01.

 


 ――魔人エイト。

 彼の生涯はまさしく、「半生」と呼ぶにふさわしいものであった。


 彼の自我は、およそ彼がその成長を完了させた後に、ようやく確立されたものである。肉体的な完成、或いは感性や精神性については、彼からすれば「いつの間にか出来上がっていたもの」であった。


 彼の原初の光景は、非自然クスリの鼻に着く匂いと、わざとらしいほどに白一辺倒の蛍光色と、そして何よりも苦痛に彩色されていた。


 気付けば、その身体にはありとあらゆる傷があった。

 気付けば彼の額には、あるべき角が無かった。彼の腰の位置には、種族的特徴として同胞の誰もが持つはずの尻尾が無かった。それを自覚したのは、彼が、長き投薬生活によって「自我を希薄化させる薬物に抵抗を得た」後のことであった。

 ゆえに彼は、まず、


 角がない。尻尾がない。

 親がいない。歴史きおくがない。あるのは、言葉もままならぬ頃に見たはずの「風景そと」」とはどこまでも乖離した、白くて刺激臭のする「|世界《しつない」だ。


 ――「世界」が「違」うと、彼は思った。

 ここはきっと異世界じごくなのだと、彼は思った。


 身を焦がす炎もなく、この身を震わす寒さもなく。しかしながら想像しうる限り最も原初的な苦痛がここにはある。


 痛い。気持ち悪い。目が回る。

 地獄と言う他にない光景と、既に完成した身体、精神性、価値観。これが、彼の生涯の開始であった



 彼の生涯。つまりは「半生」。


 彼のおよそ半分が決まって後の「残りの生」は、

 しかし振り返っても見れば、



 ――奇妙に、地獄とは乖離した時間であった。
















「よお、?」


「……、……」
















 空っぽの摩天楼に、種族的特徴を総て剥奪された「魔族クズレ」が一人。


 彼は昏い部屋の最中にて。

 夏の空を写す窓から視線を切って、声の方向に椅子を回した。



「……、……」



 パパ、などと呼ばれる奇縁に心当たりはない。しかし彼は、その言葉を何故か心地良く受け取る。……心地良くというよりは、「小粋なジョークでも聞いた」と言う感覚の方が近いのかもしれないが、それはこの場において重要なことではあるまい。


 彼は、声に応えた。



「……なんだァ、用事ァ?」


。アポでも入れようかと思ったんだがぁ、不思議だね、窓口に人がいねぇんだ。なんで直接お邪魔したよ」



 沈黙を、彼、魔人エイトは返す。

 の奥から、彼は乾いた瞳を「少女」に向ける。



「裏切りだァ? ンな勤勉なタマかよテメエ。パパにお小遣いの催促に来たってのがまだマシな用事だぜ?」



「動機はそろってンだよ。魔族由来の奴隷としてトチ狂った魔術師に買われたテメエが、幼少の恨みを人類に払わせる。――?」


「……、……」



 怪我、というのは適切ではない。

 魔族において角と尻尾は、種族的特徴である以上に「種族的優位性の根源」であった。


 魔族は、その他あらゆる生命と比較して「魔導に通じている」。理性や知性など以前に、魔族とそれ以外では「規格が違う」。

 魔族における角と尾は、その規格の差異、「魔力量の差」の根源である。



「……。はァ」

 彼が、帽子を外す。



 露わとなった頭部には実に不格好な『傷跡』があり、――そこからは幽鬼の如く、青白い魔力が揮発していた。



「魔力の蓄積器官。それが角とだってなぁ? そこぉ取られたんじゃ魔族は型落ちだ。ただただ魔力を洩らすまんまで大した魔法も使えねぇヒト以下。……アンタあれかい? 出世の芽を刈られたんで未だにイジけてるわけだ? 器が小せぇハナシじゃねえか」



「……そう思うかイ? オマエが?」


「…………。そうだね、察するに余りあるよ」



 彼は知っていた。

 彼女も、――地獄を見ていることを。



「ユイ」


「……、……」



「テメエが出てくるンならいいよ。動機だけで証拠みたいなもんだ。。過去に地獄を見てきた奴なら、その思い出を帳消しにするためになんだってする。それが分かってる奴なら、オレが何してもおかしくないってのを分かってる。だからオレも認めるよ。


「――――。」




 ハリボテじみた高級椅子に身を埋めていた彼、エイトが、

 ……ふわりと、立ち上がった。









「ンで、どーするヨ、餓鬼?」










 ――爆音。


 正確に言えばそれは、爆発が破裂する音ではなく「火が大気を食らう音」である。それにエイトは遅れて気付く。


 それから彼はさらに遅れて、……自分が奇妙に「冷静であることに気付いた」。


 冷静であった。思考が空虚だ。、彼の理性は今どこまでもフラットであった。ゆえに彼は、音の些細な区別にさえ気付くことが出来た。


 眩い。火が目を焼くのとは少し違う、彼はそこで、彼自身の理性に違和感を感じる。つまりは、――なぜ自分は今、冷静であるのかについて。


 しかしながらそれは、考えても見れば当然のことであったのだろう。

 何せ彼は今この瞬間に、





「ぉ、ぉォォぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!?????」


 ――地上六階・・・・




 そこに、彼は「白炎」と共に投げ出された。


 日陰に陰った彼の身体を刹那、夏日が暴く。

 ふざけた密度の風が彼の身体のそこら中を叩く。




「ッ!!!??」


「油断してンじゃねぇぞテメエ! 早速だが終いだ! 時代のメシになるなんて景気佳ィ最後なら受け入れてくれるよなァ!?」




 無限の如く引き延ばされた滞空時間が「当たり前の一瞬」に立ち戻る。窓のガラスを背で割って虚空を舞う彼が重力に捕捉され、加速度的に地に落ちる。その光景に、『少女』、サクラダ・ユイの姿が躍り出た!




「ッ!?」


「はっはァ!」




 光景が土煙に曇る。その間際に彼は見る。階下の光景。ヒトの行きかう真昼の喧騒。その最中に異端を放つ、を!




「チックショウがァ!」




 地面が背中を叩いた。その衝撃が彼の肺から根こそぎの酸素を弾き出す。それでも彼には地面を踏み蹴り飛び退る他に選択肢がなかった。何せあの長刀、あの、「ヒトの上背を幾つ分も上回った巨人の二振り」は――、



「ッシ!」



 煙が、一息に晴れる。

 風の一陣が吹いて、それが視界を即座に晴らす。自然による光景ではなく、それは察するまでもなく人為的な、ユイによる一閃こうげきであった。



「――――。」


「名乗りぁ無えぜ。お互い知った顔だしなぁ。そんで以ってズルってのもナシだ。あたしらはどうせ暗殺稼業だろ?」



 右手には、『黒鉄二郎』。そして左手にあるのが『白銀三郎』だ。その悪ふざけのようなスケールの二刀が、線対称的に、蜻蛉が羽を休めるようにして地面に伏せている。

 そして、それを携えた彼女は、彼に言う。



「らしく行こう」


「……、……」



「この街らしくだ。ここを綺麗に設えたのぁあたしとアンタだけどよ、そのせいでちょっとばっか暇だろ? オーディエンスも飽きが入る頃合いだ。


 ――面白たのしィコトしないとなぁ。じゃ、構えよぉかァアア!!!!」



 刹那。

 夏の日差しが全て、殺意に陰る――!


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