出逢えてよかった
咄嗟に手を伸ばしてブリュンヒルデの身を抱きかかえることだけはできたけど、逆に言えばそれ以外にできることが何もなかった。
かなり高いところを飛んでたから地上に激突するまではそれなりにあるものの、これまた逆に言うとそれだけ重力加速度がかかるわけだから、地上に叩きつけられたら間違っても助からない。
頭から真っ逆さまに地上に向かって落ちていく最中、辺りに視線だけを向けてヴァージャの姿を探す。けど、既に飛び去った後なのか、あの巨大な姿はどこにも見えなかった。
抱き締めたブリュンヒルデからは頻りに謝罪が向けられるものの、お前が謝ることないんだよ。お前は何も悪くないんだ、限界まで精いっぱい頑張ってくれたじゃないか。
かなりの速度で近付く大地には、次々に大小様々な亀裂が走る。空は怒り狂うかの如く頻りに稲光を発生させ、最期の時を告げてるみたいだ。
そこで頭に浮かんできたのは、オレがヴァージャを追っかける直前に見たフィリアたちの不安そうな表情だった。みんな心配そうで、フィリアなんて今にも泣き出してしまいそうで。今頃、みんなどうしてるだろうか。やっぱり不安で震えてるかな。
……いや、他の連中はわからないけど、フィリアたちがそう簡単に世界の崩壊を受け入れて諦めるとはあまり考えられない。あいつらは、滅亡が目前に迫った今でも、心から折れるなんてことはないんじゃないか。
ああ、駄目だったなぁ、って。そうやって手放しに諦めることはできるし、少し前までのオレだったら早々にそうやって諦めてただろうけど。
『――お前が信じてくれるのなら問題ない』
……ヴァージャがそう、言ったんだもんな。
ヴァージャと出逢って旅に出て、オレはすっかり諦めが悪くなっちまったらしい。今のオレにできることは、最後のその瞬間まで――あいつを信じることだけだ。フィリアたちだって、きっとそうしてる。オレが諦めてどうするんだ。
この世界が消えるまで、意識が吹っ飛ぶまで、ヴァージャを信じる。それで結局駄目で死んだら、その時に初めて諦めてやるよ。この世界と意識があるうちは、絶対に諦めてなんてやるもんか!
「人間と友達でいたいんだろ、ヴァージャ! 戻ってこい!!」
ヴァージャに聞こえてるかどうかもわからないけど、声を上げずにはいられなかった。
落ちる速度が速すぎて、うっかり気を抜いたら意識を持っていかれそうだ。ここはどの辺りだろう、左手側に海が見えるってことはル・ポール村の近くかな。海が荒れ狂ってるように見えたけど、ヘルムバラドは――マティーナたちは無事だろうか。頭の中に、この旅の中で出会った人たちの顔が次々に浮かんでは消えていく。
――そんな時だった。
それまで大小様々に大地に走っていた亀裂がじわじわと消えていき、時間でも巻き戻しているかのように落ち着き始める。さすがに倒れた木々までは元に戻ることはなかったけど、空も不気味な色合いから徐々に青味を取り戻していった。
次に、落下する速度が少しずつ緩やかなものになり始めた。辺りに目を向けてみれば、飛び去ったと思っていたヴァージャが相変わらず巨竜の姿で滑空し、猛烈なスピードでこちら目掛けて飛んでくる。このまま突進されたら確実に死ぬだろうけど、ヴァージャが……あいつがそんなことするわけもなく。
オレとブリュンヒルデは、無事にヴァージャのその背中に落ちることができた。荒々しいなんてもんじゃないけど、死んだり怪我するよりはずっとマシだろう。
慌ててヴァージャの様子を窺ってみるけど、背中から辛うじて見えた目は未だ赤い。でも、黄金色になったりまた赤に染まったりと、ギリギリのラインでヴァージャも戦ってるみたいだった。
「……ヴァージャ、ごめんな。今も昔も、神さまを苦しめるのはいつも人間だったな。でも、あんたはそんな人間を嫌いにならずに、ずっと好きでいてくれたんだ。今度はオレたち人間が、あんたのその想いに応える番なんだ」
今はまだオレたちだけでも、これから時間をかけて築いていけばいい。人間と神の、簡単に揺らぐことのない友情を。そのためには――ヴァージャのことを何も知らないまま作られた怨念は邪魔だ!
腰裏に据え付けたままの錫の剣を手に取り、刀身を寝かせてヴァージャの背中にあてると、瞬く間に光が広がってその巨体を包み込んだ。
* * *
錫の剣から発せられた光はヴァージャの身を蝕んでいたカースの怨念を取り払い、デカい巨体はすぐにいつもの人型へと落ち着いた。
そして現在――近くにあった湖の傍に降り立って、休んでいるというわけだ。
「……無茶を、するものだ……」
ヴァージャは人型に戻れたけど、その顔色はすこぶる悪い。さすがに目の色はいつもの黄金色に戻ったものの、完全に戻ったはずの力はまた随分と不安定なものになってしまったらしい。それでも、森羅万象の力はちゃんと抑え込めたようだけど。あれがまだ暴れようとしてるなら、もうとっくにこの地上にある文明は吹き飛んでるはずだ。それくらいの時間は既に経過してる。
ヴァージャは近くの岩に背中を預けて凭れかかりながら、呻くように呟いた。力がまた不安定になったせいか、それともオレたちを拾うために全速力で飛んだせいか、随分と疲れているようだ。
「仕方ないだろ、無茶でも苦茶でもやらないと全部終わってたんだから」
『そうでございます、ブリュンヒルデはリーヴェ様の深い愛に大変感銘を受けました』
子猫の状態から成猫くらいの姿にちょこっと成長したブリュンヒルデは、オレの隣に座り込んで何やら目をキラキラと輝かせていた。そういうことは言わないでいいんだよ、今更言われると妙に恥ずかしくなるだろ。すると、ヴァージャはそこで薄らと笑った。
「……どれだけ好きだと思っている、か……ふむ」
「やめろやめろ、蒸し返すのはデリカシーってモンがないぞ」
「蒸し返すどころか、お前が好きに述べただけで私はまだ何も言っていない。言い逃げこそデリカシーに欠けるのではないか」
「ゴネるとこばっか人間っぽくなりやがって、この野郎」
そんな言葉の応酬を、ブリュンヒルデはオレとヴァージャとを交互に見遣りながら見守っているようだった。何とかなったんだって実感はまだ全然湧かないけど、おかしいくらいに腹の底から笑いが込み上げてくる。今頃、帝都ではみんなも安心してることだろう。
「リーヴェ」
「なんだよ」
「またお前に助けられたな、感謝する。お前と出逢えて……本当によかった」
ついさっきまではみみっちい駄々こねてたくせに、いきなりそんなこと言ってくるもんだから、急に照れくさくなってきた。
「出逢えてよかった」も「助けられた」も、どっちもこっちの台詞なんだよ。そう言っても、こいつは笑うんだろうけど。
空を見上げると、すっかり青々とした色合いに戻り、稲光はもうどこにも見えなくなっていた。
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