サンタ過労死問題
山野わぐり
本文
私、ケイン・グッドマンは、かれこれサンタクロースを30年やってきた。
父、オーナメント・グッドマンが体調を崩した22歳の春。
あのとき私は、ただ純粋なエネルギーに満ち溢れていた。
それは先代から続くサンタクロースとしての役目を果たすことが出来るという、言うなれば「成人する」ことに対する高揚に近しい感情。
そして、父を安心しさせてみせる、という責任感から来るエネルギーだった気がする。
しかし、今はどうか。
身体が悲鳴をあげるとはよく言ったもので、まだ50代というのに身体は言うことをきかない。節々は錆びたブリキのおもちゃみたくキシキシ音をたてるし、痛風は南極じゃ死活問題だ。
そして、毎日のように届く手紙や、終わりの見えない仕事に半ば恐怖を覚えながら生活するのは精神的にも辛い。一番大好きな子供たちからの
「サンタクロース一人制度」はあまりに過酷だ。あのような大量の職務を一人でこなそうとして、先代のサンタ達はみな、過労死や少なくとも過労が原因と思われる病気で死んできた。
サンタクロースの、グッドマン家の、歴史は「死のマラソン」である。
死んでも子があとを継ぎ、そしてそれが死ねばまた子があとを継ぐ。
クリスマス委員会は、サンタクロースが一人でなければならない理由を「サンタの神秘性と唯一性の保持のため」と言い続けている。たしかに聞こえは良い。自分で言うのも難だが、サンタは特別な存在だ。
世界共通の、まさに夢の象徴。
が、「神秘性と唯一性の保持」は無意味な慣習であり偏向思考だ。
私の血筋は、150年サンタクロースを続けてきた。
その長い歴史の中で、神秘性や唯一性の有無で困ったことはないし、我々の個人の性質に指図される筋合いはない。それは、本来サンタクロース本人の決定することだ。
ましてや、あの規則が我々や延いてはプレゼント配給制度を危篤に晒しているのである。
しかし、サンタクロース本人の意見は何世代にも渡って蔑ろにされてきた。
我々の、当事者の、意見は。尊重されない。
であれば、世間にサンタクロースのあるべき姿を問うたことはあるのだろうか。
本当にサンタクロースは妖精でないとならないのか。
本当にサンタクロースは一人でないとならないのか。
クリスマス委員会がただ盲目的に、サンタクロースの理想像を信じ込んでしまっているだけではないのか。
サンタクロースは押し付けられた価値を、ずっと体現してきた。守ってきた。
しかし、それは旧来の、宗教的にあるいは民族的に限定された価値観に基づいている。
すでに世界は、そのような一辺倒な価値観から、もっと巨大でオープンな、それに移行してきているではないか。
私は困窮している。限界を迎えようとしている。私に、「あるべき姿」などない。
サンタクロースは告発する。
クリスマス委員会の差別的な体質と、職員の杜撰な扱いは許されるものではない。
サンタクロースは告発する。
我々には我々自身のアイデンティティーがある。それをクリスマス委員会は侵害している。
サンタクロースは告発する。
サンタクロースが死に絶える。
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