終章『楽園の王に告ぐ』

prologue.(1)





「あ? いや、約束は守っただろ? 予定通り、飛空艦隊の墜落と異邦者同士の喧嘩の分。街の被害はそれで抑えられたはずだよな?」



「……なに? これが異邦者同士の喧嘩かって? そうだよ。逆にどんな被害を想像してたか知らないけどな、打ち合わせでそっちが素通しした部分を今更詰められてもどうしようもないだろうが」



「つーか、とれる責任なんてそもそもないだろ? 今更被害金額を引き落とすなんて言われても絶対口座教えないからな。……バカめ、ギルド口座なんてまともに使ってねえよ。なんならすっからかんにしてくれて構わないよ、職員の昼飯一回は賄えるくらいは入ってると思うぜ?」



「あー、悪いな。飯が来た。切るぞ」








 ――某日。

 メル王都にて。








「……誰との電話だ?」


「ギルド長、ここの支部のな。ちょっと頼ったんだが、その線で」



 王都と、そしてこの世界の隅々までを巻き込んだ代理戦争が終結したのは昨日のことである。

 季節は秋。一日前の災禍をほとんどそのまま引きずったこの街の活動は、だからこそゆったりとした印象がある。


 元来ならこの朝の時間に、せこせこと行きかう人は今日はおらず、日差しを遮る中世風の摩天楼は影も形もなく、すっきりとした頭上に通るのは実にわかりやすい秋風である。

 こんな日に、……まさか空いている店があるなどとは思ってもみなかった二名。


 ――鹿住ハルと、レクス・ロー・コスモグラフ。

 彼らは地上テラス席にて、シンプルなデザインのテーブルを囲み、朝一番のコーヒーをすすっていた。


 ……なお、レクスは本日も全身鎧を着込んだ格好である。

 普段なら「縁があったら外す」などとのたまって食事に手を付けない彼だが、今日に関してはハルの奢りのコーヒーを、同じリズムで飲み込んでいる。


 ただし、フルフェイスを外すつもり自体はないらしい。

 彼は器用に、或いは苦行じみて、ホットコーヒーをわざわざストローで頂いている。



「……なあそれ、熱くないの?」


「熱いよ? 熱いさ。そんなことで曲げられる矜持じゃないってだけ」



「アイスにすりゃいいじゃん」


「……、……」



 フルフェイス越しではレクスの反応は判然としないが、ハルは聞き洩らさなかった。

 レクスは確かに、聞こえない程度の声量で「あっ」と呟いていた。



「……、……その発想はなかったってか?」


「いやあったね。あったさ。敢えてという言葉を知らねえのかジャパニーズは」



「敢えてなんなんだよ……」


「喉を鍛えてる。インナーマッスルはそう簡単に鍛えられないってトレーニング弱小国ジャパニーズは知らなかったようだな? 一つ勉強になったと思え」



「……、お前、まさかと思うがバカなのか?」


「殺すぞ?」



 まあ、バカにバカかって聞いてもバカだよって答えたりはしないか、とハルはその場を濁しておく。

 とかく、食事が来た。頂かぬことには始まるまい。



「――お待たせしました。ハンバーグマフィンです」



 カジュアルな格好をした女性店員が、朝らしく清潔感のある調子でメニューを諳んじる。


 ――ハンバーグマフィン。


 メニューを見た際のハルはどんなゲテモノが来るかと戦々恐々であったが、それを押して二人分の注文をしたのがレクスである。

 曰く、この店は彼のお気に入りなのだとか。



「どうだ、俺を信じろって言ったろ?」


「おぉ、……うまそうじゃねえか」



 イメージとしては朝〇ックのアレに近い。ソーセージと名乗るハンバーグが挟まったマフィンを名乗る甘いバンズのアレである。

 というか、ほとんどそのものと言っても差し支えない。……強いて言えば、付け合わせのポテトが皮付きのスライスだったりデザートにオレンジが付いていたりといった違いはあるが。



「この店を見つけたときに、オレは感動したね」



 レクスは言う。



「故郷の味に巡り合えたって気がしたんだ。分かるか、このメープルの香りが。……オレはよ、毎晩寝る前に枕元でこの店を思い出す。甘く仕上がったフワフワにしてもちもちのマフィンをかみしめて、その奥にあるハンバーグの肉汁とチェダーチーズのうまみと、メープルバターの上品な甘さを発掘する。それを舌と頬の内側いっぱいに感じて、そしてミルクで流し込む。そんな空想だ。すると、どうなっちまうと思う?」


「腹減って寝れなくなるんじゃね?」


「その通り。オレは今すげえ腹が減ってる。さぁ、いただくぞ――ッ!!」



 レクスは、「あがが」などと言いながら無理やりフルフェイスを引っ張って口元にスペースを作り、そこにマフィンを詰め込んだ。

 それを眺めるハルはいよいよ「レクスバカ疑惑」を確固たるものにしつつ、頬張るように一口。



「――――。」



 確かに、それはレクスが言った通りの味であった。

 ほのかに甘くて身の詰まった食感のマフィンをかみしめて、その感触の奥にハンバーグとチーズとメープルバターの風味を探す。見た目よりもずっと密々とした生地を噛み切ったその瞬間、口内には気付けば、あふれんばかりの肉汁と溶けたチーズの濃厚なうまみがあふれている。そしてそのさらに奥。そこにあるのが、ふんわりとしたメープルの香り、バターのコクだ。


 レクスが言った通りの味が、聞いて予想していたものをはるかに超える威力で口内に満ち満ちる。口の中がいっぱいになるほどの密度がありながら、その味には明確な「層」がある。

 マフィンの旨味、肉汁の旨味、チーズの旨味、メープルバターの旨味。これらが層を為し、段階を為して、行列にでも並んでいたかのようにしてお行儀よく、順番・・に口の内側を支配する。


 そして、だかこらこそ気づけたことがある。

 フライドポテトがスティックではなくスライスなのは、きっとこの時のためであった。



「――、」



 口の中で層を為して満たす旨味。ここに、フライドポテトのスライスを一口分かじり、

 ――カシュリ! という音と共に、旨味のカオスと化していた口内をポテトのホクホク感がぬぐい、喉の奥へと滑り落ちる。


 ……なるほど、これはフレンチでいうところのパンの役目であるらしい、とハルは遅れて気づく。

 ソースが命と言われるフレンチは、だからこそソースが濃厚濃密である。飲料の嚥下だけでは拭いきれない口内の旨味を、パンを咀嚼することによってまっさらにする。それと同様の狙いが、このポテトにはあるらしい。



「……、旨いな」


「だろう!」



 大人の握りこぶしよりも少し大きいくらいのマフィンバーガーである。それが、こんなにも食うのに時間がかかる・・・・・・・・・・とは。

 がふがふと食い進めても先は長く、それでいて飲み込んだ一口分は胃の腑に豪快なパンチを食らわせる。これは、今ならば分かる。小さいのではなくギュッと詰め込まれているのだと。


 フライドポテトの脂が、ミルクの爽快なる濃厚さが、そして時折にはコーヒーでひと心地が、食えども食えども密度を減らさぬマフィンバーガ―の旨味を新鮮なものにリセットする。だからこそ、この小さいはずなのにド級と言わざるを得ない逸品を、彼らは飽きるなんて選択肢は端から存在しないとばかりに貪り続ける。

 どれだけ食い進めたかなどすでに忘れた。うまいから食う。うまいから食い続ける。それだけであった。ゆえに彼らは、――オレンジのスライスで口内をすすぎ終わって後、一拍遅れて自分たちが完食していたことに気が付いた。



「……、……」


「……、……」



 二者の感情は、その瞬間においては同一であった。

 つまりは、――歩きたくない。


 貪るように食らった最上の一品は、今になって二名の胃の腑にて鈍重な存在感を発揮し始める。

 ……これで歩いたら嗚咽が出るかもしれないし、激しく動いたらモノごと出てくる・・・・・・・・。彼らが感じているのはそんな、気持ち悪さと表裏一体スレスレの満腹感である。


 だから、であったのだろう。


 ここまでにフランクな会話は殆どなかったはずの二人は、――ここにきて遂に、「雑談」を始めた。



「そういえばレクスよ」


「なんだ」


「ベアトリクス・ワートスだったか? あの子はどうした? まだオコジョなんだっけか?」


「昨晩、北の魔王に解呪を頼んだ。……あの野郎、解呪には数日かかるとか初めは言ってやがったんだ。そこも、裏切るまでの伏線だったんだな。その数日・・ってタイムリミットの間に裏切り直す・・・・・から、それまでの時間稼ぎだったってわけだ?」


「その通り。駄目だぞお前、陣営をコウモリしてる相手に主導権を渡したら。……というか、本当に鵜呑みにしたのか? すでに二枚舌ダブスタかましてる相手のことを?」


「……その解呪の工程がすげぇそれっぽいもんだから信じちまった」


「…………。ちょっと気になるなそれ。実は時間稼ぎするところまでしか打ち合わせしてないんだよな。どんなことしてたんだあいつ?」


「ベアを、まずはオリーブオイルで洗ってな?」


「……、……へー」


「塩をまぶす」


「違和感感じなかったの?」


「当時のオレは必死だったんだ。仕方ないだろ」


「仕方ないことねえと思うぞ? どうするんだそのまま加熱されたら、オコジョのアヒージョの出来上がりだぞ」


「いやでも毛並みはよくなったんだ」


「なにがいやでもだよ。オコジョとしての美を追求してんじゃねえよ……」


「それに、途中でオリーブオイルをほんのり温める行程があったんだ。ベアも、お風呂みたいだって喜んでたんだよ」


「ちゃんとアヒージョ作ろうとしてるな。止めろ止めろ? ちょっと火加減間違ったらカリッと死んでたんだぞ?」


「ベアが喜んでたからよぉ……」


「愛のあるバカって手に負えねえんだな。それで? ほかには?」


「ほかに?」


「アヒージョ作るなんて一晩もかからないだろ? ほかにも何か儀式、……の体の茶番があったんだろ? 腹ごなしに聞かせてくれよ」


「ああ。北の魔王がベアに、酒を振りかけたことがあった。当時は俺も、アフリカの民族がやる魔よけの儀式みたいだしこういうこともあるのかなと思って納得してたよ」


「……、あー、見たことあるなディス〇バリーチャンネルみたいなやつで」


「で、塩をまぶす」


「食おうとしてるね。二日連続で。なんで止めねえの?」


「昨日も似たようなことしてたしこういうもんなのかな解呪ってと思って」


「目も当てられないなぁ。普通、あれコレ調理じゃね? ってならないもんかね……」


「俺もベアも必死だったからよぉ……」


「それが免罪符になる水準超えてるんだよ。それで、そのあと加熱したのか」


「したな」


「じゃあ翌日もするんだなきっと」


「ああ。翌日の解呪は大変だった……。あの日が、一番の修羅場だったかな」


「へえ? どんな?」


「カルティスがコック帽を被ってきてな」


「ダウトだな。……レクスお前、俺をだまそうとしていないか? そうだよな、考えてみたらこんなバカなことあるはずない」


「必死だったんだよ。それとも、……必死に大切な人を元に戻そうとしてるのをバカにしようっていうのか?」


「言葉を綺麗に取り繕うな。お前のバカはもっと手前の部分にあるはずだ。……いや、本当にコック帽を被ってきたのか? だったら続きを聞かなくもないんだけど」


「被ってたよ。必死だったことに嘘なんてつくわけない。……そうだな、その日は、カルティスは荷物を持ち込んできた。なんでも、特別な道具を使わないとダメなんだって言って」


「……それって言うと?」


「ステーキ用の肉とかをよ、叩いて柔らかくするハンマーって分かるか?」


「分かるが?」


「それだよ」


「それを、……納得したのかお前?」


「無論だ。彼女を助けるためなら俺は何だってする」


「…………怒られるの覚悟で言うけど、お前は今後の人生『自分はバカ』前提で生きていった方が良いな。人を傷付けかねない」


「あ? 馬鹿にしてんのか?」


「してねえよバーカ。……それで? どうしたんだその時は。そのハンマーでカルティスがベアトリクス・ワートスを滅多打ちにしたのか?」


「いや。……今でも、思い出したくない記憶なんだけどよ。さすがのカルティスもそんなひどい真似は出来ないって、したくない、すべきじゃないって言ってたんだ。だから代わりに、オレにそのハンマーを渡してきた」


「茶番だって判明した今だから分かるけどカルティスとんでもねえな……」


「それであいつが、『自分の代わりにベアを叩いて、邪気を浄化しろ』ってよ……。ベアも、頑張ってくれたんだ……、痛かっただろうに、俺のハンマーをその身に浴びて……ッ!」


「バカってそれだけで罪悪なんだなぁ……」


「そしたらよ、カルティスの野郎なんて言ったと思う!? 『ちょっとさすがに思ったよりも見てられないからその辺で良いよ』だってよ!! 信じられねえ! 俺たちの覚悟をあいつは鼻で笑いやがったんだ!」


「そりゃあ怒って当然だ。俺もちょっとカルティスの評価を下方修正しなきゃいけないと思ってるとこだ」


「まあ、……こんなもんだよ、解呪の下りは。ちなみに次の日は味噌煮込みで、その次の日はお新香だ。聞くか?」


「聞く必要ないよな、今ので全部説明すんだんだから」



 と、そこでハルが片手をあげた。

 それに気付いたスタッフに、彼は「ごちそうさまです」と勘定の旨を伝えて、



「そろそろ、歩きながらにするか?」


「……そうだな」



 レクスに了承を得、ハルは手元のコーヒーを一気に嚥下した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る