安心できる場所
目を開けると、よくわからない場所にいた。
辺りに真っ白な霧が立ち込めてるせいで、ここがどこなのかさっぱりわからない。
……ええと、オレはどうしたんだっけ。こんなこと、確か前にもあったな。あの時はヴァージャの力が流れ込んだ影響で大昔の記憶を見たわけだけど……じゃあ、今回もそんな感じ?
……いや、あの時とはなんか違う。
後ろに嫌な気配を感じる。胃がキリキリと悲鳴を上げているようだった。
取り敢えず、その気配から離れるべく足音を立てないように進んでみるけど、オレが進めばその気配も追いかけてくる。荒い息遣い、微かに洩れ聞こえる不気味な笑い声、威圧感さえ受けるありありとした気配。夢にしては妙にリアルな感覚を感じ取り、背筋を冷たいものが伝った。
ゾッとする寒気に耐え切れずに駆け出すと、背後にいるだろうその何者かまで走って追いかけてくる始末。段々と距離が詰まり、すぐ真後ろに気配を感じた頃、霧の中から突き出てきた手に思いきり腕を掴まれた。腹の辺りに逆手を回され、遠慮も何もない力で強引に引っ張られる。
慌てて振り向いた先では、見覚えのない男が狂気に満ちた笑みを浮かべていた。長い黒の髪、血のように真っ赤な目、顔は確かに笑ってるのに目はまったく笑っていない。
『クククッ……どこへ逃げようというのだ。お前に逃げ場などない、諦めよ……』
男のその声は、耳というよりは脳にこびりつくようだった。
* * *
慌てて飛び起きると、見慣れない部屋の中だった。明かりが落ちていて、異様に広い。ぐるりと室内を見回してみると、大きな窓から黒い夜空が見える。下方にふわりとかかっている白いものは、たぶん雲――……ああ、ここヴァールハイトの中か。そういや、ヴァージャに「先に休め」って言われて、一足先に寝室で休ませてもらったんだった。
遠くの空はまだ暗いままだ、夜明けはもう少し先らしい。寝直した方がいいんだろうけど、困ったことに睡魔は綺麗に吹き飛んでしまってる。身を横たえて目を閉じると、夢で見たあの男の狂気染みた笑いが浮かんでくるようでひどく気持ちが悪かった。
しばらくそうしてたけど、まったく眠れそうな気配がない。仕方ないから、少し起きて城の中を見てみることにした。……ヴァージャはまだ起きてんのかな。
「(……それにしても、怖い夢見て寝れなくなったって……子供かよ)」
寝室を出ると、城の至るところには明かりが点いていた。さっき執務室に行く時にあちこち通ったけど、この城はとにかく恐ろしく広い。ひとつの島くらいの規模がある。そりゃあ、これだけ広ければ組織メンバーやその友人家族が全員厄介になっても問題ないわけだ。
赤い絨毯が敷かれた広い階段を一段一段上っていくと、さっきも訪れた執務室に辿り着く。部屋の中にはまだ明かりが点いてるようだった。
「ヴァージャ、まだ起きてるのか?」
部屋の扉を軽くノックしてから押し開けた先には、さっき見た大きな模型の正面にある椅子に腰掛けたヴァージャがいた。椅子っていうか玉座っていうか……そんな豪華なのさっきあった? それもどこからか引っ張り出してきたやつ? けど、それがまた異様に似合ってるから文句も何も出てこない。
「どうした、リーヴェ。眠れないのか?」
「あ、ああ、枕が変わると寝つきがよくなくて」
「……そんなにデリケートだったか?」
「うっさいな、そうなんだよ。……それより、あの帝国兵たちは?」
なんとなく、怖い夢を見て眠れなくなったっていうのがバレたくなくて適当な嘘をついてからテーブルの方に歩み寄った。すると、ヴァージャは一度テーブルに展開されたままの模型に一瞥を投げる。
「スターブルに来た者たちなら、纏めて帝国の首都に帰しておいた。各地で暴れている者は今把握中だ」
――あの後、ミトラたちに今後の予定を話したけど、彼女たちはこの城に避難するという選択をしなかった。スターブルはオレたちが帰る場所だから、そこで帰りを待っていたいんだそうだ。まあ、エレナさんたちもいる上にブリュンヒルデがついてるからまた帝国兵が来ても問題なさそうだけど……。
それにしても――
「……もしかしてこれ、世界中の様子が見えるのか?」
「ああ、ヴァールハイトとは真実を意味する。大昔の人間たちは“神さまには何でもお見通しだから悪いことはするものではない、天罰が下る”と、子供によく言って聞かせていたものだ」
この城から全部見えてるなら、あながち間違いでもないわけだ。ヴァージャの隣に立ってオレが見てみても何が何だかさっぱりだけど。
……ヴァージャはこうやって、世界中を見守ってきたんだなぁ。すごいなとは思うけど、でもなんか寂しそうだ。オレだったら三日でホームシックになる、確実に。
「それで、お前は何を隠しているのだ。怖い夢でも見たか?」
「べ、別に隠してるわけじゃ……」
目の前の模型をジッと眺めていると、不意に横から腕を引っ張られた。それが一瞬だけ夢のあの光景と重なったけど、夢に見たあの男とは力の強さが全然違う。オレがその腕を軽く振ればいつだって振り払えるような、そんな緩い力からは強引さなんて一切感じられない。
だから引く力に抗うことなく、むしろこちらから突撃してやった。椅子に座るヴァージャの膝を跨ぐような形で身を寄せると、どうしたことかヴァージャが一瞬固まった。
「ど……どうした、今日は妙に素直だな」
「悪いかよ」
「いや、そんなことはないが……」
へえ、いつも余裕に見えるけど、ヴァージャって予想外の行動にはわりと動揺するタイプなのか。お構いなしにそのまましがみついたところで、普段よりやや遠慮がちに背中に片手が回った。それがまた余計に笑いを誘ってくる。
「(……ああ、やっぱりだ。……やっぱりここが一番落ち着く)」
ヴァージャとこうしてると、さっき見たあの嫌な夢が跡形もなく溶けて消えていくようだった。体温が心地好い、とにかく安心する。後ろ髪をゆったりと梳く動作に、一度は旅に出た睡魔が戻ってきた。そのままヴァージャの肩に頭を預ける。
「邪魔じゃなかったら、少し……このまま……」
「私がお前を邪魔にするわけがないだろう、ここでよかったらゆっくり眠るといい」
背中を軽く撫で叩かれたのがトドメだった。洩れそうになった欠伸を喉奥で噛み殺し、そのまま目を伏せる。これなら嫌な夢を見ないで済みそうだ。
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