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「……、……」




 


 しかしそれは、どこまでも緩慢であった。ゆえに彼女、レオリア・ストラトスはそれを気に留めることが出来ず、代わりに小さく呟いた。




「……。悪い賭けだな、我ながら」




 戦線後方。ストラトス領兵隊列の最奥にて。

 そう嘯く彼女が脳裏に描くのは、狼の影越しに見た光景と、交わした言葉であった。


 ……いや、正確に言えばまともな言葉などは交わせていない。


 ただすらに疑問を投げて、言葉が返らず、だから一方的に「世界を人質にした」。

 それだけのやり取りをコミュニケーションとは言えまい。



「レオリア様……」


「ん? なんだい?」



「本当に、使われるのですか?」


「……、」



 傍らの兵が遠慮がちに問う。

 対するレオリアは、その視線をまっすぐに受けて、



使うよ・・・


「……、……」


「世界を人質にする、なんて思惑も確かにあるけどね。それ以前に私は、もうなりふり構ってなんかいられない。しばらく待ってエイルちゃんが来なかったら、私は本当に撃つ」



 もう一度彼女は、「悪い賭けだ」と独り言ちる。



 分が悪いのではなく、気持ちが悪い。人質・・が功を奏しても、或いは本当に禁呪を使うことになっても、試合には勝てるが勝負には完敗だ。


 目的のために誇りと秩序のどちらを捨てるか。これは、そういった岐路であった。




「――申請:禁忌解錠」




 だけれど、

 苦悩はひとまず、捨てておく。



「参照:二項一節:九十八条」




 その代わり彼女は、虚空に手を。

 その手が仄かに光を帯びて、そこに、鈍重な質量を帯びた魔力が集積する。





「禁忌目録術式:『机上の無敵タカノメ』」





 その声と共に、堆積した魔力が更に収斂する。



 収斂。収束。

 凝縮。凝固。



 幻想ではない質量を、光は得る。




「――彼の者は孤独。白紫花の揺蕩う、とある湖畔にて」




机上の無敵タカノメ』。


 その禁忌は墓標。

 その条銘は『とある名もなき者の休息のため』に禁忌目録に秘された。




「――世界に届く。焚き木無き夜に。骨をくべれば星も廻ろう」




 レオリアは詠唱に追想を載せる。

 RIPの碑の前に跪き、両手を組んで冥福を祈るように、



 脳裏に、『とある無名の物語』を描く。




「――無垢なその手が濡月を揺らす。枝を伸ばして、濡月を揺らせ」




 それと共に、詠唱が積み重なるとともに、彼女の手の光が彩を帯びる。

 その色は黒。夜を塗り固めたような黒である。ただし、



 ……この世界の人間では、きっとこの『武器』を武器とも思うまい。





「――赤と告白。雫を払え。彼の者は持たず、ただ碑に刻む」




 


 レオリアからすればその夜烏色の『棒筒』は、これ以上なき暴力を内包した『武器』であった。そして、



 ――彼女の瞳に、【光】が灯る。





「――帰結に花を。塔に立つ。降りしきる雨を繁華が照らした」





 その彩は猛禽の月色。

 その瞳は、過日、この世界の『千里』を視た。







「――その、とある最期にて」






 そう、英雄カレは、






「――カレは、机上の最強を証明した。


 禁忌目録術式:幻想召喚。

誰にも知られず、そして誰もを救った英雄』」






「――――。見事、です」


「ふぅ。……そう? まあ褒められてもなぁ、褒められたことしてるわけじゃないんだよなぁ」



 神々しいまでの光景に、さっきまで及び腰であったはずの彼さえ感嘆を漏らす。


 それに曖昧に応えるレオリアは、魔法陣を帯びた・・・月色の片目を二、三度瞬いて、その手の長銃を持ち上げた。



 ――幻想召喚。


 それは、歴史ものがたりの一節を召喚する魔術である。

 空間、生物、無機物、魔力リソース。この体系魔術はそれら全ての一節/位相レイヤーをこの世界に重ね込む。



 もしも彼女が『世界最期の日くうかん』を呼んだなら、そこ・・は『この世界』であると同時に『世界最期の日』にもなる。或いは存命の英雄を呼んだとすれば、この世界にはその英雄が二人いることになるだろう。その理屈をこの術式は、『武装』に応用する。



 呼び出したのは、人の身で神上の無敵に至ったとある「論理ロジック」である。

 無私の少年と、世界を視る目と、世界のどこまでにでも届き、そして貫く弾丸。それが机上に無敵を算出はじきだしたのなら、そのうち二つを揃えた「無私の少年ではない誰か」も、限りなく無敵に接近する。



 世界を視て、引き金を引けば良い。

 それで敵はいなくなる。『無敵』となる。



「――――。」



 ゆえに、そうしよう。

 彼女は跪き、銃身を地と平行にして、そしてその眼で『先』を眺める。



「(しかし……)」



 思考には、まだ少しの雑念がこびり付いていた。

 だけれどそれを無理に埋没させては、きっと引き金に余力が籠るだろう。ゆえに彼女は、わだかまる思考に蓋はせずに、



「(世界を人質にしても、エイルちゃんは接近もしてこないっぽいか……。)」



 一度瞑目し、雑念を片付ける・・・・



「(まあ、そもそも彼女のここまでの動きからして『彼女らしく』はないんだよな。裏切るってのも暗躍するってのも、リベットさんの縄に細工をするなんてトコも全部。だけど、。しかしそれなら、『アイツ』は今、何をしてる? ……ってところだな、今の状況で考察出来るのは。さて)」



 そして、思考をゼロに、『無私』にして、

 改めて彼女は、世界を望める瞳でスコープを覗き込んだ。


 ただし・・・





――――・・・・。」





 に彼女は、もう一度思考を噴出させることになる。











 ../break.











「確認してきましたっすよ。エイルさん」


「仕事がお早い。流石逆条」


「さ、流石逆条……? なんてリスペクトの感じられない四文字なんだ……」



 悪神神殿のごく近く。木立に囲われたとある場所にて。


 私はリベットの後姿を追いかけながら、「頼んだ仕事」を早々に済ませてきた彼女、マグナに、ひとまずの賛辞を贈る。



「いえ、相当早いと聞きましたが、これは本当に相当・・ですよ。特級冒険者でもこの距離をこのスピードで往復は出来ない。……ぶっちゃけ、どうやったんです?」


「種も仕掛けもあるのは認めますけどバラすわけなくない? まあ、この『用事』なら接近は最低限で良いって事情ですよ。何もレオリア嬢のすぐ近くまで行ってきたわけじゃない」


「なるほど」


「それより、ご注文の『情報』です」



 そこでマグナが、進行方向に『狼』を見付けたらしい。姿を消失させ、その手の短刀を振るう。


 ……ただし、私が見たのは『狼』が破裂した跡の光の粒子だけであったが。



「とにかく、情報です。――、だそうです。しかし本当に、詠唱の一節で足りるんでしょうね?」



 視線の向こうでマグナが言い、私は彼女に、限界一杯まで強化した脚力で以って半歩で追いつく。



「ええ。百点満点の情報提供です」


「それならいいんですけども……」



「……えっと?」



 向こうでマグナが、また更に狼を光子に変えた。

 ……少しずつ、狼に接敵する頻度が増えてきている。つまりは、すぐ先にリベットがいると見て間違いない。



「こうも木に囲まれていたら、地の利は『けもの』の方にある。リベットが如何に亜神の出力を持っていても翻弄されれば足は止まるでしょう。あなたは、彼女の手伝いを」


「理屈が分かるが、じゃあアンタは?」


「禁忌術式を切り捨てて見せましょう」



 そう言って、私は腰に差した剣・・・・・・を引き抜く。



「……それ、リベットちゃんの?」


「いいえ、



 その銘は、


 過日、ハルが公国の英雄である楠ミツキから受け取った剣である。



「この剣は、……まあ色々と・・・加護が付いているんですがね、とにかくこの場では唯一の、禁忌術式にも対応できるであろう選択肢です」


「禁忌術式に、……対応する?」



 そこでマグナが、足は止めないままだが呆気に取られたようにこちらを見た。



「どうやって?」


斬る・・



 そう返すとマグナは、――流石に愕然としたらしい、今度は足を止めて私に食い掛った。



「いやバカな。どうやって」


種と仕掛けがある・・・・・・・・、とだけ」


「……成程ね。こりゃ一本だ」


「納得してくれたなら行ってください。もう一度言いますが、



 ……返る言葉はない。

 マグナの残像・・がただ短く頷いて、しかし私の気付いた頃には、彼女の姿はそこにはない。




「……、……」




 ゆえに、私は立ち止まる・・・・・

 逸る息を、呼吸三つで落ち着けて、染み込むような森の静寂に耳朶を晒す。




「……、……。」




机上の無敵タカノメ

 マグナから聞いた詠唱は、間違いなくその術式のモノであった。禁忌目録の二項の一節、九十八条。



 ――『ヒト』を記す禁忌項の現代神話節。そのえだの一つ。その条目には、『鷹の目』と呼ばれる特殊千里眼スキルを右目に宿した、無名の救世者の来例がある。



 世界を視る目。無我の境地たる個人。そしてその個人が得た、『距離を無意味にする武装』。この三つが一つとなるとき、そこには論理的な『無敵』が発生する。



 敵を見て、武装を持ち上げ、その引き金を引く。それで以って『敵』は『無』に帰す。

 対応は不可能。それはこの世界に存在し得るモノでも最も強固な『完璧たる暗殺理論』の一つである。


 この条目に記された人物は曰く、過日、その眼と命を燃やして『目』と『自ら』を最強へと引き上げ、その果てに、雨の降る常闇の繁華城国にて悪逆の王を暗殺したらしい。





「  。」





 その伝説に、私は挑む。


 彼の名もなき英雄が執ったのが『ゼロ次元の武装』だとして、私の持つ『この剣』で格が足りぬ道理はあるまい。この、しなやかに美しくも剛健な剣だって、今は失われし英雄が執った最高の『武装』である。――さあ、ならば、



 悩むべきことなど、もうあるまい。

 私は――、





「――――。」





 静寂に耳を浸す。



 静寂に、耳を浸す。


 瞑目し、世界を描く。


 木の葉の揺れる音。


 夏の透明な日差し。


 日差しが葉を透き、緑に彩付く。


 風に木立の呼吸が乗る。瑞々しく、私の頬を擦過する。


 否。


『私』などという輪郭は既に不透明だ。いや、『私』が透明となっただけのこと。


 世界に『私』はいない。そして、『私』は世界であった。



 気付いても見れば不可思議な思い込みをしていたものだ。肌一つを介入した程度で、『私』と世界の区別をしようなどとは。



 私は、呼吸にて世界を取り入れる。ならばどの時点て、私の取り入れた『世界』は『私』となる? 全ては否。前提が違う。取り入れた世界が、私の内側を透明な空の色に変えていくのだ。ゆえに私は、






 ――実績を解除・・・・・



 ――あなたはスキル:『世界観〈Ⅰ〉』を入手しました。ステータス・スキル項に反映します。







「  。」


 不思議なこと・・・・・・を、誰かが言った気がした。



 なにせスキルなど得ずとも、既に私は世界にあった。。そんなことは、『当たり前のこと』でしかない。


 ゆえに私はそれを聞き流し、そして世界をる。



 イメージするのはたった一人の劇場である。目前にあるのが世界。私は、自我越しに体内セカイを、体外セカイを、世界セカイを観た。



 木の葉が揺れる。木の葉が揺れる。風が鳴る。森の外では風は奔る。

 その奥に、ならば、彼女レオリアは在って然る。彼女は今、とある英雄の武装を覗きながら、そしてこちらを視て驚愕をしている。



 きっと、彼女が私を視ていて、そして私も彼女を観ていることに、――その『視線』の交錯に驚愕をしているのだろう。それが、私には手に取るように分かった。





「  。」


 嗚呼。

 無敵・・などと、片腹痛い話であった。




 それは『世界視』と『ゼロ次元の武装』だけで為せるものなどでは決してない。前提にして根幹足る要素が足りていない。視て、当てられる。そんなのは当然の事だろうに。


 そうとも。


「    、――――。」



 無私がなくてはいけない。

 無私えいゆうがいなくて、どうして英雄譚が紡げよう?
















「――――。」


 ――閃光フラッシュ
















 幾つもの距離を隔てた先で、光が飛び散る。音が弾けた。それら全てを置き去りにして、弾丸が私の身体を貫く。――その直前に、


「――――ッ!!!!!!」











 私が、それを切り伏せる!










「――――かはッ! はァ、はぁ!!」



 途端に、身体の限界を容易に飛び越えるほどの情報量が一気に私の脳を灼いた。


 世界を観ていたはずの私の目が、ただ視界を捉えるのにも苦労するほどの暗がりに彩られる。それでもきっと、次の一撃はきっとくる。ゆえに私は五感から視覚を切り捨て、耳鳴りの向こうの風の音に意識を集中した。



 ……『世界観』。

 このスキルで以って恐らくは、私の内魔力イドは枯渇寸前まで擦り減っている。にこれほどの魔力を費やす理不尽さには、今は蓋をするべきだろう。なにせ今、風の音に乗って、『狼』の唸り声が私のうなじに噛みついた。



「ッ!!」



 背後からの一撃。

 。その初撃を切り伏せた直後、二匹目の狼が私の死角から飛び掛かる。しかし私は視覚視界を既に切り捨てていた。ゆえにその狼は、私の短刀の一撃を以って袈裟に伏す。


 そして三匹目。四匹目。気付けば私の周囲を、数え切れぬほどの狼が囲っていた。



「…………。」



 しかし、私はこの光景に裏を描く・・・・


 ――とある友人が、それを教えてくれたのだ。そうせよ・・・・と。そうして先に裏を取らねば、敵にガラ空きな裏を取られるぞ、と。寧ろ裏を取って見せろ。と。



 ならば、さて、

 それをやってみるのも、悪くはあるまい!


「――――!」



 折り重なるような狼たちの連携。そんなものは驚異の内にも数えられない。踊るように、流水のように、私は狼の一撃を避けていなしては切り伏せる。続撃は数え切れぬが、それでもなお脅威には当たらない。ゆえに多大に残る思考リソースを彼女レオリアの思考のトレースに費やしながら、私は迫る狼と共に後退をする。


 ――神殿までは、あと2分。或いはこの先には、もっと桁違いの数の狼がいるのだろう。ゆえにこの目測はアテになるまい。それよりも先に私は、リベットがどれだけの先にいるのかをイメージする。


 レオリアが私を狙った以上、あの狙撃の時点でリベットはまだ神殿に接近出来てはいないはずだ。侵入間際に彼女がいたとすれば、レオリアは私ではなく彼女を狙うはずである。そして今、禁忌術式という絶対の切り札でも私を排除できなかったレオリアは、ならば、どう出る?



「……、……」



 射角を変えるために進行方向の左右に移動する? 無しではないが、悪手の類いだ。

 禁忌術式という禁じ手・・・を取り出した以上、レオリアはこの狙撃で確実にリベットを無力化するつもりであるはずだ。或いはと言い換えてもいい。それはつまり、『レオリアの狙撃』無しでは対処が間に合わずリベットが狼の包囲を攻略し神殿に逃げ込むであろうことの証左である。


 では翻って、射角を変えない・・・・・・・つもりだとすればどうだ?

 その場合、左右に移動するという『タイムロス』は無いが、その代わり私という壁を突破する必要があるだろう。そして、壁を突破した暁には無防備なリベットの身体を悠々と狙える。では、その上で、


 ――『狼』というリソースをわざわざここで私に割いた理由はなんだ? それを考えれば、彼女がどちら・・・を選んだかは悩むべくもないことだ。



「    。――――ッ!」



 ――閃光フラッシュを視る前に・・・・・、私の本能が剣を薙いだ。


 それが払ったのは不可視の弾丸。弾丸は、この剣の持つ加護の一つ・・、『魔力結合解除〈EX〉』によって霧散し消える。それに私は確信をする。――レオリアは、調と。

 そして、――それこそが彼女の最悪手となる!



武器生成サークル・シフトッ!!」



 その詠唱と共に、周囲に剣の花弁が浮かび上がり旋回する。それが狼の包囲を食い破り、私の周囲は狼どころか木々さえ薙ぎ倒された空白地帯となる。空虚となった包囲網をまっすぐに抜けて、私は神殿に奔る。そこに、――閃光フラッシュ。私の大腿部を狙うそれを、私は当然のごとく切り払う。二撃。三撃。同様に切り伏せる。不可視の弾丸が風を切る音、進行方向上の樹を穿つ音を頼りに、無数の弾丸をそれと全く同数の斬撃で以って無効化し、そして私は先に往き、そこに遂に、――姿殿



 そして、

 私は――っ!



「リベット!!」


「エイル!」



!」


「え? ――ってちょっとちょっとちょっと待ったァアアアあああああああ!!!???」



「武器生成:第二層:『ファイア・ビュート』ッ!!!」



 火を吐く足甲を作り出し、それによる超加速をありったけに乗せてリベットを悪神神殿の入り口に蹴り飛ばした!



「お、……ぉおおおおおおおオオオイッ! アンタ何してんだ!」


「ミッションコンプリートォ!!」


「死んだんじゃねえのかリベットちゃん!!??」


「あの子は半分神サマですよあんな蹴り一発で死ぬわけない多分きっと絶対に恐らくね!」


「絶対に恐らくってなんなんだッ!!」



 叫ぶマグナが、私に背を合わせる。



「とかくまあ、包囲の突破か……。オーケー。、あなたは?」


「では一つ、あなたの退路でも作ってさしあげましょう」


「ほう? そりゃあいい」



 狼が飛び掛かる。その数は八つ。しかしそれらは私が剣で迎撃する直前に膨張する。それも、いつかの戦場で見た「挙動」であった。ならばそこに熾るのは爆発。私は神速の八撃で、破裂間際の狼に剣を刺す。――それで、膨張は収束する。

 この剣の持つ加護が狼の魔力製の身体を無理矢理に「無意味化」し、光子も残さず消失させる。



「驚いた。その剣、結構な業物じゃないすか。……返したげなくてよかったんですか? リベットちゃんに」


「その手の加護もあるんですよ。この剣は、持ち主の手元に必ず返る」


「へー。マジで逸品じゃないですか」


「それよりマグナ、アンタ邪魔です。気を使わないといけない身柄があるんじゃ打てる手も打てなくなる。良ければさっさと捌けてもらえません?」


「……騎士の言葉使いじゃない、ぜったい」


「恐縮です。ほら、もう行って」



 ――はぁい、と気の抜けるような声が風に消えた。


 見れば、そこに彼女の姿は既にない。悪神神殿を背に私はまず、狼の、生物らしく鼻をひくつかせるような挙動に失笑を起こす。



「いない敵に気を取られますか。いえ、それでこそ獣。おかげで脅威にはまるで当たらない。――武器生成ブーケ・シフト



 私の背に『剣を織った花束』が現れる。その花弁切っ先が向くのは狼の群れの鼻先。狼はそこで、こちらの意図を探るように体勢を低くして、




宿れイレクト雷熱ドウル。『破花スレッジハンマー』!!」


 それら全てを、破裂した紫電の花弁が撃ち抜いた!




「――――。」




 起こる音は遠雷。

 巨人が森一つを踏み潰したような音が、電撃と折り重なり耳を灼く。



 木立に陰る蒼天が、私の一手で広くなる。木々の敷かれていた光景が空白となり、風が通り、――そこに、




 









「――。」


はぁ、全く・・・・・








 それは、雲ひとつが通り過ぎる間だけの、短い雨。


 いや、正確に言えばそれは、雲間一つ分という短い間だけの、『人為的な天候操作』であった。



 雨が、森に熾る電火を流す。空が洗われたようにして、真昼の太陽が蒼く輝く。

 私は濡れた髪をかき上げて、声の先、『彼女』の視線を真正面から受け止めた。



「裏切りだけじゃなく、森に火事まで起こしますか。……全く、本当にどうしてしまったんだキミは」


「いいえ、レオリア。あなたが来ると分かっていましたから。……あなた雪だって降らせられますでしょ?」




 ……アテにされても困る、と、


 彼女、レオリアは鼻を鳴らして笑った。




「……、……」




 森の空白。


 私の背にある悪神神殿は、……見れば、実にさびれた風貌をしている。


 白亜色の石造りの壁は風に晒され朽ちていて、所々からは中まで視線の通る有り様。



 ここに神がいるなどと誰が信じられよう。神殿の風貌はまさに、主を失くした遺跡そのものであった。



 ――ただし、その入り口。



 そこにだけは、冥界を先に隔てたような闇が広がっている。

 昏く、見通せず、リベットの気配もまるで感じられない。



「しかしチンケな神殿だ。ねえエイルさん? これじゃ、ウチのトコにある教会の方がまだ広い。……こんなものにこの国中が怯えてたなんて、笑い種ですな」


「……、……」



「ねえエイルさん。笑い種でしょ? こんなモノ・・・・・のためにあなたはすべて捨てた。あなたは、もう終わりだ。……いいえ、



 怜悧な視線。その表情に親愛は無い。

 ……敵を見る目だ。それをはっきりと理解しながら、


 私はただ、彼女の言葉に身を浸す。



「――。あなたの行為は我が国への破壊工作だ。そしてあなたの身分は、公国王アダム・メル・ストーリアの代替。そういうハナシでこの国に来てましたもんね。つまりこの状況は、公国代表が名刺を首に下げながら堂々と行った侵略だ。この意味が分かるでしょう? いえ、分からなくても同じだ。もう、引く道はお互いに無くなった」


「……いいえ」


「なにが違う? それとも子供の癇癪か? どうしようもないことはここに確定しただろう?」



 レオリアの背、森の奥から、この空白地帯に兵士が続々と現れる。


 木々を切り倒す音が聞こえる。それが森のずっと奥まで続く。木々が倒れ、一本の路が顕れて、


 ――そこに、整序並び立つ兵士の隊列が姿を現した。



「……、……」



 数えようとするのが馬鹿らしくなるほどの人の群れであった。

 そしてその全ての視線は、敵意は、私という裏切り者に注がれている。私はそれを受けて、



いいえ・・・



 もう一度、レオリアにそう告げた。



「……。何か、私は考え違いでもしていたか? 公国騎士エイリィン・トーラスライト」


「ええ、まるで違う」


「……、……」




私は・・、 ――


「――は?」




 ああ、そうだ。そうだとも。


 私が、私を騎士ではないと思ったあの夜。くすんだ誇りに剣の意味を見失ったあの夜に、私は全てを捨てると決めた。


 いや、捨てるのではなく、置いていこう・・・・・・と。




「…………言っている意味が分からない。なんだ? もしかしてアンタ、エイルちゃんのガワを被ったハルだったりするか?」


「それも、いいえです。私は私、あなたの見た通りの『私』ですよ」


「じゃあもういよいよ意味不明だ。キミは何を言っている? 何が言いたいんだ?」



「そうですか、それでは、


 ――



 答え合わせ。

 これは、種を明かせばあまりにも簡単で、あまりにもシンプルな仕掛けであった。




退。ゆえに私は『公国騎士』も『エイリィン・トーラスライト』も名乗ることが出来ない。ゆえに違う・・。私を『公国騎士エイリィン・トーラスライト』と呼ぶ時点で、あなたは大前提から間違っている」




「……なぜ、そんな真似を」


「公国騎士であっては『騎士』ではいられないから。それと、公国騎士でなくても『騎士』であることは出来るから。理由はこの二つです、レオリア」




 捨てるのではなく、置いておく。

 申し訳ないけれど、私の大切なものすべてを、私は少しだけ野晒しにしておこうと思う。


 きっとそのせいで、大切なものは傷ついてしまうだろう。風化して、傷がついて、置き去りにしたころとは形だって変わっている。それでも、


 それでも、きっとまた輝く。私の誇りが輝きを取り戻したように、私の大切なもの全ても、きっと輝きを取り戻す。私が、そうする。そうして見せる。

 置き去りにしてしまったそれらを、絶対にまた輝かせて見せる。




「……、……」


「なる、程ね。……――では、ただのエイル・・・・・・。それならキミは、後ろ盾もないただの犯罪者だ。国の転覆に関わる事案への工作行為。これに我が国は切実に当たる必要がある。……君が全てを自ら・・捨てて国家戦争を回避してくれたのは認めるが、それでも、そもそも君の行為はテロだ。これについて異論はあるのか」



「ええ。それも間違いです。レオリア」


「…………いいよ、今度はなんて言って私を驚かせてくれる?」



「では二つ。まずは一つ目に、――どうしてあなた方は、そんなにもこの神殿を防衛しているのですか?」


「……、」



 私の問いに、彼女は苦渋を噛み潰す。


 ……そもそもこの戦いは、魔族とヒトとを隔てる防衛戦を維持するためのモノであった。


 この悪神神殿という火薬庫があるからこそ、不倶戴天のヒトと魔族は冷戦を保てる。それを前提に、魔族が火薬庫に火を付けようとしているから、ヒトはそれを防ぐ。そういう図式だ。



 だけれど、なら、



「魔族をそんなにも信じられませんか、レオリア。向こうはあなたを信じているというのに」


「なに?」


「魔王カルティス、……いえ、を舐めるなよ、というハナシです。彼はヒトに絶望をしていますが、それでも個人を尊重している。彼にとってはあなたも私も救い難いヒト種族ですがね、それでも彼は、為政者だ。自国民を守るためなら個人的な感情なんて切り捨てて、あなたという『話の通じる人間種クソ』と同じテーブルに立ってでも不干渉条約を結ぶでしょう。或いは、今度こそ彼が、ヒトを見直すなんて目もあるかもですね?」



「…………。……――その可能性を考えなかったと思うか、ただのエイル・・・・・・? 私たちはもっと大局を見て結論を出しているんだ。我が国の民はね、魔族と言う人類史における原初の敵の脅威を、バスコ王国時代に嫌というほど見てきた。それが如何に身から出た錆かなんて話は関係ない。魔族絡みの話に対するこの国の敏感さは、それこそ悪神神殿なんて比にならないほどの火薬庫なんだよ。はっきり言えば、――悪神神殿が消滅したとすれば、その時点でヒト側が魔族に侵攻を掛ける。そういうふうに火が付くよ。だから、私たちは大局を俯瞰して、魔族に対する悪印象を持たない新世代が、この国の世論を覆す時期を待つべきだと判断した」


「……、……」



「それに、リベット氏が悪神ポーラを刺激するだけ刺激して、それで負けてしまったらどうする? それこそこの国の終わりだ。それが飛び火してやっぱり世界も終わるかもね。どうする? 神殿から悪神が出てきたら手も付けられないぞ。国家連合と特級冒険者が悪神に対応するまでに、まず間違いなくこの国は燃やし尽くされるはずだ。或いはそれを待って、『隣国に流れ弾が飛ばないように』、焦土となったこの国を決戦場にするのかもしれない」



「なるほど。ではレオリア、リベットはどうしますか?」


「特級冒険者によって悪神を神殿内部で討伐してもらうか、或いは全力で解呪を模索する。前者なら秘密裏に行えばいい。民に気取られなければ火薬庫セーフティ火薬庫セーフティのままで機能し続ける」



「危ういとは思いませんか? 楽観的だとは?」


「……、……」



? 特級冒険者そとにいるものへの打診も、の解呪にも。……必ずやり遂げると言ったあなたの覚悟は本物でも、やり遂げられるという確信はない、違いますか?」


「……、」



「だからあなたは、視野狭窄に陥った。外の力に頼るしかないと決め付けた」

「なにが、言いたい? いや、私の何を調べた・・・・・のかは知らないが、的外れだ。確信がないなど当たり前の事でしょう。なにせ前例がない。それでもやらねばならないことだ。道を拓き、私がこの手で前例を作る。それだけの話だ」


いいえ・・・


「……。」




「私はあなたの何か・・など知りません。私が知っているのは、私の剣聖が決して折れぬことだけだ。それでは、レオリア、――もう一つの間違いも、教えて差し上げます。私のことをただのエイル・・・・・・と呼んだのは間違いですよ。私の事は……、




 ――準三級冒険者エイル・・・・・・・・・と、そう呼んでください」





 そこで、レオリアが、――奇妙なジョークでも聞いたような表情を作った。




「冒険者……?」


「ええ、そちらも昨日付けでね」



「あなた、は、…………ああっ、クソ! アンタは! アンタは本当に何が言いたいんだ!? もうこの際だからはっきり文句言っておくぞ! 好き勝手しっちゃかめっちゃかにしていきやがって馬鹿野郎! つうかもういいよ! ハルを出せ・・・・・! どうせどっかに隠れてキミにあることないこと吹き込んだのはアイツだろ!? そうじゃないとキミがっ、こんなキミらしくもないやり方をするはずがない! 私はアイツと話がある! アイツの意図を直接聞かないとこっちもどうしようもないんだよ!」


「いいえ、――それも間違いだ・・・・・・・


「今度はなんだっ!?」



「この戦場に、――ここに、彼はいません。彼は今、この国の【裏側】で、彼の為すべき宿命の清算に挑んでいます」


「な、なにっ!?」




「だから、この場には私しかいない。


 ――ああ、そうです、私しかいないッ! いいかよく聞けそこの無能為政者とその後ろの馬鹿ども! あんたらはいつまで民を信じられずにいる!? 何が新世代ですか下らない! そんなことをしているうちにこの国には最悪の黒星が付くんだぞ!? リベットという救われない人間が、救われないままに死のうとしてるんだ! それを見て見ぬふりをして、あまつさえ彼女の覚悟の邪魔をする! それが、バスコ王族のやり方とどう違う!?」



「っ!」



「さあ、英雄をまた・・切り捨てなさい。それがまた必ずあなた方の首を噛み切るぞ。それとも民の笑顔を火薬庫でもぶら下げて見せて奪い続けますか!? それが恐怖政治と何が違うのか答えなさい! あなた方がしているのは、はっきり言いましょう! 恐怖によって民意を扇動する最低の悪政だ! レオリア! いいですかレオリア! 善性の国主を気取るならっ、あなたがまず最も血を流すべきだろう!? 自分の名に傷を付けてでも民意を変えろ! 地面に這いつくばって魔族に過去を謝りなさい! どれだけ不可能に見えたとしてもっ、あなたが犯した罪ではないとしてもっ、それでもそうするのがあなたの役目だろう!?」



「ふざけるなっ、……ああ、クッソ下らない! いつまでもいつまでもふざけたこと抜かしまくってんじゃねえぞ手前勝手に!! いいか!? はその世界のその先を知っている! 教えてやろうか不勉強なクソッタレ! そういう連中はどこまでもつけあがるんだ! こっちだって傷を負ってんのにカネも払って非も認めて、それで向こうは無限に被害者ヅラだ! それでもなお付け上がる馬鹿が考え無しに用意する摩擦を避け続けるために笑顔を取り繕う! そっちの方が地獄だぞ! 国民の手の届かない頭の上で見えないミサイルが飛び交う最悪の地獄だ! 最悪の地獄を選ばないために次善の地獄を選んで何が悪い!? 誇りを捨てて秩序を取って何が悪い!? 何が正しいかだとかどこに筋が通ってるかだとかそんなしょーもねえモンで民を笑顔に出来てたらとっくにやってるに決まってんだろ!? 僕らの一番重要な仕事は一生この国に戦争を持ち込まないことだってのがアンタには分かってねえのか!?」


「笑わせますね火薬庫をこんなに上手に運用してるのに!」


「最低の皮肉だなぶっ殺すぞ!」




 そこで、

 ――私は思わず鼻を鳴らす。




「なんだよ、……なんですか、何が面白い?」


「あなたはやはり、思い違いをしている。……あなたの事情は、最低限ですが私も聞き及んではいます。あなたが、であるというハナシは」



「……、……」



「しかしながら、その歴史・・・・この歴史・・・・ではない。あなたの知る政治にはなかったものが、ここには二つある。……一つは、実に聡明たる平和主義の敵国国主だ。きっと魔王カルティスは、あなたの知るどんな偉大な名君にも引けは取らない。――そして、もう一つが、」




 ――起動。と私は呟く。


 それに向こうの兵列がどよめき、流れるような動作と指示で弓を構えた。森を縦断する程の人の群れと、それに同数の矢じりが私を狙い、



 ……しかし、レオリアが片手でそれを制した。











「起動。神器生成・・・・。――『ライオン・ハート』」











 私の周囲に光が立って、それが私の掌に集まる。私は、思い描く。



 ……それは、過日祖父が語ってくれた、の一つであった。



 この『剣』を持つ騎士は、曰く、最大多数の最大幸福を語る主の命で魔女を討つ。だけれどそれは悲劇であった。彼はその旅路に真実を知る。友を得て、真実を得て、和解を得て、信念を得る。その果てに彼は、『騎士』となった。



 その銘は獅子の心。決して負けぬ最強のモノ。孤高に吼えて、それを誇る。

 騎士に必要なのは信念で、それ以外には何もない。しかし、ならば信念を選び違えてはいけない。獅子の心は彼に、『孤高に負けぬ色の信念』を誓わせる。心に獅子を宿せば、きっと心は間違えない。



 そうとも、心は決して間違えないのだ。

 だから、あとは私が負けなければいいだけの事。




『神器・ライオンハート』。

 これは、――私が決して負けぬことを誓ったときに使う、私の持つ最強の『剣』であった。




「――。」


「ええ、やはりあなたは間違っている。。この世界には、レオリア。あなたの知らぬものが二つある。そのもう一つが私です・・・。さあ……、



 ――さあ! 勝てぬ敵、崩せぬ壁、どうしようもない宿命があるというのなら、どうぞ、



 民意が動かぬなら、それを動かしてみせましょう! 悪神が解き放たれたなら、これを討伐してみせましょう! 魔王との和解がしたいなら、私が必ず席を作る! 向こうがゴネたら一騎打ちだ! 騎士の誇りを賭して、向こうにはヒトとの和解を賭けさせましょう、必ずね! どんな依頼であったとしても私は、この剣と私の持つ全ての手段を使って、それを達成する! そう、お約束をいたしましょう!!」






「…………。そう、ですか」


「……、」



「なるほど。そうですか・・・・・。……支離滅裂な土壇場の裏切り行為ではなかった、ということですね。リベット氏を助けるためじゃない。あなたのそれは、徹頭徹尾まで筋が通った行動だった」



「ええ。否定はしません。筋の方は、ようやく通せたものではありますがね。……それで、どうです? 腹は決まりましたか? 連絡が付くかも怪しい特級冒険者などに頼らず、目の前にいる私という冒険者に任せてみませんか? 冒険者としての功績はまだありませんが、スキルや経歴を見て戴ければ一流なのは分かるはずです。あなたの依頼・・、役者不足ということは無いでしょう?」


「……、……。」



 レオリアが、少しだけ表情を緩めた気がした。

 だけれど緊張感は未だピンと張りつめたままである。私を狙う弓も、緩められてはいない。


 そのままで、彼女は返答をする。




「……、」


冒険者エイル・・・・・・。私は、あなたを信じてもいいし、このまま予定通り神殿に侵入して、リベット氏を確保して来てもいい。こちらの後者はまあ、危険な賭けですが、対する前者もリスクが高い。あなたこそ、その大言、?」



無論・・


「なら」



 と、レオリアが挙げていた片手を、更に高く上げた・・・・・・・

 それで以って背後の兵たちが、さらに強く弓を引き、そして留める。



「――テストをしましょうか。殿。それを、あなたは止めて見せなさい。それが出来ないなら悪神や魔王を倒すのなんて夢のまた夢だし、それが出来ない人間に民意を変えるなんて言われても信用できない。……いいですか、私たちはあなたをテロの犯行者として、あなたの命が損なわれても構わぬものとしてあなたを捕縛します。逃げたとすれば背中を撃ち抜きます。――やめたとは言わせません。あなたに出来るのは、『投降』か『証明』の二つだけだ」


「ええ」


「よろしいですか?」



「ええ、――望むところです!」



 私の一喝と共に、レオリアが挙げた腕を振り抜く。そして、後陣の兵士はそれと共に、何の躊躇もなく矢の弾幕を打ち上げた。それも、一幕ではない、幾重にも矢を番え、それを弾く。



 対する私は、剣を掲げた。



 ――ああ、

 今ならもう、誰にも負ける気がしない。



「――――。」


 その『確信』が、




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