幕間

過去と現在と不透明の未来

 ――神は存在しない。


 存在を否定する声が気にならなくなったのは、いつの頃からだったか。

 人々の前から姿を消し、数千年。当初は、困惑し絶望に喘ぐ人の姿を見るのがあまりにも苦痛だった。つい、手を差し伸べてしまいそうで。


 初めに裏切ったのは、私か、それともヒトの方か。

 どうするのが最善だったのか、永い時を経ても答えは出ない。



『神さまなんていらない! わたしは普通の幸せがほしかっただけなのに! 神なんてものが、あんたがいるから!』


『神を殺せ! やつを殺せ! あれはただのバケモノだ!』


『あの力をこちら側に引き込むことができれば、連中には何もできまい。何としても神の力を我が軍のものにするのだ!』


『か、怪物! 怪物めえぇッ……!』



 目を伏せて過去に想いを馳せれば、多くの記憶が脳裏を過ぎる。様々な記憶の中に居合わせる者たちは悲しみに暮れ、ある者は絶望に染まり、更に別の者は憎悪と憤怒にまみれている。鮮明に思い起こされるのはそういった負の記憶ばかりで、万のさちよりも十の苦の方がより根強く胸のうちに鎮座していた。そういうものだ、ヒトも神も変わらない。


 また同じ歴史と過ちを繰り返すのなら、この世界など私と共に消滅してしまう方が――……



 * * *



「おい、神さま! 朝だぞ!」



 やかましい声に目を開けると、灰桜色の髪をした男がこちらを覗き込んでいた。目を開けたのを確認するなり「やっと起きた」と疲れたようにため息を吐いて、早々に踵を返す。横たえていた身を起こし、その背中を目で追った。長い後ろ髪が揺れる様は、まるで猫の尾のようだ。



「魘されてたけど、変な夢でも見てたのか?」

「リーヴェ、名を教えただろう。私を神と呼ぶのはやめろ」

「……随分そこにこだわるな、わかったよ」



 リーヴェはそれだけを返して寄越すなり、朝食の支度に取りかかり始めた。無能無能と己を卑下しているが、何かと器用な男だと思う。本当の無能なら料理とてできまい、リーヴェが己の真価に気付くにはまだ時間がかかりそうだ。


 ――この男も過去の者たちと同じだろうか、いずれは私の存在を疎ましく感じるのか、それともこの力を都合よく利用するだろうか。……私を恐ろしいと感じる日が来るのだろうか。何を感じて、何を考えているのか、ついその頭の中を覗いてしまう。



『怪物が出るとは聞いたけど、被害はまだ出てないんだろ? 特に悪さをしたわけじゃないのに金のために討伐されるなんて、可哀想だなと思ってさ』



 理性が失われていく中で聞いたその声と言葉が忘れられない。もしもあの晩にリーヴェを見つけていなかったら、既にこの世界は崩壊していたのだろう。あの夜が辛うじて世界を維持できる最後の日だった。密かに世界を守ったのだと、この男は気付いていないようだが。


 この世界も私も消滅してしまった方がいい。

 そう思っていたはずが、最期を迎えようと蹲っていたところに聞こえてきたその声に力の気配を感じて、つい縋ってしまった。それと同時に、もう一度だけヒトを信じてみたいとも思った。



「パンと米どっちがいい?」

「麺」

「パンと米って言っただろ!!」



 今のところ、この男には野心というものがない。裏表もない。ひどく居心地がいい。まだまだ観察は必要だが、この男には――リーヴェには今のまま変わってほしくないと心から思う。

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