第66話 母と娘




 ガルヴィードの手を、ルティアが振り払った。

 顔を歪めたルティアに激しく拒絶されて、ガルヴィードの顔に絶望が浮かぶ。

 その顔を見たくなくて、ルティアは背を向けて走り去った。

 ああ。この時もっと彼の話を聞いていれば。

 彼のことを、理解しようとしていれば。

 あんなことには、ならなかったかもしれないのに。

 ルティアはぼんやり目を開けた。眠っていたらしい。城から帰ってきた格好のまま、寝台にうつ伏せになっていた。

 ゆるりと身を起こし、寝台の上に座り込む。

「ゆめ……」

 ぼんやりと呟いた。

 そこへ、ノックの音が響いた。

「ルティア……」

 静かに扉を開けて、キャサリンが顔を覗かせる。

「入ってもいいかしら?」

 ルティアは少し迷ったが頷いた。

「お父様がこれから王宮へ向かうの。何か、陛下に伝えたいことはある?」

 キャサリンが優しい声で尋ねてくる。ルティアは首を横に振ろうとして、——ふと、今し方見た夢の中の、ガルヴィードの顔が脳に過ぎった。

 すべてから見放されたような、絶望の表情。

「……あの」

 ルティアは小さな声で言った。

「ガル……王太子殿下に、罰を与えないでほしいと、お伝えください」

「それでよいの?」

「はい……」

「あなたは恐ろしい目に遭い、淑女の誇りを傷つけられたのよ。王太子といえど、許されるべきではないわ」

 その通りだ。でも……

「お願いします。今はまだ無理ですが……私はガルヴィードとちゃんと話さなきゃいけないんです。なんで、あんなことをしたのか……」

 ガルヴィードはずっと部屋にこもっていた。きっと、一人で何かを悩んでいたのだ。悩んでいたからあんなことをしても許されるというわけではないが、何があったのかをきちんと聞かせてもらいたい。

「あなたは、王太子殿下のことが怖くなってしまったんじゃないの?」

「怖くは……」

「ねぇ、ルティア。はっきり聞いてもいいかしら?あなたは、最初から「嫌だ」って言っていたのに、こんな目に遭ったらなおさら王太子殿下の子を産むのが嫌になったんじゃない?これから先、王太子殿下の子を産むことを受け入れられる?」

 ルティアは口を噤んだ。

「僕を、早く産んでください」そう訴えていた少年の顔を思い出す。雑に切られた短い髪はガルヴィードと同じ漆黒で、強い光をたたえた瞳はルティアと同じ藍色だった。

 あの子に会いたい。まだこの世にいないあの子に会うためには、ルティアが産まなければならない。

「義務ではなくて、あなたは「そうしたい」と思えるかしら?」

 母の言葉に、ルティアは瞳を揺らした。

「私は……」

 ルティアは拳をぎゅうと握り締めて心のままに叫んだ。

「産みたい、けどっ、今は産みたくないんですっ!!」

「それは、今すぐじゃなくて二年後か三年後か……」

「違いますっ!ガルヴィードがガルヴィードだけになってくれたらっ、そしたら今すぐでもいいっ!」

 キャサリンは目を丸くした。今すぐは流石に母親として複雑な気分だわ、と華奢な娘を見て思う。

 ルティアは目に涙を浮かべてキャサリンに訴えた。

「ガルヴィードの中にお邪魔虫がいるんです!そいつのせいで、私はガルヴィードを見ると嫌悪感が湧くんです!だって、そいつはずっと昔からガルヴィードを苦しめてるから!そいつを追い出さない限り産めない!」

 ルティアの言い分は滅茶苦茶だ。ガルヴィードの中に誰か別の人間がいるような言い方をする。

 キャサリンは首を傾げた。それから、昔、ルティアを王太子から引き離して自領に連れ帰った時のことを思い出した。

 あの時ルティアは、早く王都に帰りたい、ガルヴィードを一人で戦わせちゃいけない、と頻りに訴えていた。

 子どもの言うことだからとあまり真面目に取り合わなかったけれど、ルティアはあの頃からガルヴィードの中に誰かがいると思っていたのか。

 いったい何故そんなことを思ったのか、キャサリンには今一つ納得いかなかったものの、娘に重ねて尋ねた。

「じゃあ、あなたはこんな真似をした王太子殿下を許すの?」

 ルティアはへにゃりと眉を下げて、目を泳がせた。しかし、何か思いついたようにぱっと顔を上げてこう言った。

「私も無理矢理ガルヴィードのパンツを脱がしたので!おあいこだと思います!!」

 堂々と言うべきことではないわね、とキャサリンは溜め息を吐いた。



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