『epilogue..
――静寂。
或いは、耳をすませばかすかにジャズの音色。
そこは、とある異世界のバーである。
黒檀のカウンターには琥珀色の光影。ビールサーバーの金管は新品のトロンボーンのように光り輝いていて、それがほのかなチャームのように、昏い店内に光を撒く。
客は二人。彼らは、円卓に向かい合うようにして、それぞれ一人用のソファーに収まっている。
店員も二名いたが、彼ら彼女らはここにおいては、一流のバトラーのように綺麗に気配を消している。
故に、二人。
――レクス・ロー・コスモグラフと、先ほど彼に対峙した『青年』。
衣装直しの時間などはなかったはずだが、レクスの鎧にはいつの間にやら、傷や埃の一つもない。
或いは、あれだけの死闘を経たはずの彼からは汗の香り一つせず、その代わり、新鮮なコロンの芳香が微かにわかる。
そして、それは『青年』にしても同様だ。
先ほどのレクスとの戦闘ではほとんどサンドバックだったはずの彼もまた、簡単に衣装を整え、ドレスコードに適う恰好に自身を改めた。
それから、両者の手元。
レクスの手元にはカクテルグラス、……ルビーを溶かしたように煌びやかな色のショートカクテルがあるが、彼自身は兜をつけたままでそれに手を付ける様子はない。
また、他方『青年』の手元にはロックグラスに、『歴史』という概念のブラウンを溶かしたような透明なアルコールが注がれていて、またそれは半ばほどまで減っていた。
レクスはただ、像のように『青年』を待ち、そして『青年』は、
――今ちょうど、トランプのシャッフルを終えたところであった。
「二人でできるゲーム、何が良いだろうな?」
「この場所は、
「悪いスキルじゃないだろ? 腰を据えてゆっくりできる場所に、相手を招待するスキルだ」
「……、……」
青年は冗談っぽく言って、卓上にゆっくりとカードを配り始める。
「手持ち無沙汰だから配っちまうぞ? それで、やりたいゲームはないのか?」
「やりたいゲームなんざあるか。オレはこんなもんでカタを付けるなんて提案に承諾するつもりはない。暴れ回られたくなかったらここから出せ」
「……残念だが、ここは『乗り気』なやつしか来れない場所なんだよ。俺が呼ばなくても、街角でふらっとここの扉を見つけたら、自らドアをノックするようなやつしか呼べない空間だ。バーは、来るもの拒まずってな」
卓上にて札がこすれる音。
BGMはささやかすぎて、その音にさえ埋没している。
二人の会話が、昏闇にぽっかりと浮かび上がる。
「それ」
「ん? トランプがどうした? ……今更シャッフルさせろなんて言うなよ? イカサマが怖いなら最初に言えばよかった。回収してシャッフルして改めて配り直しなんてダサいこと許さんぞこのバーでは」
「いや、……待てよ。それ全部配るつもりなのか?」
「え? あ、うん」
「まさかカード全部使おうなんてことはないよな? 27枚のカードを手札に抱えるなんてそれこそ野暮ったい」
「……、……」
今しがた49枚目のカードを卓上に置いていた青年は、そこで、
「……、」
不承不承そうに、配り終えたカードを回収して改めてシャッフルを始めた。
「先にゲームを決めとくんだったな。どうしようか? 俺は何でも構わないけど」
「……、そうだな」
レクスが、少し姿勢を後ろに崩した。
そして、……呟くように言う。
「
「……、」
「名前を売りすぎだな手前。素寒貧でギルドに来てカードゲームで飲み代を稼ぐ『大富豪野郎(笑)』って名前は、最近じゃよく聞く。お前のことだろ?」
「……待て。俺はそんな通り名は知らない。あと看過もできない。なんで通り名に(笑)が付いてやがる……?」
「大富豪を提案する癖にやってることが大貧民だからじゃねえか?」
「俺別に、……いやっ、金がなくてそんな真似してたわけじゃねえけどね? リスクを敢えて負ってスリルを楽しんでいただけなんだけどそっか伝わんなかったか。あーあ、可哀そうなやつらだなぁ……ッ!」
シャッフルの手を止めて、青年は手元のロックグラスを雑に飲み下す。
それから、グラスの水滴で湿った指先をシルクで拭いて、バーテンダーらしい人物に「おかわりを。ショットガンで」と伝えた。
「で、どうする?」
「ゲームを始める前に、掛け金を決めるべきだろ?」
青年の問いに、レクスは重ねるように問いを掛ける。
「手前の目的は、なんなんだ? 何を理由に参戦してやがる。あの。エイルとかいうメスガキのお守りか?」
「……あいつにお守りなんかいらないって、さっきまでで散々身に染みてるんじゃないのか?」
「……、……」
レクスの軽々とした皮肉を、青年は適当に流して、
「参加の理由なんてないよ。強いて言えば身内を応援してるだけだ。俺自身が俺自身のためにこの戦場で成し遂げたい思惑なんかは何もない」
「なら、邪魔をするな。確かにオレはカードゲームを飲んだんだろうが、それは手前を倒す算段が見当たらなかったからってだけだ。無敵の不死身ってのを真に受けてな。……あんま舐めたこと言ってんなら、オレは普通に俺のやり方で戦うだけだぞ? ――今は、手前のステージによ、乗ってやってんだ。優しく、慈悲深くな?」
「……まあ、お前に向けての脅しがレガリア=エネルギーの使用一個だけだったってのは軽率だったかもしれないな。受けきる自信があるわけだ?」
「試すんだよ。それで駄目なら駄目で良いのさ。術式の確定化なんてもんは、要は気合だ。気合で負けた方が負けるんだ。ならいつも通りのステゴロと変わらねえ」
「理屈じゃねえな……。まあ、
「……、……」
青年がそこで、シャッフルの手を止めて、
「カードにしろ、殺し合いにしろ、――終わるまでやろう。決着がつくまで」
「……それに怯えるって、マジで思ってるのか?」
「これが脅しになるかは、ゆっくり話を聞いてくれ。それより、いい加減手が疲れてきた。余興で良いからとりあえず一戦やろう。ポーカーで良いか?」
「……それこそ、レイズもフォールドもねぇんじゃねえのか」
「じゃあ、俺は
「……、」
「おかしくないよな? 北の魔王が裏切ったなんてのは嘘なんだから、結局ベアトリクスはオコジョのままだ」
「……、オレは、何を賭ければいい?」
「じゃあ、そのフルフェイスでも賭けてろ。レイズするなら鎧のパーツを一つずつとかで良いぞ。そっちが
「……ルールは?」
「ドローポーカーでどうだ? 俺の国じゃテキサスホールデムよりも断然こっちでな」
「……まあ、いい。じゃあ、やろうぜ」
その言葉を聞いて、青年は卓上にカードを配り始める。
レクスはその所作を徹底的に観察するが、……ひとまず、英雄スキルを使用しての動体視力で以って、確認できたイカサマはナシ。
その時点でレクスは、意識を切り替えて第三スキル『スーパーヒーロー・タイム』の部分的起動に注力する。
ヒーローの持ちえる『運』のみを抽出し、レクスはそれを実際の手札に大いに感じながら、
「おい。手前のチップは何枚ある?」
「じゃあ、それもチップにしよう。俺がいくつ、レクス・ロー・コスモグラフ向けの嫌がらせを確保しているか。他にも何かチップに変えてほしいモンがあったら言ってくれ?」
「チッ。……ベットだ」
青年は軽やかに笑いつつも、チェックとレクスに答える。
結果、――掛け金は上がらないまま、両者の手札の開示は行われた。
「フルハウス」
「あー、こっちはブタだ……。じゃあ、約束通りベアトリクスの呪いは解こう。……さて、次は何を賭けようか?」
負けたもののそれとは思えぬ声色で青年は言い、バーテンダーから受け取ったおかわりを口に含んだ。
「ベット。手前の掛け金は『チップ』の数だ」
「……いいよ。ベット」
「コール。先に言っとくがチェックだ」
「駆け引きのかけらもないな……。こっちはブタの8だ」
「Aのフルハウス」
「ツいてるじゃねえか、妬けるね。……27個」
「じゃあ、次は手前が親だな? 先に言っとくがコールだ。手前はその27個の
「仕方ないな、ベットで。……今気づいたんだけど、このゲーム下りられなくないか?」
「知るか、今更。チェック」
「チェック。6のブタ」
「フラッシュ」
「……口頭は面倒なんで、裏でここのメイドに書かせとくよ。次は?」
「チップのリストがないのに始められるか。……いや、それじゃせっかくだ。魔力無効系の魔道具を持ってるならそれを賭けろ。暇つぶしにはちょうどいいレートだ」
「それなら持ってる。『剛剣』と『失せモノ探しの加護』もついた一級品だ」
「ベット」
「コール。……そんでチェック」
「ストレート。Aだ」
「……ブタだ。このゲームが終わったら持ってくるよ。……さて、今度はこっちから掛け金を提案しようか。興味があるかはわからないが、俺の冒険者としての活動実績なんかどうだ? H級の魔物、倒したことがなかったら」
「数匹倒したが、……せっかくだ。いいぜ」
そうしている頃に、給仕がリスト化した『27個のチップの内容』を用意する。その間にも二人は、ただ静かにポーカーを続け……、
「またブタだ」
「ストレートフラッシュ」
青年のチップは、気づけば残り『3枚』となっていた。
「……、……今日は、ツキが悪いな」
「ほら、どうする? 次は何を賭ける。余興のつもりがトンだ決闘になっちまった。オレに喧嘩を売る手札のほとんどをスッちまって。……オールインでもいいぜ? 先に言っとくが俺はコールだ」
「……、……。」
青年はそこで、気後れしたようにレクスに言う。
「オールインは、させてもらうが……、なあ?」
「あん?」
「一つ、チップを足してもいいか? もともとはお前に渡すつもりなんてなかったもんなんだが……」
「なんでもいいさ。早く賭けろよ。それで晴れて素寒貧だ」
「そうか? じゃあお言葉に甘えて、
――
「……………………は?」
青年の言葉にレクスは素直に言葉を失う。
質の悪いジョークを聞いたとしか思えないが、……しかし、
レクスはその感情を失笑に変えて、青年を威圧するようにして言う。
「なに、言ってやがる? 馬鹿なのか? 72ヵ国? ……持ってないモンまで机に乗せやがったのか?」
「そう思うか? なら、いい加減聞いてくれ。答え合わせ」
そこで青年は、
――遂にといった表情で、悪趣味極まりない笑顔をレクスに向けた。
「そもそもこの戦争だけどな、こっちの手札が分かって無かった時点で、初手の初手からお前らの負けは確定してたんだよ。さて、何言ってるかわかるかな?」
「……、」
「よくもまあギルドなんて言う『ただの世界を股に掛けた一組織風情』が、
さあ、その上でだ。……俺たちには最初っから、この世界由来の英雄であるウォルガン・アキンソン部隊がいた。それと、世界中の為政者の政治的な技術提供者らしい楠ミツキな。こいつらに方々を回ってもらって、ふざけた事ぬかしやがったギルドに文句を言おうぜって話をまとめてもらってたわけだ。
「……それで、72ヵ国もの国がそれを飲んだって? ギルドに盾突いて? あり得ない。あり得ないだろ……? ギルドがどれだけ世界中に依存されてるかわかってねえのか? 国が持つ騎士の力だけじゃ狩り切れない魔物の討伐も、普通に生きてるんじゃ食いっぱぐれるかアングラに直行するような荒くれものに首輪をつけるための雇用力も、いや、……もう例えだって出し切れないレベルだぞ!? この世界のルールの大前提になってるのがギルドって制度組織だ! これを国の運営からすっぱ抜いたら国ごと倒壊するって理解できないバカが72ヵ国もあったっていうのか!?」
「いや、
「それは、どういう……?」
「『エイル派』は全世界に周知された。ウォルガン・アキンソン部隊はこの世界に舞い戻った。その上で今、
「……、」
「さっきは脅しに使ったが、今はチップとして使おうか。……俺が賭けるのは、
そこでレクスは、遂に感情をあらわにする。
机を殴りつけ、ソファーに座ったまま前のめりとなり、青年を強くにらみつけて叱責する。
「あり得ないし、不可能だッ! どうしてそうなると確信してるのか知らねぇが人間だってバカじゃねえ! 手前にホイホイ操られてそのまま世界大戦だァ!? 舐めてるんじゃねえ! そもそも手前よォ、ポーカーにも勝てねえ雑魚が言ってることがデカ過ぎァしねえかオラァ!!」
しかしそこで青年は、
――実に冷静に、「不思議そうな顔」を作った。
「なあ」
「なんだ、言うことあんなら言ってみろよ誇大広告のブタ野郎!」
「ずっと疑問だった。俺は少なからずこの世界で自分の名前を名乗ったんだが、誰も驚かない。大抵は怯えもしない。……唯一察してたのはエイルの爺さんだ。お前も、もしかして俺の名前に心当たりがないのか?」
「は!? いや知ってるよ手前が名乗りやがったんだろうが! 手前の名前は――ッ!」
「いや分かった。もういい。
「オールインしたならチェックはねえよ! それより、どういう意味だ手前!」
「俺は、世界を滅ぼすこと自体は可能だって意味だ。それと、……捕捉がもう一つ」
そこで青年は、手札を乱雑に卓上にさらした。
と、その役は――。
「ポーカーで勝てないってのは勘違いだ。勝ちドコロを見極めるのは大前提だろ?
――じゃ、ロイヤル・ストレート・フラッシュだ。チップは四つ、選んで返してくれ?」
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