(5)
予定していたいくつかのお見舞いが終わり、
――俺こと鹿住ハルは今、適当なベンチでエイルと共にコーヒーをすすっている。
……ちなみにこのコーヒー、あろうことか紙コップ自販機で購入したものである。異世界情緒がないなんてレベルじゃない。俺の周囲を取り巻く光景は今、完全に私立病院のそれである。
こじゃれた庭と、旺盛な日差し。
どこかから香る洗濯洗剤の匂いと、時折通る、真っ白な装束の住人達。
やはり、どう考えてもこの組織形態は俺の世界のそれの流用だ。
故に、……俺からすれば見知った光景の最中にいるエイルが、少し、浮世じみて見えた。
「ホントに、死者ゼロだったんだな」
「……ええ。後遺症が残るようなケガをした人もいませんね」
この話の一例としては、エイルの祖父のシシオ・トーラスライトが上がる。
彼もまたこの病院に入院しているのだが、見舞いに訪れた際の調子は健康そのものであった。
……正確に言えば、寝たきりで片足はギブスを巻かれたうえ吊るされているような有様だったのだが、それを差し置いても元気がよかった。ジジイってのはホントに午前中に全体力消費しきるくらいのテンションだよな……。
ただし、ぱっと見病人には見えない感じの彼もまた、数週間の安静を義務とするようなケガではあったらしい。レクスとの一騎打ちでは優勢一方だったはずのシシオも、気づけばあの乱闘戦にて敗北者累々の中に積み上げられていた模様である。
「……、……」
『スーパーヒーロー・タイム』
冗談みたいなスキル名ではあるが、レクスは実際に、それ一つで数戦の異邦者を蹴散らして見せたわけだ。
「……【勇者存在】という言葉を、ハルは知っていますか?」
「? ……いや、知らん」
俺と同じように、もしかしたら彼女もレクスのことを思い出していたのかもしれない。
そんな文脈で以ってエイルは、この世界の事情について、ぽつぽつと語りだす。
「敗北せぬ存在のことです」
「……、」
「いることは分かっていますが、どこに、何人いるのか。誰がそれなのかはわかっていない存在です。レクスは、もしかしたらそれに近しいスキルを発現したのかもしれませんね」
「とんでもないご都合主義だな。そんなのが、本当にいるって?」
「……さて、どうでしょう。なにせ伝説みたいなものですから、仮に本人と会ったとしても、名乗られるまでは気付けないでしょうしね」
……外見的特徴、魔力の特徴的な波長、その他勇者存在を規定する情報は一切が存在しない、と彼女は続けた。
「名門に生まれ、ネームド・プレイヤーを祖父に持つ私でさえ知っているのはここまでです。……ハル」
ふと、
彼女は、珍しく不安げな調子で言葉をつぶやいた。
いや。不安げなのではなく、ほんの少しだけ言葉が揺れた。
気付こうとせねば気付けぬほどの変化だった。故に俺にも、その言葉に仕舞い込まれた感情が不安なのだと断言することまでは出来ない。
「【撃鉄】というスキルを、私は得たらしいのです」
「……、……」
「あの【世界の声】を、ハルは聞きましたか……?」
不安、あるいは高揚。
どちらか一つというのではなく、どれもが綯交ぜになったようなイントネーション。
その結果、その言葉は、
不思議と、冷静なものに聞こえた。
「……世界がお前を認識した、みたいなことを言ってたか?」
「……、……」
「【領域】への挑戦権を得た。だったっけか」
「……、」
――【領域】。
彼女の言葉を借りれば、それは、この世界に現存する御伽噺の別名である。
俺は詳しくは知らないが、……俺や楠がお邪魔した例なんかでは、なんの反応も返さないただの散歩道だった。
「【領域】とは、……入口のある、【最果て】への続き道です」
さて、
エイルは言う。
「あなたやクスノキさんが体験したことと、この世界の住民が感じている印象には大きな隔たりがある。私たちにとっての【領域】は、熾烈な自然の極地です」
「……、……」
「例を挙げれば、【領域:西の塔】。これは、
彼女の語り口調は、昨日の夢の内容でも言うように素っ気ない。
「数日たつと、彼らはその塔を確認できなくなった。我が国での実際の事例です。……当然、我が国の領空内にそんな超巨大建造物があるとすれば由々しき事態ですからね、我が国は総力を挙げてその『幻』の解明に当たった。その彼ら、――街一つの分の集団幻覚と切り捨てたほうがずっと利口なインシデントに本気のロマンを感じて挑んだのが、メル王国の現在の『領域探索部門』の最初のメンバーです。……あり方としては大人が集まって作ったサークルの様なものですが、彼らはやがて【領域】を、実際に証明して見せた。彼らは実際にその【塔】にたどり着いて、冒険を行って、そして帰還を果たした」
「……、……」
「それに伴いこの世界は【領域】を認めました。――この世界において唯一【自然由来の『
彼女は今、光下りる庭にてうなじを垂れている。
脱力したような姿勢。彼女の白い額に、影が降りている。
「私は、――どうしたらいいのでしょう?」
「……は? いや、なんもしなくていいだろ?」
そこで彼女は、呆気にとられたように俺を見た。
いうべき言葉が見つからぬといった面持ちで口をパクパクする彼女に、俺は続けて言う。
「逆に何を悩んでんの?」
「いや、だって【世界の声】の名ざしですよ……? そんな声に『見てるぞお前』って言われたんですよ……! なんというか、こう! お天道様に見守られてることが確定したんじゃないかな私っていう!!」
「別にいいじゃねえか、後ろ暗いことをしてるわけでもないし。……お天道様だろうがその辺の通りすがりだろうがお前のことを見てる奴は見てるだろ。何を今更……」
「あーっと……! えーっとですねぇ! あの、私が悩んでたのはもっとセンチメンタルなっ、なんというべきか……!!」
彼女の言葉の中には、すでに彼女の求める答えがあった。
つまるところ、結局彼女は――、
「お前さ?」
「は、はい……?」
「あんま興味ないんだろ? だから気乗りしてないんだ」
「……………………、はい」
剣を持つとき、この世界には二種類の選択肢がある。
一つは冒険者、彼らはこの世界の極地を目指す。誰もがまだ見ぬ最果ての砂を最初に踏み、その光景にて最初に勝鬨を上げる。或いは未だ不明のこの世界の正体をその手で暴く。
そしてもう一つが騎士である。騎士どもは、この世界の進化を騎士ではないものに委ねた。そして騎士は、その代わりにこの世界の存亡を願う。この世界のヒトが持つ可能性を一つたりとも潰さぬために、彼ら彼女らはいる。
エイルは、その後者なのだろう。
彼女には彼女なりのロマンがあり、それは、この世界の最果ての輪郭をしてはいないというだけのことだ。
「挑戦権ってのは、つまることろ『権利』だろ? 義務じゃない。……使う気がないならひとまずは閉まっておけばいい」
「そ、それはその通りなんですが……!」
それでもなお彼女は「おぉっ」と軽やかめに唸る。
……が、その逡巡も、長くは続かなかったようで、
「まあ、その通りですねぇ……」
と彼女は結局、そのように息を吐いた。
「……確かに、世界を暴く誉れなんてものに興味はないんです。誰かに先んじて一歩目を踏み出すことにも。それを、私たち騎士は
「……、」
そこで彼女は、
怪我だらけの包帯だらけなパジャマ姿で、俺にこの国由来の敬礼をする。
それは、俺からすれば、敬礼というにはあまりにも気軽な動作である。
つまりは、
「大事な時に負傷退場で、本当に申し訳ないんですが、……信頼しています」
「……。」
「私たち騎士は、騎士ではないものに世界の行く先を任せるのです。
――どうか、勝利を」
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