第15話 一方通行
「なにを、言って」
差し出された人差し指は、今も血の塊が膨れて大きくなっていた。
俺はその指とお嬢様を交互に見て、ずいと後ろにさがる。
「もう一度わたくしの血を体に入れれば、わたくしとあなたの間にある主従契約は破棄される。あなたは本当の意味で自由になれるわ」
「――」
理解が追いつかなくなりそうだ。
お嬢様のそばにいたいと言った俺の言葉を、お嬢様はまやかしだと明言した。
そのまやかしを消すために、お嬢様は主従契約を解消しようとしている。
その、まやかしという根拠が分からない。
お嬢様の発言を振り返ると、主従契約を解消すると、俺はお嬢様に恐れるようになるということ。嫌悪を感じるようになるのだという。
……つまりそれも、闇の精霊による影響?
小説では分からなかった部分だが、闇の精霊によって人々は無意識のうちにお嬢様を避けていた、ということなのだろうか。
『マジカル・ハーツ』では、主人公のセーラと、従者のクリア、そして実の姉がお嬢様と共に登場した。
常にお嬢様を目の敵のように、嫌悪していた描写があったのは、姉だけ。
お嬢様を迎えに来たシーンのクリアの心情は読み取れなかったが、主人公はお嬢様に対して負の感情を持ってはいなかったはず。
仮定の話、クリスティーナお嬢様の体内に潜む闇の精霊が原因で周囲の心象すら変わっていた場合――お嬢様の姉はそれに影響されてキツく当たっていたと考えられなくもない。
逆に主人公は、光の魔法によってお嬢様を浄化していた。
それは主人公に『光の加護』という特別な力があったから発現できた魔法だ。
『光の加護』によって闇の精霊の影響を主人公が受けなかったとしたら、他のアカデミーの生徒がお嬢様を避ける中で、主人公だけが友達としていれたということの理由になる。
……あれ、じゃあ、クリアはなんだ?
その仮定を当て嵌めて進めたとき、クリアの存在は謎に包まれる。
だめだ、もう俺の頭はキャパオーバーだ。これだけのことで混乱してしまうなんてこの先が思いやられる。
「……」
考え事から沈黙を貫いていた俺は、同じくこちらをじっと見つめて沈黙していたお嬢様を見る。
「なにをしているの? 早く飲んで」
まずはこちらの回避方法を考えないといけない。
「……主従契約がなくなると、俺はお嬢様を恐れるようになるんですか」
「ええ、きっとそうだわ」
「そうだと決めつける理由を教えてください」
なんとか血を飲むことから逃げようと、お嬢様へ質問を続ける。
もうここまできたらと、お嬢様は饒舌に語った。
「……わたくしが、呪いの子だからよ」
「その、呪いの子というのは……」
「……わたくしの、この髪の色と瞳が、呪われた子と云われる理由よ。生まれた時からそうだと聞かされていたわ。お父様やお母様の色ではない、わたくしだけが気味の悪い色を持って生まれたの。だから、お母様は――」
そこで、お嬢様は言葉を呑み込んだ。
母親の死まで教えてはくれなかったが、髪と瞳の色だけでも理由としては十分だと判断したのだろう。
「わたくしに仕えていた人たちはみんな、わたくしの姿を見ると表情を変えたの。わたくしだと認識すれば、瞳には恐怖や厭悪が必ず浮かんでいたわ。……わたくしという存在を、拒絶しているのよ」
そう言って、クリスティーナお嬢様は力なく笑った。
「ほらね、もう分かったでしょう? わたくしは呪われている。こんなわたくしのそばに居続けることは、奴隷という身から開放されたあなたの生き方を狭めることになるのよ」
「だけど、クリアは……」
「クリアは……わたくしにも分からないわ。もう誰に縛られることもない。自由にどこへ行ってもいいと何度も言っているのに、離れようとしないの」
困ったような口ぶりとは裏腹に、その顔には泣きそうになりながらも喜びが滲んでいた。
「……なら、俺もクリアと同じようにそばにいることを望んではいけませんか」
何に置いても先輩であるクリアと同列に考えるなんて激しくおこがましい。
それでもお嬢様のそばにいることを選んだ俺は、なりふり構わず必死だった。
「あなたとクリアは違うもの。言ったでしょう、あなたがわたくしを恐れないのは、主従契約があるから」
「なら主従契約はそのままで、仕えさせてください」
「……っ、本当に聞き分けのない子でびっくりよ! また同じ話を繰り返したいのかしら!?」
「お嬢様がそう言うなら……」
「わたくしはいやよ!」
本当に闇の精霊の力が働いているのならば、主従契約を解いたとき、俺がお嬢様を恐れないでそばにいられる保証はないと思う。
本来ならば主従契約を解いて、それでも意思が変わらないというパターンが一番スムーズに従者になれそうな気はするが。
そんな博打をして、お嬢様の言った通りに心変わりをしてしまったら笑えない。
けれどお嬢様の闇堕ちの未来を救いたいという気持ちに嘘偽りはない。これがまやかしからくる想いではないと信じたい。
「お願いします。お嬢様の従者として、いさせてください……」
頭を深く下げる。
どうしたって俺には頼み込むことしかできないのだ。
「……やだ」
不意に、拒んでいたお嬢様の声音が変わった。
「……?」
異変を感じで頭をあげる。
「ダメだって、言っているじゃない」
押し殺したものが溢れるように、お嬢様の瞳には涙が伝っていた。
「離れていかれることなんて、当たり前なのよ。あたり、まえなのにっ」
「お嬢様──」
「ぐすっ……どうして、どうしてあなたは、簡単に"うん"って言ってくれないのっ!!」
ぽたぽたと湯水の如く流れ落ちる雫。
しゃくりすら漏れ出したお嬢様を前に、俺は我に返りやってしまったと後悔に苛まれた。
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