込んだ人の気持ちも分かる。
黒剣を佩き、体の線に沿った黒い上着と、同色の細身のズボンを身につけた、すらりとした立ち姿は思わず見惚れるほどだ。漆黒だの宵闇だのと言った珍妙な言葉を、二つ名に織り込んだ人の気持ちも分からないでもない。
昨日は、なんとも言えない悔しさのようなものを胸に抱えたまま、森を出て街に戻った。街につくなり、さっと手を取られて無言で歩き、家につくなり解放された。
そのまま家に上り込む気じゃ……と思ったけれど、近くに宿をとっているとかでさっさと去って行った。
大人になったラグナルは多少、人間の常識を身につけているらしい。
で、今日の明け方、家を訪れたラグナルに、朝食へ行くと引っ張り出されて今に至る。
「あのー、ラグナル。もう子供じゃないんだし、この約束はなしでいいんじゃない?」
昨日街に帰ってきたときは、陽は地平線の向こうに沈み、辺りが暗くなりかけていたことが幸いして繋いだ手は余り目立たなかった。しかし燦々と朝日が注ぐ今は目立って仕方ない気がする。
ラグナルはちらりと私を一瞥する。
「反故にする必要性を感じない」
「いやいや、必要性だらけでしょ!」
「何故? 何か困ることでもあるのか?」
そこは逆に繋ぐ必要性を論じるべきではないのか、と思ったけれど、やや鋭すぎるきらいのある目でじろりと睨まれては、口を噤むしかなかった。
幾度か二人で来た飯屋の親父さんは、ラグナルを見ると一瞬、怪訝な顔をした。しかし、すぐにその表情を消し、パンにくず肉と野菜を挟む。
親父さんは狒々神討伐に参加していた。あのとき森にいた、小さなラグナルと目の前にいるダークエルフが彼のなかで結びついたかどうかは分からない。
寡黙な親父さんは無言でパンをラグナルに手渡した。
「あのー、ラグナル。今後の予定は?」
大人になっても大食漢なのはそのままのようで、あっという間にパンを食べ終わったラグナルにおずおずと尋ねる。ちなみに私はまだ半分も食べ終わっていない。
「ロフォカレに行く」
ラグナルの答えは簡潔だった。
「ロフォカレ? どうして?」
パンを持つ手がぴくりと震えた。まさか皆で口裏を合わせたことへの報復に行くのではと心配したのだ。しかしラグナルの答えは意外なものだった。
「俺の腕ならどこのギルドでも雇ってくれるとキーランが言っていた。ならロフォカレでもいいだろう」
「あのー、ラグナル。怒ってないの?」
そう問いかけると、ラグナルは腕を組んで、隣に座る私を見下ろした。
「怒っていないと思うのか?」
で、ですよねー。
「最悪の朝だった。約束の破棄を一方的に告げられた書き置きを見つけたときの気持ちが分かるか? ロフォカレの奴らは何も知らないとしか言わなかったしな」
勝手に姿を消したのは悪かったと思っている。
けど事前に告げられるような状態でもなかったし、記憶を取り戻したラグナルがどう出るか本当に分からなかったのだ。
あの朝、ラグナルは食堂のドアを蹴破らん勢いで現れて、「イーリスはどこへ行った!」と皆を問い詰めたらしい。打ち合わせ通り、皆は何も知らないと言い、さらにゼイヴィアが上手い具合に風呂場のある方向に視線を向けた。するとラグナルは身を翻して食堂を出て行こうとしたという。
それを止めたのはキーランだ。「イーリスを追いかけてどうする」とラグナルに問うた。しかしラグナルは問いを無視して歩を進めた。食堂を去る背に向かって、ノアがキーラン曰く自業自得な発言をし、黒魔法でちょっぴり焦がされた。というのが数日後に聞かされた顛末だ。
解呪が済んだラグナルは記憶を失ったりはしなかった。それはもう十分わかった。
勝手に消えたことは怒っていても、一年前の日々のことで私を恨んだりしていないことも、わかったと思う。
しかし十一回目の質問の答えについては、自惚れていいか、いまいち分からない。何せ相手は人間とは違う感性を持つダークエルフだ。
今日の質問は、私の記憶が確かならまだ六つ残っているけれど、朝っぱらから正面切って聞けるほどの勇気を持ち合わせてはいなかった。
「腹は立つが……。イーリスの行動もあいつらが庇った理由も、理解はしている。俺はもう物知らずな子供ではない」
そう言ったラグナルがどこか拗ねているように見えるのは気のせいだろうか?
以前のラグナルより理性的になったし、知識は増えている。しかし、この妙な違和感はなんだろう?
「記憶は完全に戻ったんだよね?」
五つ目の質問だ。私は最後のパンの欠片を飲み込むと、回数を数えながら尋ねた。ラグナルは「ああ」と頷く。
六つ目の質問をどう尋ねようか考えていると、さっとラグナルが立ち上がった。
「食い終わったのなら、さっさと行くぞ」
言うなり私の手を取り、ラグナルはロフォカレに向かって歩き出した。
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