ラグナ録。
きゃのんたむ
プロローグ。
逃げ遅れた少女の脳天を、青白い稲妻が貫いた。少女は焦げた灰の塊となって崩れた。
眩い光の柱が見えた。雷神トールの降臨だった。すべてに決着がついたようなものだった。主神オーディンですら、真っ向から勝負して敵う相手ではないのだ。雷神トールが歩くたびに、尋常ではない稲妻が天空から迸り、街は木端微塵に破壊されていく。焼け爛れる皮膚を引きずりながら、武器を落とした人々は這いずり回り水を求める。
神々の蹂躙はもう止まることはないだろう。
しかしそれでもロキは立ちふさがった。最強の神であり雷神トールの前に、奇神ロキは仁王立ちで立ちふさがったのだ。
「人間が、何かをしたのか」
奇神ロキは問う。
その身に滾る怒りの炎を必死に押さえつけ、静かに、静かに問う。
「神々に、何かをしたのか」
奇神にしてはおとなしい態度に、雷神トールも真摯に応じた。
「何かをするから、ここで消すのだ。奇神よ、人間はいずれ我らの敵になる。強大な、強大な敵になる。なぜだ! 貴様は何故この文明の味方をする……」
「襲撃の理由はなんだ」
「言ったろう! 敵だからだ! 人形技師ゼペットと、建築家マルセリア。他にもこの
雷神の怒号が雷を呼び寄せる。
闇夜に轟く雷鳴をもねじ伏せる声で、雷神トールは右手に握る雷鎚ミョルニルを高く掲げた。
「我々の敵に味方するのであれば、貴様の魂も木端砕いてくれるぞ、奇神よ!」
空気を破裂させるような大音声。
それに怯むこともなく、奇神ロキも跳ね返した。
「お前なんかが人間を滅ぼせると思っているのか!」
「もう良い、話にならん! 剣を抜け、奇神!」
「金槌如きで俺を破れると思うなよ、雷神!」
奇神ロキは両手を広げる。その手のひらの間に、まがまがしい箱が現れた。黒く、どこまでも黒く、蜥蜴がのた打ち回る様を模したレリーフが刻まれた、グロテスクな装飾。箱の六角にはそれぞれ、眼球、唇、鼻、耳、舌、そして心臓が打ち込まれ、びくびく胎動していた。奇神ロキはこめかみに指で穴を開け、そこからずるずると、赤い筋で繋がれた九つの鍵を頭蓋から取り出した。そしてその鍵で、腸のような鎖を結ぶ南京錠に、一つずつ刺していく。鍵が開くたびに腸が炸裂し、赤黒い血が爆ぜた。その爆音が天空を覆い尽くす雷雲に巨大な穴を開けるが、しかし雷神の力でたちまち塞がってしまう。やがて奇神ロキがすべての鍵を開錠すると、醜怪な箱が紫色の光をあげ、その中から覇剣レーヴァテインが生まれた。
奇神ロキはそれを手に取り、一振り。すると大地に裂け目が入り、天空が割れる。覇道の剣、レーヴァテイン。世界を焼き尽くす火炎の剣。奇神ロキが構えると、白刃は一息に燃え上がった。揺らめく炎は確実に刃の形となり、目の前の敵を灼熱の渦へ巻きこもうと燃え盛った。その熱は大地の表皮を剥がし、陽炎は歪みに歪み、奇神ロキの姿を醜悪に捻じ曲げた。さながら、げらげらと怒る悪魔のごとく。
奇神の臨戦態勢に呼応するかのように、雷神の喉も打ち震える。使用者の魂の鼓動を感じ取った雷鎚ミョルニルは、一瞬間白銀の放電で視界をはく奪したかと思うと、雷が持つ熱量で真っ赤に染まり上がる。ばちばちと奔る雷は愛撫するように雷鎚ミョルニルを駆けずり回った。
「いくぞ、ロ――」
奇神。奇神ロキは待たなかった。所詮は奇神。堂々と名乗る相手に花を持たせるような考えは、頭の隅にも入っていない。レーヴァテインが大気を切り裂く音は、戦場に鳴り響く大銅鑼のように聞こえた。雷神トールは稲妻のように駆け、あっという間に奇神ロキの背後を取ってしまった。奇襲にも応じぬ雷神の魂の強さ。雷鎚ミョルニルの巨大な一撃が、奇神ロキの頭部を真横から襲う。
襲うが、なんと奇神ロキはレーヴァテインをでたらめに薙ぎ払い、自分の首を掻っ切った。吹き飛ばすべき対象を失ったミョルニルは、大きな空振りで雷神トールごと吹っ飛んでいく。奇神ロキは首が離れた体で、上に跳ねた自分の頭を捕まえ、傷口と傷口を叩きつけた。たったそれだけで、輪切りの首が再び繋がってしまった。
雷神は悪態をつく。「貴様、ふざけるな!」
「無茶言うな」奇神はレーヴァテインを振りかぶりながら雷神に迫った。「俺は奇神だ!」
奇神ロキは、雷神トールの懐に飛び込んだ。雷鎚ミョルニルの効果、それは投擲による必中。雷神トールが全身全霊を込めて投げるミョルニルは、確実に対象へと衝突する。そしてそのダメージはやはり尋常なものではい。奇神ごときの防御力では、跡形すらも残らないであろう。
一瞬の油断で、奇神の魂は破壊されてしまう。その緊張感の中、奇神ロキは間合いから離れることなく雷神へ追撃の手を緩めない。ここで退けば世界は滅びる。地上は神々によって砕かれてしまう。せめて雷神、最強と謳われる雷神トールだけは、刺し違えてでも殺す気でいた。
しかし――
「雷鎚を掲げればいつものように手のひらを返すと思っていたが……」
雷神トールはでたらめにミョルニルを振り回し、奇神ロキを振り払った。そしてその左手に、ばちりばちりと青白い稲妻が走る。稲妻はやがて小さな球体となって弾けると、青白い籠手と、青白い腰帯が現れた。
それを見た奇神ロキは、あからさまに慄いた。雷神は今の今まで、まったく本来の実力を発揮していなかったのだ。
「籠手と、腰帯……」
ロキが言い終えぬうちに、現れた武具は雷神トールの身体に装着された。その途端、雷鎚ミョルニルが先ほどにも増してスパークする。本当の力を解放する準備ができた神具は眩い光を放っている。
「いくぞ、奇神」
そして、何が起きたのかもわからなかった。奇神ロキの体は、いつの間にか吹き飛んでいたのだ。
左肩と頭以外を失った奇神は、自ら首を切断したときのように回復することができない。いや、しないのだ。もう一度立ち上がっても無駄なことは重々承知している。何しろ、何が起きたのかもわからない。わからなければ対処のしようが無い。何度も何度も破壊されて、弱った挙句に魂までをも砕かれるのならば、そういう結末を迎えるくらいならば――
「良いか、雷神……人間は虫けらのように生き残る。貴様らがいくら滅ぼしても、彼らは必ず生き延びて、必ず這い上がる。我が奇神の血統も、これくらいでは死に絶えん。必ず! ラグナロクを引き起こす!」
「無理だ。我々は、貴様ら奇神の一族も、この忌まわしきペルット族も、徹底的に滅却する。認めよう、今までが甘かった。かつての同胞とはいえ、いまや思想は天地の差。ここまで力をつける前に、早々に滅ぼすべきだった! 見えるか、奇神よ! ペルットの腐れ共が! 我が大天使たちの羽を剥ぎ熱した刃で喉笛を掻っ切っておる! この獰猛な野獣どもに! 仮にも神である貴様ら奇神の一族が、なぜ味方をするのか! 我々は理解ができん! ペルットは! ここで、いまこの場で! 根絶やしにしなければならぬ血脈だ!」
「言っただろう、虫けらのようだと! 良いか、世界は決してこの日を忘れん! 俺たち奇神も! ペルットも! そう簡単に絶やせると思っていたら大間違いだ! いつか、いつか必ず……貴様らと同じ舞台に立てる者が再び現れる……」
「言いたいことはそれだけか!」
「主神に伝えろ。自分の墓は早めに作っておけとなあ!」
雷神トールは、真の力を解放した雷鎚ミョルニルを掲げ、振りかぶった。
「くたばれ、奇神!」
「楽しみに待っていろ、雷神……
振り下ろされた雷鎚はしかし、奇神ロキの魂を砕くには至らなかった。
奇神はどこかへと、消えてしまっていた。
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