42 ヨーロッパ戦線の趨勢
ソビエト連邦の首都モスクワに、クレムリンの名で呼ばれる一角がある。
正面に赤の広場が存在する、帝政ロシア時代の宮殿とそれに付随する城壁や大聖堂によって構成された、ソ連の国家中枢であった。
クレムリンとは、「城塞」を意味する言葉である。モスクワは、ピョートル大帝が自らと同じ名の聖人にあやかってペテルブルクと名付けた都市に遷都するまでロシアの中心都市であった。この都市がかつての地位を回復したのは、二〇世紀に入ってからである。ウラジーミル・レーニンと名乗る一人の革命家が、帝政とはまた違った形態の専制政治体制を確立した後のことであった。
現在、クレムリン宮殿の主となっている人物の名は、ヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシュヴィリという。後世に至るまで、レーニンと同じく筆名であるヨシフ・スターリンの方が人口に膾炙しているグルジア人の男である。
世界初の社会主義国家を統べる赤い
一九四一年六月に独ソ戦が開始されて以来、ほとんどの場面においてソ連軍は守勢に立たされていた。攻勢に転移した時期もあったものの、そのことごとくをドイツ軍によって撃退されている。
特に昨年、一九四三年は、四一年と並ぶかそれ以上にソ連にとって過酷な年であった。スターリングラードでの敗北とバクー油田の失陥。
これによって、ドイツ軍はヴォルガ川という天然の防衛線を得ると共に、ウクライナ地方の広大な穀倉地帯とソ連の石油消費量の四分の三を賄っていた油田地帯を手に入れたのである。
当然ながら、それによってソ連の戦時経済は大きな打撃を受けた。
近代国家にとって、石油は国家の血液ともいえる存在である。それの供給量が一挙に四分の一になったのだから、軍事行動を始めありとあらゆる分野に深刻な影響を与えていた。石炭その他燃料によって補おうにも、限度がある。
工業生産量は発電所の操業停止が相次いだことによって大きく落ち込み、前線へ物資を輸送するためのトラックも動けなくなった。
それでもアメリカからの支援物資と膨大な人的資源の確保によって戦争を遂行しているが、ソ連一国ではドイツを打倒するまでにさらに膨大な犠牲を要することになるだろうことは想像に難くなかった。
だというのに、アメリカもイギリスも、ドイツに対する第二戦線の構築を約束しながら、それを果たしていない。
それが、自軍が未だ劣勢に置かれていることと共に、スターリンの機嫌を悪くしている原因であった。
一方で、ここ数ヶ月は物資の集積に専念したことで限定的な攻勢作戦を発動することが可能となり、まずはドイツ軍の兵力の薄いレニングラード方面で攻勢を開始出来たことは、この独裁者の機嫌を多少なりとも改善する要素となった。
スターリンの不興を買うことを恐れる側近たちも、攻勢作戦が開始された一九四四年二月十四日よりしばらくの間は、ほっと胸をなで下ろせる期間が続いていた。
ソ連にはドイツを圧倒出来る膨大な人的資源が存在する。それによる人海戦術の成功もあり、作戦は順調に進んでいるかに見えた。
だが、ここでソ連の燃料事情が、またしてもスターリンの機嫌を急降下させる要素となったのである。
「ゴヴォロフとメレツコフは、ドイツ軍を取り逃がしたというのかね?」
クレムリンの会議室に、スターリンの低い声が響き渡る。口髭が、彼の内心を現すようにかすかに痙攣していた。
「誠に遺憾ながら、同志書記長、その通りであります」
スターリンの親友であるクリメント・ヴォロシーロフ元帥が、恐懼したように答えた。
会議室には今、
「しなしながら同志書記長、作戦目的でありますレニングラードの解放には成功しております」
ヴォロシーロフは、どこか弁明じみた口調で言う。
実際、彼の言う通り、ソ連軍はレニングラードを約九〇〇日ぶりに解放することに成功し、ソ連軍の面子は保たれていた。しかし一方で、スターリンの指摘した通り、ドイツ軍の大半を取り逃がしていることも事実であった。
「やはり、人民の敵はどこまでいっても人民の敵ということなのでしょう」
ソ連の秘密警察であるNKVDを率いるベリヤが、眼鏡の奥の瞳を妖しく煌めかせていた。
「ヴォルホフ方面軍と司令官メレツコフの失策は、まさしく利敵行為、ソ連人民に対する裏切り行為としか言えませんな」
今回の攻勢作戦を担当したレニングラード、ヴォルホフの二個方面軍の内、ヴォルホフ方面軍を率いるメレツコフは、ベリヤが一度逮捕しながら粛清し損ねた人物であった。今回の失態を利用して、メレツコフを今度こそ粛清しようという秘密警察長官の意図が透けていた。
「お待ち下さい」
自身の政敵を消すことを戦争よりも優先しようとするベリヤの態度に不快感を覚えたのか、ジューコフが声を上げた。
「そもそも、ドイツ軍に対する追撃や包囲が不十分な結果に終わったのは、現在も我が軍を悩ます燃料不足が原因であり、決してゴヴォロフ、メレツコフ両司令官の責ではありません。レニングラード解放という作戦目的を示したのは我々スタフカであり、それ以上の燃料を集積出来なかったのもまた我々スタフカの責任と考えるべきです」
ジューコフの発言はゴヴォロフ、メレツコフ両司令官を擁護しつつも、責任の所在を「スタフカ」という組織に帰することで自らの責任も逃れようとする、実に巧妙なものであった。自身の責任を認めているようで、まるで認めていないのである。実際、ジューコフはドイツ北方軍集団を取り逃がしたことについて、まるで責任を感じていなかった。
慢性的な燃料不足を抱えているソ連軍にとって、機動的な部隊運用が必要な敵野戦軍の包囲殲滅など、不可能な話であった。
だからこそ、ジューコフの意見は軍事的に見て真っ当なものであり、レニングラード解放とドイツ北方軍集団の包囲殲滅を同列に考えていたスターリンの方が、不合理な発言をしているだけであった。
粛清を好む独裁者の下で生き残るには、いかに優秀であろうとも責任逃れの口上も上手くなくてはやっていけない。
「同志ジューコフ、では私がバルト海周辺のドイツ軍の撃滅の命令を下せば、同志参謀長はそれを実現してくれるのかね?」
いささか苛立った声で、スターリンが尋ねてきた。ジューコフのスタフカ批判が、自身への批判に聞こえたらしい。
「我がソ連領内からドイツ軍を撃退することは、ソ連全人民の悲願であります」
ジューコフは慎重に言葉を選びながら答えた。可能とも不可能とも答えず、ただソ連人民という言葉を使って主語をぼやかす。
「ただし、今回の作戦にて備蓄燃料の大半を消費してしまいましたので、今一度、燃料も含めた各種物資の集積を行わねばなりません」
「それが必要ならば、そうしたまえ」
スターリンは、どこか急かすような調子であった。強大なドイツを、実質的にソ連一国で相手にしているという重圧が、この赤き独裁者の精神に焦燥感を生んでいるのだ。
猜疑心の強い彼にとってみれば、ドイツとの戦争で成果を挙げられなければ自身の政治的威信が低下し、部下の誰かに取って代わられてしまうという恐怖が常に付きまとっているのである。
だからこそ攻勢作戦をかけ、ドイツ軍に勝利することによって自らの政治的威信を保とうとしているのだ。軍事的勝利ほど、指導者の威信を高めるものはない。
「ダー。同志書記長のお言葉とあれば」
ジューコフは慇懃な調子で答えた。
その時、会議室の扉が遠慮がちに叩かれた。扉の近くに控えていた従兵が、応対に出る。
「……同志参謀長に、緊急の報告であります」
スターリンの不興を買うことを恐れるかのように、いささか震えた声でその従兵は言った。その様子から、明らかに良くない知らせの類であった。
「不愉快な報告には慣れている」従兵に応じたのは、ジューコフではなくスターリンであった。「早く報告したまえ」
「ダー。本日未明、クロンシュタット軍港がドイツ軍の空襲を受けたとのことです、被害は現在集計中。さらにその後、オラニエンバウムがドイツ戦艦からの砲撃を受け、重砲陣地が壊滅的打撃を受けました」
スターリンの顔が不機嫌によって歪む様を、その従兵は怯えた表情で見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「攻撃隊より入電。『我、クロンシュタット軍港ノ空襲ニ成功セリ。上空ニ敵機ナシ。艦種不詳五ノ炎上ヲ確認。軍港設備ニモ打撃ヲ与ヘタルモノノ如シ』。以上です」
「ふむ、初陣にしてはまずまずの戦果といったところか」
戦艦シャルンホルスト艦橋で、艦隊司令官エーリヒ・バイ少将が頷いた。
「空母というのは、中々便利な艦種だな。敵の砲弾や魚雷の届かぬ場所から一方的に攻撃出来る」
「はい」バイの感慨に、参謀長が同意する。「これで、クロンシュタットは一時的に無力化出来たと考えてよいでしょう。我々がフィンランド湾深部に突入するに際しての障害は排除されたものと考えます」
「よかろう。各艦に伝達。我が艦隊はこれより、オラニエンバウムに対する艦砲射撃を実施する。ザイドリッツ以下艦艇は主隊を援護せよ」
「ヤー。直ちに伝達いたします」
現在、戦艦シャルンホルストを旗艦とするドイツ艦隊は、リガ方面からフィンランド湾深部のオラニエンバウムに向けて航行を続けていた。
その中に、平たい甲板を持つ特徴的な外見の艦艇があった。
空母である。
ドイツ海軍は一九四三年十二月と四四年一月にそれぞれ正規空母グラーフ・ツェッペリン、商船改造空母エウロパを相次いで竣工させ、念願の空母を手に入れていたのだ。
その二隻の空母を含む艦隊は、速力十七ノットで凍えるフィンランド湾を進んでいく。
すでに三月に入っているため、湾は凍結していない。それでも奥に進むほど湾の幅は狭くなるので、航行には注意が必要であった。
「弾着観測機より入電。オラニエンバウム上空に到達したとのことです。大規模なソ連軍砲兵陣地を確認」
「敵陣地の座標を射撃指揮所に送れ」
「ヤー」
シャルンホルスト艦橋では、伝令の兵士たちが慌ただしく駆け回り、主砲の射撃準備を進めていく。
連装三基六門の三十八センチ砲が右舷へと旋回していき、遙か彼方のソ連軍砲兵陣地を指向する。
「オラニエンバウムまで二万メートル!」
「射撃用意よし!」
「
「フォイア!」
砲術長の号令と共に、シャルンホルストの三十八センチ砲三門が轟然と火を噴いた。凍てつく大気を払うかのような熱波が、砲口から飛び出す。
やがて、敵陣地上空の観測機から報告が入る。
「観測機より入電、ソ連軍砲兵陣地にて弾着を確認」
「よろしい。砲術長、そのまま撃ち続けろ」
「ヤー!」
シャルンホルスト艦長フリッツ・ヒンツェ大佐が命じ、シャルンホルストは弾着観測機の情報を元に全門斉射に切り替えて射撃を続けていく。
後続する戦艦グナイゼナウ、装甲艦アドミラル・シェーアもそれに倣う。
殷々たる砲声が、フィンランド湾の海面に木霊する。
一九四四年二月十四日より、ソ連軍はレニングラードを解放するための大規模な攻勢作戦を開始していた。
この年になると、独ソ間の動員兵力は実に倍以上の差が開いていた。
ソ連側が六四〇万の兵力を動員しているのに対し、ドイツが東部戦線に展開させている兵力はようやく三〇〇万に達していた程度。ドイツ側はバクー油田を確保しているとはいうものの、その広大な占領地と前線の長さに対して、圧倒的に兵力が足りていなかったのである。
ソ連は三本の援ソルートの内、ペルシャ湾ルートが途絶し、北極海ルートもほぼ途絶している状況であったものの、太平洋ルートでもたらされるアメリカからの支援物資を集積して、まずはドイツ軍の兵力が薄い北部方面での攻勢を決断したのである。
レニングラードを包囲していたドイツ軍北方軍集団は元々二十二個師団を擁していたものの、青作戦やツィタデル作戦で消耗した南方軍集団を再編するために兵力を引き抜かれており、ソ連軍による攻勢が開始された時点では総兵力十個師団と、大幅に弱体化していた。
これに対し、ソ連軍はレニングラード方面軍、ヴォルホフ方面軍の計一二五万という圧倒的兵力で同都市の解放を目指した。
これまでにもソ連軍はレニングラードの解囲を試みていたのだが、レニングラードのドイツ軍を完全に撃退するには至っていなかったのだ。百万を越える兵力には、この革命の都市を今度こそ解放するのだというスターリンの強い意思が反映されていた。
ただし、ソ連はバクー油田の失陥によって深刻な石油不足に悩まされており、アメリカからの支援があるとはいえシベリア鉄道に頼った輸送量には限度があり(他の物資の支援との兼ね合いもある)、戦車兵や航空機搭乗員の練度はドイツ軍に比べて著しく低かった。
これは、燃料の消費を抑えるために訓練を限界まで切り詰めた結果であり、そのために練度不足の彼らはドイツ軍によって次々と撃破、撃墜されることとなった。
それでも人海戦術と豊富な火力に頼るソ連軍の攻勢は凄まじく、二月二十七日、ついにレニングラードを包囲するドイツ軍は撃退され、ここに九〇〇日以上にわたったレニングラード包囲戦は終結したのである。
その後も北方軍集団に対するソ連軍の攻勢は留まることなく、北方軍集団はソ連軍に相応の損害を与えつつもルガ河―イェリメニ湖の線にまで後退することを余儀なくされていた。
一方のソ連軍は、ここでもやはり燃料不足が徒となって追撃が不十分に終わり、結果としてドイツ軍に新たな防衛線を構築する時間的余裕を与えてしまった(なお、ドイツ軍北方軍集団はナルヴァ―ペイプス湖間に最終防衛線「パンターライン」を構築していた)。
この間、陸上のドイツ軍を支援すべく、ヒトラー総統は海軍に対して出撃を命じていた。
これは、太平洋戦線などで日本海軍が陸上目標に対して戦艦による艦砲射撃を行って成果を挙げていることに触発されたものだという。つまりこの独裁者は、劣等人種である日本人に出来たことならば、ドイツ人にも出来て当然であると考えたのである。
当時、バルト海のゴーテンハーフェン(グディニア)には主砲の換装を終えた戦艦シャルンホルストがおり、さらには一九四三年十二月と一月にようやく竣工した正規空母グラーフ・ツェッペリン、商船改造空母エウロパが慣熟訓練中であった。
ここに、昨年十二月二十六日の北岬沖海戦での損傷が少なく修理が早期に完了していたグナイゼナウとアドミラル・シェーア、護衛の重巡ザイドリッツ、軽巡ライプツィヒ、駆逐艦八隻を加えてエーリヒ・バイ少将の下に戦闘グループを組み、フィンランド湾に向けて出撃したのである。
バクー油田の確保によって、ドイツ軍全体の燃料事情はかなり改善しているのだ。
そしてこの出撃は、地上支援という地味な任務ながら、ドイツ空母の初陣となった。
日本によるインド洋打通作戦の成功によって日本海軍との交流を深めていた
とはいえ、グラーフ・ツェッペリンとエウロパからなる空母部隊と、そこに搭載された母艦航空隊は、日米の機動部隊の水準から見れば、未だ戦力として洗練されたものではなかった。
ドイツ海軍では将来の空母保有を見据えて海軍第一八六航空隊という部隊を編成していたが、これはあくまでも小規模な実験的部隊に過ぎなかった。
その後、グラーフ・ツェッペリンの建造が促進され、一九四二年五月に空母への改装命令が出された客船エウロパも含めて何隻かの空母を保有することが確実視される状況になった一九四三年初頭、ドイツ海軍では太平洋で活躍を続ける日本海軍空母部隊に視察団を派遣する計画が持ち上がった。
当初は、すでに太平洋方面で通商破壊作戦を行っていた仮装巡洋艦ミヒェル水偵搭乗員コンラート・ホッペ大尉(海軍士官である空軍パイロットという、海軍と空軍との複雑な関係を示すような経歴の持ち主)を中心に、日本にいるドイツ海軍士官数名で視察団を構成する予定であったが、日本軍によるセイロン島攻略が成功して日独連絡航路が打通されると、ドイツ本国からも多くの海軍軍人や技術者が派遣されることとなった。
五月には母艦航空隊編成のための視察団がシンガポールに派遣され、ホッペ大尉も含めたドイツ海軍士官たちはインド洋・オーストラリア西岸での通商破壊作戦“礼号作戦”に参加する空母瑞鶴や龍鳳などに乗り込み、実戦の場における空母と母艦航空隊の運用方法について学ぶ機会を得た。
一方、空母に搭載すべき艦載機や航空魚雷については、日本海軍から技術供与を受けることになった。
日本側もドイツの各種技術を入手することを目論んでおり、艦載機やそれに関連する技術についてはその対価と考えて比較的円滑に技術供与は進められた(当然、日本としては欧州方面でドイツが善戦することで、自国の負担を減らそうとする思惑もあった。もっとも、ドイツ側もまた然りであり、特にヒトラー自身が日本への技術供与に積極的であった)。
結果、日本海軍からは零戦、彗星、九七艦攻、九一式航空魚雷などが現物と共にドイツ海軍に引き渡された。
特に艦上爆撃機である彗星は発動機がダイムラー社のものをライセンス生産したものであり、ドイツにて設計に若干の修正を加えた後、短期間でライセンス生産することが可能となった。生産はJu87など爆撃機の生産に定評のあるユンカース社にて行われることとなり、奇抜な設計故に開発が頓挫しかけていた新型急降下爆撃機Ju187の代わりとして、JuA189(「A」は彗星の製造を担当していた愛知航空機より。なお、「Ju188」の名称は、すでに双発爆撃機で使われていた)と名付けられることとなった。
ちなみに、彗星のドイツ語である「コメート」はすでに開発が進んでいたロケット戦闘機Me163の名称として使用されていたため、ドイツでは「隕石」を意味する「メテオーア」の名称で呼ばれることとなった。
一方で、零戦三二型は欧州各国の戦闘機と比べて最高速度が遅いため、流石にドイツ海軍としても能力不足と判断して採用を見送っている。ただし、零戦に用いられている艦上機としての機構は、開発中であった艦上戦闘機Me155に流用されることとなった。
Me155は、メッサーシュミットBf109と部品を共通化するなど早期の開発完了を目指した機体であり、零戦の設計を参考にすることで、ようやく一九四三年十月に初飛行に成功、そのまま先行量産型五〇機が発注された。
そして、肝心の艦上攻撃機であるが、これはドイツ国内で開発が難航していた。やはり、ドイツ軍は九七艦攻は欧州の空では旧式化していると判断していたのである。ドイツの各航空会社もその他の機体開発に忙殺されている状況であり、九七艦攻を参考にしつつ新規に艦上攻撃機を開発・設計する余裕に乏しかった。
また、グラーフ・ツェッペリン、エウロパが竣工したとはいえ、この後に竣工を控えている空母は商船改造空母で小型のヤーデ、エルベの二隻のみであり、艦上攻撃機を開発したところでそれを搭載すべき空母の数はごくわずかであった(なお、ヤーデとエルベの元となった客船グナイゼナウ、ポツダムは日本海軍が空母神鷹に改装した独客船シャルンホルストの準同型船であり、空母への改装にあたっては神鷹の設計図が流用された)。
こうした事情に加え、空母の使用方法すらドイツ海軍内部では明確に定まっていなかったこともあり、ひとまずはMe155とJuA189メテオーアの二機種のみで母艦航空隊を編成することとなった。艦上攻撃機については、日本海軍が新型機を開発し次第、輸入すればよいと考えていた。
そして、肝心の母艦航空隊の所属であるが、これは海軍となった。
これを決断したのはヒトラーであり、航空相にして空軍総司令官であったゲーリングが彼からの政治的信頼を失いつつあったこと、バレンツ海海戦以降のドイツ海軍水上艦隊の活躍にヒトラーが気をよくしていたことなどが、この決断の背景にあったという。ある意味で、独裁者の気まぐれで海軍はようやく自前の航空隊を得ることが出来たといえよう。
こうして、海軍第一八六航空隊を母体とした母艦航空隊は、少佐に昇進の上、グラーツ・ツェッペリン飛行長に任命されたコンラート・ホッペの下に開設されることとなったのである。
グラーフ・ツェッペリン航空隊はMe155十六機、JuA189二十八機、エウロパ航空隊はMe155二〇機、JuA189二十八機からなっていた。
「弾着観測機より入電。ソ連軍砲兵陣地にて弾薬の大規模な誘爆を確認したとのことです」
「撃ち方やめ!」
「ヤー! 撃ち方やめ!」
ヒンツェ艦長の命令と共に、それまで咆哮を続けていたシャルンホルストの主砲が沈黙した。
「……戦艦の主砲の威力とは、かくも凄まじいものなのだな」
彼方からたなびく黒煙を見上げて、艦隊司令官のエーリヒ・バイ少将が感心するように言った。
もともと駆逐艦一筋の海軍軍人であった彼は、たまたまゴーテンハーフェンに在泊していた戦隊司令官の中で先任だったからという理由で、臨時の戦闘グループの艦隊司令官に任命されていたのだ。
戦艦に乗ったのは士官候補生の時以来というほど大型艦とは無縁の海軍生活を送ってきたバイにとってみれば、今回の任務にはいささか困惑を覚えるものであった。しかも、戦艦だけでなく空母の指揮も執らねばならないのだから、なおさらである。
「司令官、攻撃隊が艦隊上空に帰投し始めております」
参謀長が上空を見ながら指摘した。
レニングラード沖合に浮かぶコトリン島には、ソ連海軍バルチック艦隊の母港クロンシュタットが存在している。バルチック艦隊の主要艦艇は一九四二年の空襲にて大破着底させていたが、未だ多数の小型艦艇が健在であった。
さらに、砲撃目標であるオラニエンバウムはクロンシュタット軍港の対岸に存在していた。
そのため、これらの艦艇に艦砲射撃を妨害させないために、バイ少将はグラーフ・ツェッペリンとエウロパにクロンシュタット軍港の無力化を命じていた。これを受けて二空母はシャルンホルスト以下の艦砲射撃に先駆けてクロンシュタットを空襲しており、今、攻撃を終えた六〇機あまりの編隊が着艦を待って艦隊上空を飛行していた。
しかし、日米の海軍関係者の視点で見れば、彼らはまだまだ未熟であった。
搭乗員たちは空母の竣工前から訓練を行っていたのであるが、それでも未だ洋上航法に不慣れであった。今回は狭いフィンランド湾での作戦行動であったために機位を失った機体はなかったものの、北海やノルウェー海での作戦行動を行うには、未だ練度が不足しているのである。
「よろしい。帰投した航空隊を収容次第、補給のためにリガへと帰還する」
護衛艦艇の不足と、搭乗員たちが洋上航法に不慣れなことにより、グラーフ・ツェッペリンとエウロパは地上への艦砲射撃を行うシャルンホルストらと艦隊陣形を組んでいた。つまり、二空母の搭乗員たちはある程度、陸地が見える海上から発進し、陸地を見たまま帰投したわけである。
流石にソ連軍から重砲の反撃を喰らう可能性もあるので、陸地からはシャルンホルストとグナイゼナウの影になるように配置していたが、それでもドイツ海軍空母部隊の未成熟ぶりを象徴するような光景ではあった。
「ヤー。では、艦隊を風上に向けて収容準備に入ります」
「うむ、そうしてくれたまえ」
誘爆した弾薬の黒煙をたなびかせるオラニエンバウムに背を向けるようにして反転したドイツ艦隊は、レニングラード方面から帰投した航空部隊を収容すると、やがてフィンランド湾を後にしてリガ方面へと去っていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
枢軸軍に対して攻勢に出ることが出来ているアメリカのルーズベルトやソ連のスターリンと違い、英国宰相チャーチルは自国が未だ枢軸国に対して攻勢作戦を行えていないことに不満を募らせていた。
彼は第一次世界大戦で海相を務めた経験から、戦時の首相は軍に対する強力な統制が必要であると考えており、陸海空軍の参謀長を日に二回は呼び出して参謀長会議を開き、各地の戦況報告や今後の作戦計画についての議論を行うことにしていた。
「ソ連はレニングラード周辺で限定的ながら攻勢作戦を発動、これを成功させたそうだな?」
ダウニング街十番地の首相官邸に隣接する別館には、ドイツ軍の爆撃にも堪えうる強固な地下壕が造られ、そこに複合執務室や作戦室などが置かれていた。イギリスの戦争指導は、この首相官邸別館地下壕と財務省地下壕の戦争指導室から行われていたのである。
その首相官邸地下壕の主は、不機嫌そうな顔を隠そうともしていなかった。
「一方、我が軍の地中海方面での作戦は北アフリカ戦線での敗北以来、さほど進展がない。この点について諸君らはどう考えているのかね?」
地下壕複合執務室には、宰相チャーチルの他に陸軍参謀長アラン・ブルック、第一海軍卿(海軍軍令部長)アンドリュー・カンニンガム、空軍参謀長チャールズ・ポータルの四名がおり、さらには複数の秘書官や口述筆記者が控えていた。
「首相閣下、遺憾ながら現状の海軍力ではマルタ島以東の制海権奪取は極めて困難と言わざるを得ません」
カンニンガム大将が強い口調で言う。彼とチャーチルとの仲はあまり良くなく、特に作戦に過度に干渉してきたり、似たような質問を執拗に繰り返すこの丸顔の英国宰相には就任以来、不満が溜まっていた。
「我が海軍はインド洋で戦艦、空母も含めた主力艦の過半を日本海軍によって撃沈され、さらに昨年末の北岬沖海戦にて戦艦デューク・オブ・ヨークも撃沈されたことで戦力的な余裕がないのです。この状況でシチリア島の攻略ですとか、バルカン半島への上陸ですとかは、海軍として反対せざるを得ません」
イギリス海軍の窮状は、カンニンガムとしても頭を痛めるものであった。
新造艦を続々と就役させているアメリカ海軍と違い、イギリス海軍は一九四四年になっても喪失艦艇分を補えるだけの新造艦を就役させられていない。
今やイギリス海軍に残された大型艦艇は、戦艦九隻、空母四隻のみであった。三月末にはイラストリアス級のインプラカブルが竣工予定とはいえ、それでもイギリスの支配すべき海域に比べて艦艇の数が不足していた。
第二次世界大戦の開戦によって中断していたライオン級戦艦二隻の建造が、相次ぐ主力艦の喪失によって一九四三年八月にようやく再開されたものの、竣工は一九四六年以降になるという。
「北岬沖海戦で、ドイツ海軍にも相応の損害を与えたではないか」だが、チャーチルはカンニンガムの言葉に納得していなかった。「デューク・オブ・ヨークを撃沈されたとはいえ、戦艦ティルピッツを中破させ、グナイゼナウやポケット戦艦にも損害を与えた。今や、連中の艦艇でノルウェー近海に展開しているのはリュッツォウとプリンツ・オイゲンだけとの偵察結果が出ている。本国艦隊の戦力を、地中海に回航することも可能なはずだ」
一九四三年十二月二十六日に発生した北岬沖海戦では、ドイツ海軍は戦艦ティルピッツ、グナイゼナウ、装甲艦リュッツォウ、アドミラル・シェーアなど主要艦艇のほぼ全力を出撃させ、援ソ船団であったJW55B船団を襲撃、護衛にあたっていた戦艦デューク・オブ・ヨークも撃沈する大戦果を挙げていた。
バクー油田の確保によって大型艦の燃料事情が改善したドイツ海軍は、ノルウェー海において以前にも増して積極的な作戦行動に出るようになっていたのである。
だが、北岬沖海戦においてドイツ海軍も損傷艦多数を出し、一時的にノルウェー海に展開する兵力が弱体化していた。
この隙に地中海方面で積極的作戦に出ることを、チャーチルは望んでいたのである。
「本国艦隊には、新鋭戦艦のアンソンとハウ、それに十六インチ砲搭載戦艦のネルソン、ロドネーがいる。これら戦力の半数でも地中海に投入すれば、イタリア海軍を圧倒出来るはずであろう?」
現在、ジブラルタルには戦艦ロイヤル・ソブリン、ラミリーズ、空母フューリアス、ユニコーンなどが展開していた。一方で、イタリア海軍はインド洋にも兵力を展開しているため、地中海にはリットリオ級戦艦三隻を主力とする艦隊がいるだけであった。情報によれば本年中に戦艦一隻、商船改造空母一隻が竣工予定というが、それらが戦力化されるのはまだ先であろう。
「首相閣下、七月には北フランス上陸作戦を控えている状況で、不用意に本国艦隊の戦力を他の方面に引き抜くことは反対です。ドック入りしているドイツ艦艇への空襲作戦も失敗し、五月頃にはドイツが再び主力艦艇全艦を展開させることが可能と見込まれます。これら艦隊が大挙して上陸地点に突入しようとすれば、相応の戦力が必要となります。地中海戦線に投入して喪失、損傷という事態になれば、連合国の大戦略自体が崩壊しかねません」
「……」
チャーチルはカンニンガムの言葉に不快げな唸り声を発した。だが、彼も黙ったままではいない。
「我々は、戦後世界までもを見据えてこの大戦を戦い抜かねばならんのだ。ソ連が東欧方面へ勢力を拡大する前に、我々の勢力を東欧に届かせねばならん。そのためには、地中海での攻勢作戦が何としても必要なのだ」
戦後も含めたイギリスの国家戦略という観点でこの大戦を捉えているチャーチルにしてみれば、ここは多少無理をしてでも東欧に勢力を広げるべきという考えなのである。
「しかし、ソ連軍の進撃速度は緩慢であり、ドイツ軍は新たな防衛線での防衛に成功している模様です」
陸軍参謀長のアラン・ブルック大将が、両者を宥めるように言った。彼はこの場にいる三人の軍人の中で最も戦略眼に長けた人物であり、戦時内閣においては三人の意見のまとめ役でもあった。ただし、彼もまたチャーチルとの仲は良いとは言えない。
「少なくとも、ソ連軍が今すぐ東欧への進攻を開始出来る情勢ではないでしょう。我々は七月の北フランス上陸作戦に注力し、しかる後、兵力を地中海方面に転用すべきと思料いたします」
陸軍を統べる彼は現在、詳細な上陸作戦計画の策定や共同で作戦を行うアメリカ軍との調整などに追われており、とても地中海作戦を指揮する余裕などなかった。
「……」
チャーチルはなおも不満顔であったが、彼もまた北フランス上陸作戦の準備とアメリカとの調整を行わねばならない身である。
地中海作戦について言及したのは、ソ連が攻勢作戦を開始したことによる焦りから出たものであった。
故に、彼もアラン・ブルックの主張に一定の理があることを認めざるを得ない。
「では、三軍は北フランス上陸後の地中海作戦について鋭意検討を進めるように。また、ソ連の動向に細心の注意を払うことを忘れるな。場合によっては、地中海での限定的な攻勢を行う必要が出てくるかもしれん」
結局、チャーチルはそう言う他なかったのである。
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