天穹ヴァールハイト

 ヴァージャに抱えられたまま崖下の奥深くに降りていくと、深い深い底には広々とした空間があった。


 そこには、ほんのりと淡い光を湛える様々な鉱石が顔を覗かせる――如何にも幻想的な光景が広がっている。街ひとつ分ほどありそうな空間にいくつも窺える石は、まるで花畑にも見えた。



「わあ……綺麗だな、あの石は?」

「ただの蛍光石だ、魔力を浴びるとあのように淡く光る。ヴァールハイトから漏れ出る魔力が辺りに広がっているせいだろう」



 ああ、あれがそうか。暗いところに設置したり、携帯したものに魔力を当てることで照明代わりにするんだとか……聞いたことあるなぁ。魔術や法術を使えないオレには無縁の話だから、ほとんど聞き流してたけど。


 淡い光を湛える蛍光石に迎えられるように中央の方に向かうと、石板のようなものがあった。広げたノート一冊分くらいの大きさで、表面には記号みたいなものがいくつも刻まれている。文字だと思うけど、オレには読めないものだった。



「リーヴェ、傍を離れるなよ」

「な、なんかいんの?」

「そうではないが……」



 辺りの蛍光石を眺めている最中に、不意にそんな言葉がかかった。何かが潜んでいるわけではないようだけど、説明が返る前にぐらりと大きく身体が揺れる。まるで下から強く揺さぶられたみたいに。立っていられなくて転倒しかけた身体は、咄嗟にヴァージャが支えてくれた。


 次には地鳴りのような音が空間全体に響き渡り、あろうことか再び身体が浮くような感覚に陥る。……待て待て待て、もしかして、もしかすると――



「こ、ここが浮かび上がったり、……すんの?」

「ああ、ここがヴァールハイトの核の部分だ」



 ってことは、あの読めない文字が刻まれた石板が操縦盤みたいなものか。

 なんて思考は、次の瞬間一気に浮上を始めた独特の感覚に流されて使いものにならなくなった。こいつ、ヘルムバラドのアトラクションの時は死にそうな顔してたのに、なんでこれは平気なんだよ、おかしいだろ。



 時間にして、数十秒とかくらいのかなり短い時間だったと思うんだけど、全身を襲う揺れと轟音のせいで数十分くらいに感じた恐怖の時間は、やがて終わりを迎えた。伏せていた目を恐る恐る開けてみると、そこはもう空の上。ただの岩だったはずの足場は、大理石みたいな見事なものに変わっていて、壁と天井は――なかった。



「ないのではない、見えないだけだ」

「えっ、これ……身を乗り出しても落ちたりしないの?」

「しない。……どれ、怖いのなら今変える」



 どう見ても壁もないし天井らしいものは何も見えないんだけど、ヴァージャがそう呟くなり、三百六十度ただただ青い空だった壁と天井が、床と同じ白いものに変わってしまった。それと同時に周囲には柱だとかテーブルだとか、色々なものがどこからともなく現れて、殺風景だった空間を瞬く間に埋め尽くしていく。まるで手品でも見てるような気分だ。


 ……それにしても、辺りには山すら見えないけど……こんなものがいきなり地面から出てきたんだ、辺りは大騒ぎなんじゃないだろうか。



「ふむ……ちょうどいい、帝国兵がどう動いてるのか見てみよう」

「え、どうやって?」

「こっちだ、執務室に行く」



 執務室……? 仕事場みたいなところ?

 神さまの仕事場ってまったく想像つかないんだけど……そもそも、神さまってどんな仕事してるんだろう。


 核の部分って言われてた広間を出ると、他の部屋に繋がっているだろう廊下に出た。廊下自体が広く、白一色で統一された見事な造りだ。壁には窓がいくつも設けられていて外の様子を確認できる。かなり高いところに浮かんでいるらしく、空しか見えないけど。


 城の中は全体的に、ちょっと豪華な家みたいなわりと普通の内装だった。ただ、右や左に正面と、様々な方向に通路があるところを見れば恐ろしく広そうでもある。



「大昔は、ここで人間と一緒に暮らしたりしたのか?」

「いいや、ここに人間を入れたのはお前が初めてだ」

「え……」



 詳しく聞いてないけど……ここってヴァージャの家みたいなものなんだろ、多分。そこに連れてきた初めての人間が……オレ?


 それだけで特別感を感じて浮かれちまう辺り、オレって本当にチョロいやつだなぁ。けど、先を行くその後を追いかけていく中で、次に胸中に湧いたのは可愛げのない魂胆だった。



「それじゃあ、オレがリスティの言うように体調悪くて、彼女に同行を任せてたらリスティを初めてここに入れてたわけだ、へえぇ」

「なぜそうなる。その場合は街で待つように……」

「あんなにグイグイ来る押しの強いが大人しく街で待つわけないだろ、あんたは逆に押しに弱いとこあるし」



 城の内装を見渡しながらヴァージャの背中に矢継ぎ早に言葉を向けてやると、当のヴァージャがぴたりと立ち止まった。さすがに怒らせたかと思いきや、次の瞬間には少しばかり不貞腐れたような、恨めしそうな顔でこちらを振り返るものだから、ついうっかりふき出しそうになった。



「……まだ信じられないのか」

「いや、浮かれてんだよ、これでも。あんたのそういう珍しい表情も見れたし」

「まったく……もう少し可愛げのある浮かれ方をしてもらいたいものだな」



 そうは言っても、満更じゃなさそうな顔してるけど。……神さまだもんなぁ、今までこういうやり取りもしたことないんだろう。今後はオレが人間の生活とか日常とか、楽しいことももっとたくさん教えてやらないとな。



 程なくして行き着いた場所は、本当にごくごく普通の執務室みたいな場所だった。

 部屋の両脇に大きな本棚がいくつもあって、隙間なく本が並べられている。その近くには寛げそうなソファとか長テーブルとか、どれも二千年も沈んでたとは思えないような綺麗な状態だった。


 そして、部屋の最奥にはひと際大きなテーブルがある。ヴァージャの後についてそちらを見てみると、テーブルの上には――世界地図らしきものが立体模型の形で置いてあった。



「……これは?」

「見ての通りこの世界だ。……ふむ、ディパートの街を越えて、もうスターブルの近くまで来ているのか」



 模型の中――ちょうどスターブルの辺りを見てみると、黒い何かが蠢いている。まるでアリの大群のように見えるそれは、よくよく見てみると小人のようだった。

 ……正直よくわからないんだけど、ヴァージャのその言葉と目の前の模型を見てると、あまり愉快ではない仮説が頭の中に浮かんでいく。



「……なあ、まさかとは思うけど……この動いてる小人たちが帝国兵って言わないよな……」

「よくわかってるじゃないか」

「じゃ、じゃあ、このテーブルひっくり返したらどうなんの?」

「お前はおかしなところで怖がりのくせに、なぜそうも恐ろしいことばかり考えるのだ。間違ってもやるな、大地震に見舞われて私たち以外全て死ぬぞ」



 じゃ、じゃあ、この模型ってオレたちが今いる世界そのもの……?

 例えば、手前にある木を引っこ抜けば、現実世界でもここにある木が引っこ抜けるような何かが起きるんだろう。海に手を突っ込んだら、きっと大津波とか起きるんだ。


 この動いてる小人たちは帝国兵で、今まさにスターブルまでやってこようとしてるヤバい状況ってことじゃないか。

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