ウロボロスの女

 正午を過ぎて数分といった頃に北の大陸にある拠点に帰り着いたオレたちは、拠点の中に漂う何とも言い難い雰囲気にすぐに気づいた。


 ちなみに、空飛ぶ城はこの拠点のメチャクチャ高いところに停まってる。あまりにも高い場所にありすぎて、まだ誰も気づいていないらしい。


 不満、困惑、疑念……あまりよろしくないものに包まれているようだ。これは、スターブルに行ってる間にまた何かひと騒動あったのかもしれない。フィリアは可愛らしいお嬢様みたいな見た目をしてるけど、性格はわりと勝ち気で狂暴だ。リスティと取っ組み合いの喧嘩でもしてたらどうしよう。



「――! リーヴェさん、ヴァージャさん! いいところに!」

「あ、フィリア、大丈――」

「話はあとです! すぐ来てください!」



 なんとなく嫌な空気が流れる拠点内をヴァージャとあちこち見回しながら歩いていると、奥の方から血相を変えたフィリアが飛び出してきた。その慌てようは尋常じゃなくて思わず大丈夫かと声をかけようとしたものの、それよりも先に問答無用に手を引かれて従うしかなかった。いくら幼女だって今や秀才グロスレベルなんだ、無能のオレが力が敵うわけがない。



「ど、どうした、何があったんだ?」

「さっき、ひどい怪我をした女の人が運ばれてきたんです! 手当てをしても血が止まらなくて、このままじゃ命が危ないって……」



 呑気に立ち話なんてしていられるような状況じゃないことだけはわかった。

 早口に返るフィリアの言葉を聞けば、楽観できるような怪我じゃないんだろう。斜め後ろから見てもわかるくらい、今の彼女は青ざめていた。その怪我人のところに着いたら、ヴァージャに頼んでフィリアを外に連れてってもらった方がいいかもしれない。いくらリーダーとは言え、まだ十歳。死にそうなレベルの怪我を見せるのは気が引ける。


 ちら、と後ろを振り返ると、こんな時でも人の頭の中を覗いているらしいヴァージャが了承の意味を込めて頷いてくれた。こんな時でも、とは思ったけど、こんな時だからこそ言葉に出さなくても伝わるのは地味に有難い。



 程なくして、今にも倒れそうなフィリアに連れられていった医務室にはサンセール団長、エルにマリーと馴染みの顔ぶれが集まっていた。いち早くこちらに気付いたエルがホッとしたように表情を和らげるのとは対照的に、サンセール団長は複雑そうに厳つい顔を歪める。



「団長、怪我人って……」

「うむ……それがなぁ、まあ……なんとも」



 その、あまりにも豪胆な団長らしくない要領を得ない返答に疑問符が浮かぶものの、寝台に歩み寄ってみればどうして団長が言葉を濁したのかわかった。仰向けに寝かされていたくだんの重傷人の女は、オレにとっても見覚えがある女だったからだ。


 長い黒髪に桔梗色の羽織を着た和風美女、それは――ウロボロスのサクラだった。間違いなくあいつの、マックの女の一人だ。サクラだって秀才のはずなのに、いったい誰がこんなことを……。



「お知り合い、ですか……?」

「……ああ。あんまり嬉しくない方の」



 恐る恐るといった様子で声をかけてきたエルにそう返すだけで、精いっぱいだった。今のオレはどんなひどい顔をしてるんだろう。


 ヴァージャやエルがマックたちのことは徹底的にやっつけてくれたからもう大丈夫だと思ってたのに、“ウロボロス”のことを思い出すだけで腹の中にデカい石でも押し込まれたみたいにムカムカする。マックの、ヘクセやロンプの人をバカにした嘲笑と差別にまみれた言動を思い出すだけで腹が立って仕方がない。


 思い出したくないことまで色々と頭に浮かんできたところで、ポンとヴァージャに肩を叩かれて強制的に意識が引き戻された。



「それで、どうするのだ。治療するのか?」



 ……治療。

 ちら、とサクラの様子を見てみると、腹部や脇腹に特にひどい傷を負っているようだった。綺麗な桔梗色の羽織は血に染まって一部分が黒に変色している。確認するまでもなく顔色が悪い。呼吸も弱々しくて、放っておいたらこのまま死んでしまうのは明らかだ。


 巫術はヴァージャの力を使うんだから、これだけの重傷だってきっと助けられる。でも「本当にそれでいいのか」って、悪魔が耳元で囁くようだった。


 マックの女なんか助けたってロクなことにならない。

 サクラだってマックの女なんだから、死のうがどうしようがオレには関係ないじゃないか。

 怪我したのだってオレのせいじゃない。それに、サクラだってヘクセやロンプみたいにいつも――……



「……するよ、治療。ヴァージャ、フィリアが倒れそうだから外出ててくれ」

「わかった」



 ヴァージャは一言それだけを返答すると、真っ青な顔をしたフィリアと――ついでに同じく顔色の悪いマリーを連れて医務室を出て行った。エルは医者志望なこともあって平気そうな顔をしてる、こいつは本当に頼りになるやつだ。団長のことはそもそも心配してないし。


 けど、オレがまだスターブルにいた頃のことを知ってるサンセール団長は心配そうに声をかけてきた。



「……リーヴェ、よいのか」



 オレだって、マックの女なんか助けたくないさ。けど「あいつの仲間だから助けたくない」って意地張って、ここで何もしなかったらきっと人生のどこかで後悔するような気がする。この先の人生でどれだけ幸せになっても「あの時に命を見殺しにした」って一生ついて回る気がするんだ、罪悪感が。マックのせいで人生台無しになるなんて最悪じゃないか。


 それに……。



「いいんだ。マックとか、ヘクセやロンプたちにはいつも無能ってバカにされたし嫌がらせも受けてきたけど、……サクラには、そうやって言われたことも、何かされたこともないなって」



 さっきヘクセやロンプたちにされてきたことが脳裏に浮かんだけど、サクラには――「こんにちは」とか「ごきげんよう」とか、顔を合わせた時に挨拶された覚えしかなかった。話し込んだことはないから何とも言えないけど、彼女に関する嫌な記憶は全然ない。


 これがティラだったり、それこそヘクセたちだったらどれだけ先の人生を考えても躊躇ったかもしれない。でも、サクラはここで死なせたくはなかった。


 サクラの腹部に片手を翳して目を伏せる。

 後悔することになるかもしれないけど、やらないで後悔するより、やって後悔する方がずっといい。オレはそうやってこれまで生きてきたんだから。

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