第3話 研究者は夢の中で船を漕ぐ
「……であるからして、魔法を極めんとするのであれば、神へ祈りを捧げ、神への信仰を深め、マナを神への供物として捧げなければならな……ロイフェルト!」
壇上に立つ、チョビ髭をたくわえ初老の教師は、言葉の途中でそう突然声を荒らげた。
すり鉢状になった講堂の中心にある壇上で教鞭を振るっていた彼の見上げる視線の先では、ひとりの生徒が、姿勢正しくピンッと背筋を伸ばし、それでいて瞳を閉じたままにへらと口元を歪め、教師のどなり声にも起きる様子もないまま座っていた。
「ロイフェルト! ロイフェルト・ラスフィリィ」
再度の
「あと5分」
ビキッ
再び瞼を閉じたロイフェルトに、遂には堪忍袋の緒が切れるチョビ髭教師。
「
と、怒鳴りあげながら、チョビ髭教師は手に持った石筆を、ロイフェルトに向かって投げ放つ。投げ放たれた石筆は、空気を纏って即席の弾丸となり、かくんこくんと舟を漕ぎ始めたロイフェルトの頭目掛けて突き進む。
そして、頭にぶつかり石筆が弾け飛ぶかと思ったその瞬間……
かっくーん
「んぎゃ!」
大きく船を漕いだロイフェルトの頭上を通り過ぎ、後ろでニヤニヤと彼が叱咤される様子を窺っていた男子生徒の額にぶち当たって弾け飛んだ。静まり返る講堂内で、石筆弾を食らって椅子ごとひっくり返った生徒の起こした騒音が講堂内にガタンゴトンと響きわたると、次の瞬間にはゴーンゴーンと授業終了の鐘が鳴り響いた。
「……今日の授業はこれで終わる。各自今日教えられた内容を復習し、次に備えておくように」
大きく肩を落としながらそう告げると、チョビ髭教師は壇上より降りて、そままま講堂を後にしたのだった。
「んん……ふぁ…………ん? 授業終わったの? あれ?スヴェン、どったの?」
大きく伸びをしながら欠伸を漏らし目覚めたロイフェルトは、静まり返った講堂を見渡し、隣にいるダークブラウンの長髪をオールバック撫で付けた髪型で女性ウケする整った顔立ちの同級生にそう尋ねた。
「いや……何でもねぇ。しかし……お前ホント、ブレねぇな。お前がチョビ髭の授業まともに受けたとこ見たことねぇんだけど」
流れ弾が当った生徒の事や、肩を落として出て行った教師の様子の事はあえて無視して、尋ねられたスヴェンはそう答えた。
ロイフェルトは、ようやくザワリザワリと動き始めた同級生達を見やりながら、それに肩を竦めて返すと、頭を掻いて口を開く。
「いやだって、長いばかりでたいして中身のない話しを延々と聞かされるんだもん。ありゃ眠くならない方がおかしいって」
「中身がねぇって……確かに杓子定規で面白みの無い話ではあるが、魔法基礎理論の授業だぞ? 突飛な理論で基礎を疎かにするような内容の方が問題だろ?」
タンカに乗せられ運び出されていく同級生を小首を傾げて見送りながら、ロイフェルトは再び肩を竦めてスヴェンに言葉を返す。
「だってアイツ、最終的には神様が〜教会が〜って同じ結論を繰り返すだけなんだもん。独自の解釈を入れて話しに深みを持たせるわけでもなくさ……あれならわざわざ授業を開かなくても、紙に書いてそれを配れば事足りるって」
頭のうしろで手を組んで、座席の背もたれに背を預けながら答えるロイ。
「魔法基礎理論の授業だぞ? 神と魔法を切り離して考える訳には行かない以上、教会の教義に添って信仰との結び付きを唱えない訳にはいかないだろ」
「だからそれはそれで別に良いのさ。俺は、この学園ならその先の更に突っ込んだ話を聞けると思ってたんだよね。そんな当たり前の話じゃなくさ。神を讃えよとか、教会で祈りを捧げれば魔力が伸びるとか、一般教義で語られるような話じゃなくてさぁ……そもそもここは教会じゃないっつーの」
ロイフェルトは平民階級の出身ながら、下級貴族を超えるマナと独自の魔法理論を認められて、ほぼ貴族で構成されている魔道士育成学科の特待生として入学を許された生徒だ。そんな彼にとってチョビ髭教師の授業は興味をそそられる内容ではなかったようで、体勢を変えて片肘を机に突いて頬杖をしながらそう毒突く。
スヴェンは困ったもんだと首を振る。
「この学校の1番の出資者は教会だぞ? しかもチョビ髭は教会関係者とズブズブの間柄だって話だし、いくら最近教会の影響が衰えているって言っても、教会の力を否定する様な内容を授業で話すわけにはいかないだろう」
「まぁそれは分かるけどさぁ……俺が言いたいのは信仰と魔法理論を切り離して考えろって話しで……別に魔法に関して信仰と切り離して考える事が、教会を否定する事にはならんと思うんだよね。神様が魔法に影響を与えている事は間違いないんだし」
ボソッと呟く様に言ったロイフェルトに、スヴェンは意外そうな表情を浮かべて口を開く。
「あれ? お前って教会否定派じゃなかったっけ?」
「うん、否定派だよ。ただ、信仰と魔法は切り離して考えてるだけで」
その言葉が理解できなかったのか、スヴェンは腕を組み首を傾げて問いかける。
「教会は否定するのに神と魔法の繋がりは否定しないのか?」
「
ロイフェルトの言葉に、スヴェンは組んでいた腕の片方の拳を顎に当てる仕草で、考え込む様に口を開く。
「斬新な考え方だな。最近は魔法と信仰は全く関わりないって理論が立って研究されてて、教会関係者はピリピリしてるって話しなんだが……神と教会と魔法理論か……教会をぶっ飛ばして神と魔法理論を直接繋げるって考え方はなかったな。普通、神と教会は同一存在として考えられているからな」
「そりゃ教会が権力欲しさにそう広めてるだけであって、本来は神様の言葉を庶民に広める為だけに教会があったはずなんだよ。俺は信仰と魔法理論を同一に考えて欲しくないだけ。魔法は魔法。信仰は信仰。魔法基礎理論は魔法の勉強なんだから、信仰との関わりをの客観的に捉えて純粋に魔法を探求して授業を組みた立てて欲しいね」
そう言うとロイフェルトは、これで話はおしまいとばかりに立ち上がり、人影が疎らになった講堂を後にする。
「……昼飯どうする?」
連れ立って講堂を出ると、スヴェンは隣を歩くロイフェルトにそう尋ねた。
「んん〜……購買行く」
肩を落として溜息をつくロイフェルト。
「もう金欠かよ……月末まで保つのか?」
呆れたようにそう問いかけるスヴェン。どうしようも無くなれば、一応友人である自分が食べさせるつもりではあったが、この友人は、親しき中にも礼儀ありと言ってなかなか助けを乞うことをしない。
「……多分……ま、なんとかなるよ」
自信なさげにそう話し、苦笑を浮かべて肩を竦めてそう返した。
「また、空腹で行き倒れるなんてことないようにな」
「善処します」
「そこはハッキリ確約しろよ!」
手に持った教科書でスパンとロイフェルトの頭を叩きながらそう言うと、スヴェンは、んじゃ後でなと告げて食堂の方へと足を向けた。
ロイフェルトは学内購買店の安いくるみパン狙いだ。大きく食べ応えがある割に安価なくるみパンは、この学園の名物の一つだ。ここに通う生徒の1割を占める平民の強い味方で、このくるみパンを上手く使えば、今日明日の食費が浮くのだ。
学園の敷地は広大で、今日の授業で使われた講堂から購買店までは意外に距離がある。授業終了後、講堂で話し込んでいた彼は、大幅に時間をロスしている状態だ。
ちょっと拙いかも……
売り切れが心配になった彼はスヴェンを見送って直ぐ、心の中でそう独りごちりながら廊下を小走りに駆けて行く。
「……これ買い逃したら、森に入って野草の類を見つけるか、海に潜って魚を取るかしなきゃな……」
基本怠惰なロイフェルトは、出来れば食事の為に無駄な労力を掛けたくはないのだ。
ロイフェルトは警邏に見咎められない範囲の速さで購買店へと急ぐ。
幾度か角を曲がり、購買店に近付くと、ガヤガヤとお店ならではのざわ付きが耳へと届く。そして開けっ放しの入り口を通ると、お店の中は多くの生徒で賑わっていた。
この購買店は、学園内で使用する、あらゆる物が揃っているので、平民階層の生徒は疎か、貴族階層の生徒まで出入りする。なのでお昼時ともなると、広い店内が狭く見えるほど混雑することになるのだ。
ロイフェルトが目を向けた先では、この時間帯にだけ設置される焼たてくるみパン専用会計台があり、生徒の数があと僅かとなっていた。
パンの数と列を成してる生徒の数を鑑みて、なんとか間に合ったようだと安堵の吐息を漏らし、彼はその最後尾へと足を向けた。
「残り全部頂きますわ」
最後尾にたどり着こうかといったタイミングで、その最後尾の女子生徒が残り3本のくるみパンを買い占める。それを言葉も無く唖然と立ち竦み見送るロイに気づいた様子もなく、彼女はロイフェルトが入ってきた出入り口とは反対側の出入り口に向かって歩き始めた。
「ちょ、ちょちょちょちょちょっと待てミナエル・フォン・ベラントゥーリー!」
そんな彼女の様子に、瞬時に我に返ったロイは、慌ててそう声を上げて呼び止めた。
それを聞き咎めた少女は足を止め、眉を顰めて振り返る。
「人の名前を勝手に、しかもフルネームで読み上げないでいただけるかしら、愚民さん?」
金色の長い髪を複雑に結い上げ、貴族仕様に特別に誂えた事がひと目で分かる制服を見事に着こなし、鎧こそ身につけてはいないが腰には女性騎士が好んで使う細身のレイピアを差し、如何にも騎士志望と見て取れるこの少女は、学園内の貴族の内でも序列が上位の、騎士家系の爵位持ち上級貴族の娘で、 女性にしては高い身長ながら工芸品の様に整えられた美しい容姿と、品行方正且つ公明正大なその 性格で学園の男子生徒は疎か女子生徒からも人気を集める才女のひとりだ。
そんな少女と対極にいるとされるのがロイフェルト・ラスフィリィである。
ロイフェルトは、平民階層の中でも割と下層出身で、平民の中では滅多に出ないC等級のマナを持っていたお陰で何とか授業料免除の特待生枠を勝取ったクラスの中でもヒエラルキーが下の生徒だ。実家が貧乏で、この国では珍しい黒髪以外は容姿も平凡な彼は、この学園が身分不問の実力主義でなければこの場にいる事も許されなかったある意味特殊な存在なのだ。平民階層という事で貴族階級の生徒からは蔑まれ、同じ平民階層の生徒からは特待生枠であることをやっかまれ孤立している。
本人は全く気にした様子はないが。
この二人は、初めての邂逅がひょんな事情で複雑化し、それ以来なんとなく折り合いが悪い。顔を合わせればその度にくだらない諍いが起きて角突き合わせる間柄で、今ではその諍いがある意味学園の名物となっていたりもするのだが、これは二人のあずかり知ることではない。
ロイフェルトは、ミナエルの『愚民』発言は気にも留めず、彼女が手に持つくるみパンに非難を孕んだ視線を向ける。
「あんた、金に困ってるわけでもないのに庶民の味方のくるみパンを買い占めるだなんて卑劣だぞ! そのパンは庶民の為の食べ物で、貴族のあんたが食するものじゃないだろ!」
指を突き付け涙を浮かべて非難するロイフェルトを無表情に聞き流し、ミナエルは、左の腕で抱えたくるみパンの1つを右手で取り出しマリンブルーの瞳を向けて口を開いた。
「これが欲しいのかしら愚民さん? 欲しかったら欲しいと頭を下げたらどうかしら? そしたら分けて差し上げる事も吝かではありませんことよ?」
あまりと言えばあまりの発言に、ロイフェルトはプルプル震えて葛藤する。品行方正を冠する彼女からはあるまじきこの発言をこの場で咎めるかどうか………
ではなく、残り少ない財布の中身と垣根の低い己の自尊心を秤にかけた上での葛藤だ。
「ググ……お、覚えてろ! いつか仕返ししてやるうぅぅぅぅ…………」
僅かに自尊心が勝ったロイフェルトは、三下小悪党じみた台詞を吐きながら、涙をちょちょ切らせて走り去ったのだった。
「……またやってしまったわ……何でいっつもこうなってしまうのかしら……」
その呟きと溜息は周囲の雑踏に立ち消える。
本当は、ロイフェルトがよく食べているくるみパンをきっかけに少し歩み寄ろうと考えていたミナエルは、大きく肩を落としてトボトボとその場から離れたのだった……。
因みに普段の彼女の様相からかけ離れた彼女のあの発言を気に止める者はこの場にはいない。二人の諍い慣れた周囲の生徒に、またかと聞き流されただけだった事をここに記して残しておこう。
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