第61話 「自分」




 ありえない異常事態に城中が騒然としている。

 王太子ガルヴィードが、伯爵令嬢ルティアが訪ねてきたのに会おうとしなかった。

 王太子は病気か!?と誰もが狼狽える中、ルートヴィッヒ達三人は閉まった扉の前で根気強く呼びかけた。

「何があったんだよ?言わなくちゃわからねぇぞ」

「せめてなんか言えよ!」

「腹減らねぇの?飯だけでも食えって!」

 どれだけ扉の前で騒いでも、扉の向こうはうんともすんとも言わない。

 三人は顔を見合わせた。

「……何があった?」

「わからねぇ」

「ルティア嬢に会おうとしないなんて、おかしいだろ」

 闇雲に呼びかけても無駄だと察して、三人は一旦扉の前から移動した。

 遠ざかっていく足音を聞きながら、ガルヴィードは部屋の中で床に座り込んで頭を抱えていた。

 朝目覚めた瞬間から、冷や汗が止まらない。

 国王を殺し第二王子に切りかかられる魔王の姿が、自分だった。

 そんな訳がない。ガルヴィードの魔力値は平均以下だ。魔王になど、なる訳がない。

 朝からずっと自分にそう言い聞かせているが、あれがただの夢だと打ち消すことは出来なかった。

——どういう、ことなんだ?

 魔王とは、自分のことなのか。いや、そんなはずはない。だって、自分はルティアと子どもを作るはずなのだ。

 自分が……


 本当に、自分が、だろうか。

 ぞっとする想像に思い至って、ガルヴィードは背筋を凍らせた。

 自分じゃなかったら?

 自分の姿はしていても、自分ではなかったら?

 あまりのおぞましさに、ガルヴィードは両手を床について崩折れた。

 夢の中で歪んだ笑みを浮かべていた殺戮者、あれが、「もう一人の自分」だったとしたら。

 ルティアと子どもを作ったのが、自分じゃない「自分」だったら。

「はっ……、」

 吐きそうだ。

 そんなこと許せるはずがない。

 ルティアを渡してたまるものか。

「……消えろ」

 自分の中にいる「何か」に向かって、ガルヴィードはこれまで感じたことのない殺意を感じた。

「消えろっ、消えちまえ!俺の体は俺のものだ!」

 ガルヴィードの叫びに、体の中で何かがずん、と重くなった気がした。

 それが自分を嘲笑っているようで、ガルヴィードはぎりぎりと歯を食い縛った。




 ***




 ルティアはこれまで通り毎日城に通った。

 だが、ガルヴィードの部屋の扉は相変わらず閉まったままだった。ルートヴィッヒ達にも顔を見せないらしく、食事は部屋の前に置かせて誰もいない時に食べているようだった。

 ルティアや側近達だけでなく、使用人も第二王子も国王夫妻も声をかけたが、頑なに閉じこもったままで返事もないらしい。

 ルティアは扉の前で一生懸命ガルヴィードに話しかけた。泣いたり謝ったり勝負を持ちかけてみたり、ガルヴィードの気を引きそうな話題を探して語りかけたりしてみたが、なんの反応も得られなかった。

 結局、最後には使用人や側近達に促されて帰りの馬車に乗り込むのだが、しおしおとうなだれた姿は人々の胸を痛ませた。

「王太子殿下はいったいどういうおつもりなんだ?」

「ルティア様がお気の毒で、見ていられないわ」

「あれだけいつも傍にいたのに、今更なんなんだ……」

 貴族達の間にもガルヴィードの異変はあっという間に広まった。眉をひそめる者、ルティアに同情する者、態度の急変を訝しむ者など、反応は様々だったが、誰もがルティアのことを心配していた。

 そうして四日目にして、ようやくガルヴィードが部屋から出てきた。

 窶れた暗い表情で、ガルヴィードは側近達に告げた。

「……ルティアを呼べ」

 真っ黒な瞳には、暗い決意が宿っていた。



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