第52話 公爵令息エリオット・フレインの告白






「ようこそ、いらっしゃいました。フレイン様」


 屋敷の前でエリオットとスカーレットを出迎えたのは、腰の曲がりかけた老執事だった。


「スカーレットお嬢様、おかえりなさいませ」

「ミスター・ホーデン、お久しぶり。お父様はいらっしゃる?」

「ええ。書斎にいらっしゃいます」


 とりあえず応接室に通され茶を出されたが、しばらく待っていても男爵は姿を現さなかった。執事が戻ってきて、申し訳なさそうに謝罪する。


「旦那様は集中しておられて、こういう時は二、三日はろくにお食事もせずに没頭されます。お話になるのは難しいかと」


 スカーレットは溜め息を吐いた。まあ、わかっていたことだ。エリオットには申し訳ないが、帰るしかあるまい。


「帰ります。ミスター・ホーデン、お父様をよろしく」

「はい。お嬢様」


 ソファから立って、エリオットを促そうとするが、その前に立ち上がったエリオットがスカーレットの手を取って執事の横を通り過ぎた。


「エリオット様?」

「書斎はこっちか?」


 エリオットは廊下をずかずか進んでいく。


「お話になるのは結構ですが、旦那様はお返事をなさいません」


 執事は慌てた様子もなく後をついてくる。


「構わない。私が男爵に言っておきたいことがあるだけだ」


 エリオットは迷いなく廊下を進んで、スカーレットの手を握る指に力を込めた。

 書斎の扉を開け放つと、こんもりと本の積み重ねられた机と、それに埋もれるようにして垣間見える黒い頭が見えた。

 スカーレットは自分でも意外なことに体が震えるのを感じた。何に対する怯えなのかはわからない。


「バークス男爵。突然の訪問、非礼をお詫びする。私はフレイン公爵家嫡男エリオット・フレイン」


 エリオットの名乗りにも、男爵は顔を上げもしなかった。がりがりと、何かを書き付ける音だけが聞こえてくる。公爵家に対してあり得ないほど無礼であるが、男爵は昔からこうだ。


 あの方は天才なのよ、と諦めたように母は微笑み、スカーレットに父を憎まないでやってくれと懇願した。

 彼のしていることは人類の遺産となるから、と知人の貴族や学者達が何くれと力を貸し面倒をみてくれる。執事や使用人達も変わり者の主人を理解し誠実に仕えてくれる。だから、男爵は好きなだけ自分の研究に没頭できるのだ。

 それを周りの人間にさせてしまう、そんな生き方が許される魅力と実力が、男爵には確かにあるのだ。

 それなら、スカーレットに何が言えよう。


「バークス男爵。私は、スカーレット嬢を傷物にした男だ!」


 エリオットが堂々とそう叫んだので、スカーレットは思わず足の力が抜けそうになった。


「エ、エリオット様……っ!?」

「幼い頃、森で出会ったスカーレットを突き飛ばし、切り株の上に倒して左肩を切り裂いた!」

「え……?」


 スカーレットはまじまじとエリオットの横顔をみつめた。

 その横顔が、記憶の中の男の子の面影と重なる。


「その時のスカーレットは、今のような完璧な淑女ではなかった。野性的で乱暴で、今とはまったく別人だった」


 その言葉に、スカーレットは本当にエリオットがあの時の男の子だと確信した。そして、胸を騒がせた。


 あんな自分を知られていただなんて。

 あの頃のエリオットに何をしたのかを思い出して、頭を抱えたくなった。


「貴方は、スカーレットのそんな姿を知っていたのか?乱暴な女の子だったことや、完璧な淑女だと讃えられる今も姿も……きっと、知らないのだろう」


 男爵は机に向かったまま顔を上げない。一度集中すると寝食も忘れて没頭してしまうのだ。もしかしたら、こちらの声すら聞こえていないかもしれないとスカーレットは思った。


「貴方が知らない、興味のないスカーレットを、これから俺が知っていく。どんな些細なことも見逃さずに、みつめていく。寂しい想いなど、二度とさせない」


 エリオットはちっとも反応しない黒い頭を見下ろして胸を張った。


「貴方が見ないスカーレットを、俺が見て愛していく。スカーレットの父である貴方にそれだけは伝えたかった」


 それがエリオットの覚悟だった。





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