第50話「お前の口から言え!」
よし、撮れた。一旦確認してみよう。
うん、大きな変化じゃないけどだいぶマシな写真が撮れた。
この、自然な笑顔が一瞬で引き吊り、そのままカチンコチンに固まった顔をね。
固まっていた顔がハッとした顔に変わった。
ギリギリセーフだ。シャッターボタンを押すタイミングがあと数秒遅かったら、さっきの顔は取れなかった。
「あ、え、待ってください。意味がわかりません。なんで、いきなり僕の家に行く流れになるんです?」
リオン君は何度も何度も困惑気味に目を瞬いている。
この顔もまぁまぁ面白いけど、やっぱりさっき撮った顔のほうが個人的に好きかも。
「さっさと連れていけ」
「いえ、だからなんで僕の家に」
「返すためだ」
「返す?何をですか?」
「何度も言わせるな」
「いえ、だからわかりません」
「夏芽、それじゃあ伝わんないって」
埒が明かないと判断した私はスマホを握った手を一旦下ろし、口を挟んだ。
夏芽って昔から説明が下手くそなんだよな。『返す』だけじゃあ、伝わんないのは当たり前だって。それくらいわかるでしょう。
………それくらい夏芽にもわかってるな。わかってるけど言わないんだな。
いや夏芽の場合、言わないん言えないんだ。
そんなに言うのが恥ずかしいのかい。
「ちっ」
「こらこら、舌打ちしないの。代わりに私が説明してあげるから」
夏芽がバツが悪そうにプイッとそっぽを向いた。
「あ、あの」
リオン君は訳が分からないと言って様子だ。さっきの照れ顔とは打って変わっての不安げな表情。端から見れば完全に十代の女子が子供をいじめているように見える図だな。
夏芽はいじめているつもりはないんだけどね。
むしろ、逆。
「ごめんごめん、ちゃんと説明するよ。夏芽が言っている返すものは『恩』のことだよ」
「恩ですか?」
横にいる夏芽をちらっと見ると、心底嫌そうな顔をしている。
「ちっ!」
さっきより舌打ち大きいな。よっぽど小っ恥ずかしいんだろうね。
『恩を返す』という六文字さえ言えないんだから。
「一体何のですか?」
「マヨネーズだよ。夏芽にとってマヨネーズを作ってくれるという行為は経緯関係なく『借り』でもあり『恩』でもあるの。あ、この恩は手作りマヨネーズを初めて作ってくれたことも含まれてるよ」
「で、でもあの時は僕のせいで」
「夏芽にとってはそんなの関係ないから」
相手に非があろうが強引に作らせようが、夏芽にとってそんな経緯は一切関係ない。マヨネーズを作ってもらったという行為が重要事項。それに手作りマヨネーズなんて生まれて初めてだったしね。
マヨネーズの恩は相手が迷惑がろうが関係なく何が何でも返す。
それが夏芽のマヨネーズポリシー。夏芽はきっと、手作りマヨネーズを渡された瞬間からいつかその恩を返すことを考えていたんだろう。
よくよく考えればこれは恩を返す、とは違うかも。
恩を着せる………ともちょっと違う。そもそもこれは恩じゃないし。
結局のところ、夏芽の気が晴れるか晴れないかの問題。
まぁ、なんでもいいか。私はただ、夏芽の意志を尊重するだけ。
「あ、あの、それでどうしても僕の家に行くことになるんです?根本的なことがわからないんですが」
「わかんない?まったく?」
「………はい」
「いやいや、ちょっとは察しているんじゃない?私らね、あの二人にリオン君のことを色々聞いたんだ。お姉さんのことや噂のこととかを」
「!!」
おお、驚いてる驚いてる。この顔もけっこう面白いけど、撮るほどじゃないな。
「もう最後まで言わなくてもわかるよね。噂って言うのは大概デマのパターンが多いけど、リオン君の噂ってマジなんだよね?さっきのリオン君の態度で確信した」
「………あ」
「私らに言いかけていた内容ってお姉さんのことだったんでしょう?途中でやめちゃったみたいだけど。誤魔化さないでよ、面倒くさいから」
「き………気づいて?」
「態度があからさまだったからね。私らにお願いしようとしていたんでしょう」
もつれていた緊張の糸が緩んだのかリオン君は目に涙を浮かべ、背を丸くして俯いた。
「………ご………ごめんな………さい」
美少年が目を潤ませる姿は絵になる。絵になるような写真は何枚撮ってもいいと思う。
思うけど………。
私はなぜか写真を撮る気にはなれなかった。
今の私の心情は写真を撮りたいという欲求よりも呆れが上回っていたからだ。
目の前の今にも涙をこぼしそうになる男の子の姿は私にとっては少々気にくわない姿だった。
気にくわないわ。
こんな時になっても「物分かりのいい自分」を選ぶんだ。「いい子の自分」を選ぶんだ。
体裁を気にするんだ。
反吐が出るな、そういう思考。ていうか、これくらいで泣くなっての。
「あのさ………」
ああ、無意識に言葉から滲み出しちゃうな。私の苛立ちが。
最後まで自分をセーブしつつ、言えるかな。
「言え」
夏芽のきっぱりとした声が私の言葉を遮った。
チラリと横を見ると、そっぱを向いていた夏芽がいつのまにかリオン君を射貫くように見ている。リオン君は夏芽の強い声音にビクッと肩を震わせながらも、顔をゆっくりと上げた。
「お前の口から言え!」
「!!」
やっぱり双子だな。私が思っていることや言いたいことも同じなんだから。
夏芽の大声のおかげか、さっきまで肥大化しつつあったむかっ腹が軽減していく。リオン君は息を吸って吐くと、意を決したかのように口を開いた。
「あの!姉さんを助けてください!」
溜まっていた涙がリオンの頬を伝った。
わ、可愛い。
パシャ。
「うん、いい写真。芸術的なほど」
この写真は今日イチの写真だ。
そう思ってしまうほど、私の機嫌はよくなっていた。
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