紅の賢者――大昔の英雄
かつて、世界は闇に属する者たち――「魔族」によって支配されていた。
大魔王サタンを長とした彼ら闇の魔族は残虐非道な行いを好み、人間たちは家畜以下の扱いを受け、日々苦しみ喘いでいた。
そんな人々を憐れんだ竜の神は一筋の涙を流し、涙は光り輝く聖なる剣へと姿を変える。
神から光の剣を託された一人の青年は次々に魔族たちを掃討、多くの仲間たちと共に魔族に立ち向かった。
永い戦いの末、光の剣を携えた青年は大魔王サタンを討伐することに成功。世界は闇の魔族たちから解放された。
光の剣の青年は『白の勇者』と呼ばれ、勇者を傍で支え続けた賢人は『紅の賢者』と称えられ、人々に大きな影響を与え続けたという。
* * *
ヴァージャはそれだけを話し終えると、寝台の上に身体を起こしたグリモア博士を見遣る。今の話が何だったのかオレにはまったくわからないけど、……取り敢えず黙っておこう。
「……それで、ヴァージャ様は何が言いたいのかな?」
博士はヴァージャの話を聞き終えると、朱色の双眸を半眼に細めて胡乱気に笑う。
すると、ヴァージャはそんな博士に構うことなく胸の前でゆったりと腕を組んでため息をひとつ。
「まだとぼける気か、この話の中で語られている『紅の賢者』とはお前のことだろう。グリモア……というのは偽名だな、グラナータと呼んだ方がいいか」
ヴァージャがそう告げると、当の博士は心底嫌そうな――ウンザリしたような顔をした。
……グ、グリモア博士が今の話の中にあった賢者? っていうか、今の話って本当にあったことなの? それに、なんで偽名なんか……。
オレが頻りに疑問符を浮かべていると、ヴァージャはそんなオレを振り返って小さく頷いた。
「隣の世界でな」
「と……隣の世界って、なに、どういうこと? そんな当たり前みたいにサラッと言わないでくんない?」
「……世界というものは、お前が思っている以上に数多く存在する。私が創造したこの世界の他にも、いくつもあるというわけだ。私は
情報量が多すぎて頭壊れそうなんだけど、ええと……今の話が隣の世界で実際にあったことなら……えっ、グリモア博士が隣の世界を救った英雄の一人ってことになるのか?
「この世界の者では扱えぬような力の数々、森羅万象を抑え込むほどの膨大な魔力と、人が本来は知り得ぬ術式……それらを考えた時、旧友に何度も聞かされた今の話を思い出した。……お前が紅の賢者たるグラナータ本人ならば、その身が人造人間になったことも説明がつくのだ」
「人造人間になった、って……博士って造られたわけじゃないのか?」
「魔族との戦いが終わって約一年後、英雄となった『白の勇者』は誰に何を言うこともなく、忽然と姿を消している。グラナータは、その姿を消した白の勇者を探すために自らを人造人間へと変えたのだ」
……知らなかった、あのちゃらんぽらんな博士にそんな事情があったなんて。こうして人造人間として存在してるってことは、つまり……その白の勇者ってのはまだ見つかってないのか。
博士はしばらく黙り込んでいたけど、やがて腹の底から深い深いため息を吐き出して項垂れた後、静かに顔を上げた。
「……まいったね、ヴァージャ様がヴァリトラと友達だったなんて。神さま同士もコミュニケーション取ったりするんだ?」
「近い世界の神とだけだ、お前が人間として生を受けた蒼竜の世界はこの世界の隣にある。四千年前の英雄が未だに存在しているとなれば、ヴァリトラも喜ぶことだろう」
「よ、四千年前!? じゃ、じゃあ、博士って、そんくらい生きてるってことか!?」
ヴァージャと博士のやり取りを聞いていると、とてもじゃないけどスルーできない言葉がさらりと飛び出してくる。思わず声を上げてしまったオレを見て、博士は「はは」と苦笑いを浮かべた。
博士が四千年前の人間ってことは……いなくなった勇者様を探して、ずっと旅をしてるってことになるのか? そりゃ、人間の寿命じゃ全然足りないもんな、だからずっと探し続けられるように自分を人造人間として作り変えたってわけか。
ほんの数年、数十年程度じゃなかったんだ。自分のこと年寄りとか言うからおかしいなとは思ってたけど、もう年寄りのレベルをとうに過ぎてると思う。でも、それだけ時間が経ってるなら……。
「リーヴェが言いたいことはなんとなくわかるよ、四千年も経ってるならとっくに亡くなってるだろうね。……でも、僕は輪廻転生というものを一応は信じてるんだ。あの子の魂にはどうあっても消えない印があるから、その魂を持ってる人を探してる。最初はリーヴェがそうかもしれないと思った、だから協力したのもあるんだよ」
「オレ、その勇者様に似てんの?」
「中身がね。気概のあるところなんて本当にそっくりだ。でも、きみの魂には印がない、だから別人」
輪廻転生ってあれか、死んでも魂は巡って別の人間として生まれ変わるっていう……なるほどなぁ。それにしても、大昔の英雄の一人が協力してくれてたなんて、そりゃとんでもないレベルの力を色々と使えるわけだよ。アインガングの連中のほとんどを一気に眠らせた時なんてビックリしたもんな。
森羅万象が暴れ出さずに済んだのも、博士がいてくれたからなんだ。せめてもの恩返しにその人探しに協力したいけど、魂の印なんてオレには見えないしなぁ……。
「どこの世界に転生しているかもわからないのだ、お前がそう気にすることもないだろう」
「そうは言うけどさ、今までのこと考えると何か礼をしたいって思うだろ。それだけの間ずっと探してるってことは、その……グリ――いや、グラナータ博士にとって大事な人なんだろうし」
「やだな、言っておくけどただのイトコ同士ってだけで、恋人とかじゃないからね。僕は彼がいなくなった理由を知りたいだけなんだ。あと、グラナータは人間だった頃の名前だし、呼び方は今までと同じでいいよ。他の人に聞かれた時に説明するのも面倒だからさ」
えっ、違うの? 自分を人造人間にしてまでずっと探すくらいなんだから、オレはてっきり……。
なんて考えてると、博士は寝台に身を起こした状態のまま傍らの窓に目を向けた。
その表情は今まで目にしてきたものとは全然違って、ひどく優しい。まるで小さい子供でも慈しむような。それだけで、恋愛感情じゃなくてもその勇者様を大切に想っていることが窺えた。……これ以上、その話題に触れるのは野暮な気がする。博士が胸の奥に大切にしまっている想い出に土足で入り込んでしまいそうで。
「リーヴェ」
「……なに?」
「機会があったら、いつかきみも色々な世界を渡って旅をしてみるといいよ。視野が広がるし、学べることもたくさんある。それに、きみのその力はどこの世界でも多くの希望になってくれるだろうからね」
世界を渡る……オレも、グラ……いや、グリモア博士みたいに?
そうだなぁ、オレは今まで「世界」なんてずっと暮らしてきたここしかないものだと思ってたし、それが当たり前だったから、……他の世界がたくさんあるなら、いつか見てみたいな。たくさんあるその他の世界で、人々がどんなふうに暮らして生きてるのか、この目で見て知ってみたい。
ヴァージャが複雑そうな顔をしてるけど、今は気にしないことにした。
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