第4話 ゴールデンウイークとお嬢様と楽器の試奏


 俺にすがって、隣で眠る朝宮さん。

 彼女の方向に少し体を傾けると、彼女の頭が俺の頬に触れた。

 ち……ちかい。



「うーん……」



 そう言って朝宮さんは俺の手をぎゅっと握ってきた。


 相変わらず朝宮さんは「すぅ、すぅ」と静かに寝息を立てている。

 彼女と触れているところは柔らかく温かい。

 次第に落ち着いてきた俺は、その温もりにすこしずつ、眠くなってきた……。





「た……けい……くん。竹居……君?」



 可愛らしく控えめな声で、俺を誰かが呼んでいる。



「竹居君、起きて……?」



 ん?

 ぱちりと目を開けると、目の前に朝宮さんの顔が合った。

 はい可愛い。



 俺はいつのまにか寝ていたらしい。



「お、おはよ……」

「ふふっ。寝ぼけてる竹居君、可愛……いえ、なんでもありません」

「なっ。俺何か言ってた?」

「いいえ、もごもごと何か言っているような気がしましたが、分かりませんでした。もうすぐ大阪に着きますよ?」



 俺の顔を見ていた朝宮さんがは座り直して前を向いた。



「はぁー。変なこと言ってなくてよかった」

「はい……竹居君、これありがとう。洗って返した方が良いでしょうか?」



 綺麗に畳んだ上着を朝宮さんが手に持っている。

 彼女にかけてあげた物だ。



「いや気にしなくていいよ。朝宮さん寒くない?」

「寒くはありません……竹居君が温かったし」

「えっ?」

「あ、いえ……その、天気もいいですしどちらかというと暖かくなってきました」

「じゃあ、俺が着るよ」



 俺は上着を受け取りゴソゴソとしつつ羽織る。



 ん?

 俺は上着を着て気付いた。

 朝宮さんの匂いがする……。



 せっけんのような良い香りだ。香水かもしれない。

 少し甘い香りを感じた俺は、不意に心拍数が上がるのを感じた。

 頬が熱くなる。



「どうかしましたか? やっぱり、洗ってお返しした方が……?」

「いやいやいや。ご褒美です」

「はい?」



 心底不思議そうな様子で朝宮さんは首をかしげる。

 すると……。



「間もなく、終点、大阪です。お忘れ物の無いようにお気を付け下さい——」



 アナウンスがあった。



「竹居さん、降りる準備は大丈夫ですか?」

「うん。手荷物これだけだし」



 変なことを口走りかけた俺は、ゴングアナウンスに救われたのだった。





「わああ、すごいですね!」



 目的の楽器店に入った瞬間、朝宮さんは目を輝かせた。



 そこには何十ものサックスが並べられていた。

 その輝きに、朝宮さんは釘付けになっている。

 さすが都会。その数の多さは桁違いだ。



「竹居君、これ、真っ黒ですよ! こっちは、銀色で……こっちは古いというか渋い色ですね! こ、このサックス大っきくないですか? サックスのお化け……」

「はは、それはバリトンサックスって言って、アルトの一オクターブ低い音が出るやつだよ」

「そうなんですね! 色が付いているのはやっぱり音が違うのですか?」



 めっちゃ朝宮さん興奮している。

 鼻の穴が広がりそうな勢いだ。



「そうだね。明るくなったり落ち着いたり、材質で結構変わってくる。同じメーカーでもモデルによって変わったりする。音に様々な特徴があるのがサックスかも知れない。あとプロが選んだ選定モデルもあるね。選定モデルってのはプロがお墨付きを与えるほど質の良い楽器って意味で……あっ、この楽器、バスで聞いたプロ奏者の選定モデル …… …… …… ……」



 はっ。

 俺は早口でまくし立ててしまった。

 慌てて朝宮さんを見ると、にこにこしている。

 引かれてないといいけど……。



「お客様。今日はサックスをお求めなのでしょうか?」



 店員さんと思わしき人が、朝宮さんに話しかける。



「アルトサックスを。あの、試奏してもよろしいでしょうか?」

「はい、大丈夫ですよ。どれがよろしいでしょうか?」

「竹居君、どれがいいと思う?」

「試奏できるの全部吹いてみたらいいと思う」



 こんなこと滅多に経験できないことだ。

 地元の楽器店でもフェアとかで試奏ができることもあるけど、ここまでの数はなかなかない。

 いい経験になるだろう。



「あの、店員さん。マウスピースとリガチャだけど……コレを買いますので、これで試し吹きができれば」

「はい、分かりました。じゃあすぐ用意しますね」



 経験者なら自前のマウスピースを持参したりするけど、彼女は前に結局買わなかったしこれでいいだろう。



「竹居君。ありがとう。ずっと大切にします」

「あーいや、そんなに大したものじゃないし」

「いいえ……竹居さんから頂いた物は……ずっと……」



 朝宮さんは、店員さんから楽器とマウスピースを受け取り、音を出していった。

 その様子は、とても楽しそうだ。

 いや、俺も色々吹いてみたい。



「あの、竹居さんも吹いてみます?」

「え……いいの?」



 朝宮さんが楽器とストラップ(首にかけて、楽器を吊すもの)を手渡してきた。

 その際、マウスピースの口が触れるところを軽くハンカチで拭いている。もう慣れたものだ。



 俺は受け取り、適当にぱらぱらと吹いてみた。



「!!」



 え?

 朝宮さんや店員さんが驚いている。

 何かあった? と思って周りを見ると、他のお客さんも皆、俺を見ている?



「すごい……なに今の?」

「サックスってのは、ちょっと吹いた音色を聞くだけで上手さが分かるけど……これは……」

「竹居君、すごい……すごすぎます……同じ楽器なのに、なぜそんな音が出せるの?」



 俺は慌てて吹くのを止めて、朝宮さんに楽器を返した。



「ご、ゴメン……返すね」

「えっ……はい」



 しまった。

 大人しくしておこう。


 気を取り直して、朝宮さんの試奏を見守る。

 こういうのはもう好みだからとあまり口出しせずに朝宮さんに任せることにする。



 その様子を眺めていると、俺に見知らぬ女性が話しかけてきた。

 茶髪で、二十歳くらいの人だ。

 その人はいつのまにか俺の手をとって、抱えている。

 誰?



「あの……あなたは前テレビに出ていましたよね? 私もサックスやっているんです!」



 げっ。

 ここにも……黒歴史を知る人物が……。

 これだから都会は苦手。


 ふと気付くと、楽器を抱えてマウスピースをくわえたままの朝宮さんがすごい目力で、俺に話しかけてきた女性を見つめていた。


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