(10)

 


 この街は、一個のコミュニティごと昼夜を逆転させたようなリズムで成っている。


 夜は退廃と暴飲が街中を席巻し、そのツケは翌日の、日が出るころに回される。

 かような在り方が毎夜繰り返された果て、街の昼間は酒の揮発する嗚咽が時折上がるだけの、半ばゴーストタウンのような状況に落ち着いている。


 と、そんな光景を、

 ……彼、エイトは足を引きずりながら進んでいた。




「おォ、いてェ……。あンのクソガキめ」




 負傷した右アキレス腱は、治癒魔法と応急手当で最低限使い物になるところまで持ち直させた。それでも歩みは遅々としたもので、足に巻いた包帯からは血が滲んでいる。彼の使う「代謝快復を強化する魔術体系」では、この場では傷口の表層を埋めるのがやっとであった。



「(……なンだろォな。妙にキナ臭ェ。街ァいつも通り酒の匂いしかしねェのに、なのにキナ臭ェ)」



『キナ』の匂いがする、なんてジョークじみた表現がふと湧いてくる。というのが何なのかは不明だが、とにかく「異臭がする」。彼の鼻に不快なざらつきが残る感覚、それがやたらと気に障る。


 街を、彼は見渡す。

 ……倫理を手放したこの街にはあまりにも不似合いな、光色の光景がそこにはあった。


 人気のない街路にはこびりついた酒の匂いがあって、それが、日差しに晒され日向の色に漂白されている。肌が照らされると、そこがじっとりと暑くなる。


 美しい日和である。静謐の空だ。それなのに、



「……、……」



 ――それなのに、どこかに暴力の気配がある。それは不思議と、轟音に似る。この街のどこか遠く、離れすぎて距離感どころか音の出どころの方向さえ掴めないところで「轟音」が鳴っているような、そんな違和感である。


 それを彼は、「胸騒ぎ」であるのだと遅れて気付く。



「……らしくねェ」



 敵意にうなじが炙られるのであれば分かる。切っ先の迫る気配に肌が泡立つのも分かる。交渉相手がこちらを嵌めようとする悪意ならイメージが出来るし、もっと抽象的な「嫌な気配」だって、彼には心当たりがあった。しかし、。そう彼は思う。


『誰か』を心配しているがゆえの、不確定な状況下における心理的なストレス。これを彼は受け入れられない。相棒たるピラーはエイトが心配する必要さえないほどに「強者」であるし、或いは例えば依頼で請け負った護衛対象の身柄を「心配」するのであれば、そこに介在するのは「身柄の無事」ではなく依頼不達成におけるデメリットの方だ。


 人を心配するということが、彼にとっては新鮮であった。ゆえに受け入れがたいし、ゆえに、そのストレス、居心地悪さがやたらと不快だ。

 そして、ゆえに彼は、



「……、……」



 彼自身が、あの「少女」に親愛に似た何かを感じていることに気付けた。

 なら、「その信愛に似た何か」とはなんだ?



「……。オレも、案外俗っぽいンだねェ」



 境遇に同情したわけではない。あの少女よりも自分の方が不幸だと、彼には断言が出来た。

 幼さに降りかかる悪意に義憤を燃やしたわけでもない。彼は基本的に、悪意を振りまく側である。

 そして無論、小さな少女がそれでも既に大人幾人を返り討ちに出来たという、その類まれなる「可能性」に何かを見出したなどというわけでもない。ありとあらゆる選択肢を脳裏に浮かべる前に、


 ――そもそも彼には、その「親愛」の出どころに、一つだけ心当たりはあるのだ。






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 その街における最大勢力の一つ、『ノーグース』。


 その主力エースの一人とされる彼、ロベス・フォルマッゾは、

 ――目前の光景を、瞠目するわけでもなくただ俯瞰していた。



「……、……」



 そこはとある、裏路地の片隅である。そこに彼、ロベスは「とある報復」の為、ノーグースの末端部下二名を連れ立って来ていた。


 ……まず、彼は思いがけず「報復対象」たる少女を見かけた。不自然なまでの全力疾走で裏路地を迂回する小さなシルエットは意識せずとも目についたし、その「どうしようもなく隠密性を放棄した」らしい様子には、明確な追跡者の存在が想像できた。


 この街において、子どもが追われているというのは日常茶飯事であった。更に言えば、その逃げた子供が結局は大した距離も稼げずに追っ手に捕まるというのも。

 しかしながら、見ればその子どもに追随者は確認できない。察するに「彼女」は、見事追っ手を振り切ることに成功したようである。それが、


 あの少女は強敵だ。あの、野生獣の如き煮え立つ生存本能は決して甘くみられるものではない。それを、彼女にアバラを複数本折られた彼は良く知っている。怪我こそ魔法で治しても、怒りと脅威は風化しがたい。そんな危険な存在をこの街で「逃げる側」として見かけたとすれば、



「……、……」



 ならばこそ、――その「獣」を捕まえてような手合いは相当の存在だろう。或いは率直に、と言ってしまっても構うまい。

 あの二人の獲物を横取りするような人間がこの街にいるとは思えないが、……しかしはてさて、「彼女」があんな風に「一人でいる」なら話は別だ。


 獲物を逃がしたなら、それは獲り主の責任だ。拾った人間が素直に交番に届け出るかどうかは、拾った人間の善性に委ねられる他にはない。

 財布を拾えば、中身を抜いてゴミ箱に捨てるのが当たり前のように、

 彼は至極当然に、少女を捕まえ使い潰して、そのを二束三文でどこかに売りつけ行方不明とさせることに、即座に決めた。

 問題は、



「……、」



「獣」は、森にいようが街にいようが「獣」であったこと。それに尽きた。



「がぁああァアアアアアアアアアアアッ!?」



 野太い悲鳴の喧しさに、ロベスは隠すこともなく不快感を露わにする。

 。それを彼は、どこまでも冷静に眺めている。



「(? ……刺激を与えると爆発するクスリってのを、聞いたことがある気がするな)」



 ……たしか、火薬とか言ったか? と彼は記憶を索引する。火薬といえば、わざわざ魔力を使わずに初等火属性体系魔法程度の小規模爆発を起こすというなシロモノである。それを、彼女は使ったということか。



「……、……」


「お、おいちょっと!? どうなってんだよこれ! ロベスっ、どうすりゃあいいんだよ俺はよォ!?」



「あん? カネは渡しただろ、キッチリ働けや」


「待ってくれよ聞いてねえって! 見ろよコイツ、顔に穴が開いてやがるじゃねえか!」



 言われて確認すれば、確かに煙を吹いて悶える男は片頬が無くなっていた。道理で吐き出す煙がいつまでも旺盛であるわけだ、とロベスは口に出さず胸中で納得する。


 そして、……そんな思考は置いておいてひとまず言う。



? ?」


「――っ!」



?」


「……ち、ちっくしょう!」



 ロベスの剣呑な口調に、言われた男が脂汗を吹き出してそう叫ぶ。男が意を決したように少女に向き直っても、ロベスはただすらそれを腕組み眺めるだけだ。


 そして、他方の少女は……、



「――――。」


「(……あのガキ、いくら探っても意図が読めない。隠してるってよりは、辺りを見回してどうするか考えてるってところらしいのは分かるが。なんだ、やたらと肝が据わってるな)」



 彼女のあくまで平坦な表情に、ロベスはそう考察をする。


 ……使い潰すのは、やめだ。と、

 彼はそう、自身の思考に区切りをつけて、



「おらテメエ、ガキ一匹に怖気づいてるわけじゃねえだろうな?」


「……っ」



「よう? ガキ一匹だぞ? それに見ろ、さっきの攻撃は、思い返してみれば魔法には見えねえだろ? わざわざソイツのよ、開いた口にぶち込んで、そっから更に顎を殴って、それでようやく発動(ドカン)だ。手間がかかって簡単に打てるもんでもねえよな。怯えてんじゃねえよ、子供騙しの手品が珍しいって喜んでんのかテメエは」


「い、いやっ。そんなことは……」



「じゃあやれや。さっさと。ホラ」


「わかったよ! くっそがテメエ! なめてんじゃねえぞガキが!」



 男が、自身を鼓舞するように怒号を上げる。対する少女はそれに対しても、どこまでも平坦な視線でこちらを見上げるばかりである。

 ロベスはそれに、少しばかりの満足をして、


 ――ようやく動き出した男の背を見送った。


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