サキュバス、黄鶴楼にて上司の恋路に之くを送りました17

 「失礼いたします。こちら、蝦夷鹿のロティ酸味のあるマルメーロとビーツ、セロリと鰹節でございます」


「へぇ。鰹節なんてかかってるんだ」


「はい。濃厚なうまみとセロリの酸味が互いを引き立たせ、新たなる扉を開くが如く香る逸品となっております」


「それは楽しみだな」



 例えが全然理解できないけど。



「ご満足いただけると存じます。それと、ソムリエからお話しがあるようなので、申し訳ございませんがナイフとフォークは少しお待ちいただけますと」


「話? いったいどのような」


「恐れ入りますが、それはソムリエの方から。では……」



 なんだなんだ? 怖いな。「お前らにうちのワインを飲む資格はねぇ!」みたいな事言われんのか? やめてくれよ俺が何したってんだよ。ただちょっとカッコつけてワインをグラスの中でグルグルしてたくらいじゃないか。いいだろそれくらい!



「失礼いたします」



 来た! 美瑠田だ! ソムリエの美瑠田が俺達のテーブルに! いった何の用だバカヤロウコノヤロウ! なんか文句あるってんのかぁ!? そんなに気に食わねーならこの店の一番高い酒頼んで艦これのポーラみたく瓶ごといっきかましてやらぁ! 領収書は弊社のVチューバー支援授業部に回させていただくけどなぁ! やっべ横領になっちまうかなこれ。不破付さんの事言えねーぞ?




「こちら、勝手ながら蝦夷鹿のロディに合う赤をチョイスいたしました。コート・ロティ ラ・ランドンヌの十年物でございます。グラスでのご提供でございますが、よろしければお楽しみください」


「あ、そうですか。すみませんありがとうございます」



 なんだワインの押し売りか。怖がって損した。まぁ確かに赤身には赤ワインを飲めを合わせろと聞いた事があるし、いいだろう。飲んでやるよこの酒。どうせグラス二杯だしそこまでビックリするような値段にはならんだろうさ。

 ……いや待てよ? 確か、以前BARに行った時、酔った勢いで「勇次郎が飲んでたやつくれ!」つったらタンブラーでポートエレン出されて三万取られた事あったな……もしこの酒がボトル何十万とする代物だったら、グラス価格でもちょっと厳しい……うーん仕方ない。恥を忍んで聞いてみるか。



「あの、お恥ずかしい話なのですが。こちらはお幾らほどで……」


「失礼いたしましたお客様。こちら、ご来店のお礼でございますので……」


「え? サービスですか?」


「お礼でございます」


「そうでございますか……」



 ……押し売りだなんて言ってごめんなさい。また、心の中でめっちゃ悪態ついてすみません美瑠田さん。

 


「どうもありがとうございます。美味しくいただかせてもらいます」


「こちらこそご来店いただきありがとうございます。どうぞ、お食事をお楽しみください」



 ……




「なんだか得してしまったな課長」


「ピカ太さんったら現金ですね」



 なんとでもいえ。もう庶民には限界って程の金額が発生しているんだ。これ以上の出費はさすがに痛い。



「足りなかったら、私が出しますのに」


「それじゃあ本末転倒だろう。何度も言うが、今回は課長の労いだ。主役は課長。だから黙って奢られてくれ。最悪カードもあるし」


「クレジットカードに頼るのはあまりよろしくありませんよ? 借金と同じですからね」


「母親みたいな事言わないでくれ……あ、母親といえば、この前お母さんから電話があってな。よければ正月に実家に来ないかって言ってたぞ」


「まぁ。それは嬉しいお誘いでございますね。是非ともお邪魔させていただきますとお伝え願えませんか」


「了解。しかし、お前も物好きだね。あんなうるさい人間と会いたがるなんて」


「お義理母さまあまり邪険にしてはいけませんよピカ太さん。あの方の厳しさは優しさの裏返しですから」


「それは分かってはいるが……とはいえ限度というものがある。俺はもう大人なんだ。いい加減子離れしてほしいよ」


「月並みな言葉ですが、子供はいつまで経っても子供です。生きてる間くらい言わせておいてあげましょう」


「……俺より長生きすると思うぞあの人」


「それはそうかもしれません」



 笑うのはいいが乳を揺らすな乳を。



 ……誰かと母親の話をするのって、なんか初めてな気がするな。家業が家業なだけに詳しく話せないし、そもそも家の事情が複雑だし……でも、一回くらいは誰かに……う~~~ん思い出せん。というか、幼少期の頃の記憶がすっぽり抜け落ちてしまっている。前々から思っているんだがどうにも変だな。俺、どうして子供の頃の記憶がないんだろう。読んだ漫画やプレイしたゲーム。観たアニメ、食べた料理、作ったガンプラは覚えているのに、何をどうしていたか、どうやって過ごしていたのか、誰と何を話していたのか、そういった思い出が何一つ見えてこない。あれぇ? さすがにこれおかしいんじゃねぇのぉ~~~~? これなに~~? 病気~~~~? ちょ、真面目に怖くなってきたぞ。なんだこれ。不安。不安が込み上げてくる。どうしよ。ちょっと一人になって落ち着こう。



「課長。すまんが少し席を外す」


「それはかまいませんが……どうかなさいましたか?」


「失われた記憶が俺を求めているんだ」


「はぁ……よく分かりませんが、離席時はナプキンを畳んで椅子の上に置くのがマナーですからね」


「……はい」


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