第33話 公爵令嬢エリザベート・ビルフォードの苦渋
エリザベート・ビルフォードは幼い頃からあまり表情の変わらない子供であった。
だが、公爵家に初めて生まれた女の子だったため、公爵夫妻からも乳母からもめいっぱい可愛がられて育った。
三歳ぐらいになると躾にお菓子が使われるようになる。
おりこうに出来たらお菓子をあげますよ。泣きやんでください、お菓子をあげますから。よく出来ましたね、お菓子をあげましょう。
エリザベートには不思議だった。
おりこうにしたのに、泣きやんだのに、ちゃんと出来たのに、何故。
何故、お菓子なんて食べさせられなければならないのか。
ある時、厨房の近くで遊んでいたら下働きの料理人が苺を少し分けてくれた。酸っぱいそれを厨房の入り口に腰掛けて食べていると、通りかかった侍女がそれを見て血相を変えてエリザベートの手から皿を奪ってしまった。
「なんてこと!お嬢様、おかわいそうに―――ちょっと!お嬢様に食べさせるならきちんとしなさい!」
そう言って、エリザベートの苺にはたっぷりと砂糖とミルクが掛けられて戻ってきた。
その時、エリザベートは悟ったのだ。己れが甘い食べ物を嫌っていることを。
エリザベートが美味しいと思うのは、スパイスをたっぷり使った異国風の料理。そして、ソースだなんだと味付けられていないただの塩っけたっぷりの焼き魚。
だけど、他の家の令嬢と交流する年齢になると、自分以外の女の子は甘いお菓子が大好きで、お茶には砂糖やミルクを入れないと飲むことが出来ないと知った。
周りの大人達は子供、とりわけ女の子は甘いものが大好きだと決めつけて疑わない。
勧められるお菓子を拒絶することが出来なくて、エリザベートは茶会の度に無理に甘い菓子を食べてひきつった笑顔を浮かべなくてはならなかった。
それは婚約者であるアレンとの茶会でも一緒だ。
並べられた甘い菓子を食べない訳にも、お茶に砂糖を入れてくれるアレンを拒否することも出来ない。
毎回、必死に耐えている。
「……殿下が、わたくしの態度のせいで不快な想いをなさっていると知っておりました。でも、甘いものが嫌いで辛いものや塩気の強いものが好きだなんて、そんな令嬢らしくない―――屈強な男性みたいな好みをしているだなんて知られたら、殿下に恥をかかせてしまうと思い……」
エリザベートは打ちひしがれた表情で食べ掛けの魚の刺さった串を握りしめた。
「申し訳ありません。わたくしは、他のご令嬢達のような可愛らしさを持ち合わせて生まれてこなかったのです。殿下の婚約者となる資格など、わたくしには……」
「エリザベート……」
アレンは弱々しいエリザベートをみつめて衝撃を受けた。
彼女が茶会でいつも苦痛に耐えるような顔をしていた理由を、今初めて知った。
何年もずっと見てきたのに、アレンはまったく気づかなかった。ミリアはたった数日で気づいたというのに。
責められるべきは自分だ、とアレンは思った。
「申し訳ありません、殿下……」
「謝るな、エリザベート」
アレンはエリザベートの肩に手を置いて軽く引き寄せた。
「お前の苦しみに気づかなかった私が悪い。婚約者を苦しめていたなど、私は愚か者だ」
「そんなっ、殿下は何も悪くなどっ、わたくしがっ」
「いいや、エリザベート。私がお前をよく見ていれば良かったんだ。エリザベート、今度の茶会では塩辛いつまみを用意する。結婚したら、毎日でもスパイスたっぷりの辛い料理を食べさせてやる。だから、婚約を解消するとか修道院へ行くなど二度と言うな」
「殿下……」
アレンとエリザベートはしっかりと見つめ合った。
ずっとすれ違っていた二人だが、秘密がなくなったことでエリザベートはアレンに対する負い目がなくなり、アレンにはエリザベートに対して意地を張る必要がなくなったのだ。
蚊帳の外の三人はアレンとエリザベートが二人の世界から戻ってくるまで、焚き火を囲んで待つ羽目になった。
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