050話 盟神探剣その3

 酔客がまだそこまで酔客でなかったことが幸いした。


 いや、あるいは中途半端に理性が残っていたから「知らねえよバーカ!」と言えなかったのは災いだったのだろうか。


 彼はユヴォーシュのことを見知っていた。どこに逗留しているかも把握していた。だからついそのことを考えてしまって、目線がふいと左にそれる。


 少女はそれを見逃さなかった。


「知ってんだな知ってんだろ教えろ! さもないとひどい目に遭うぜ!」


「えっあっ待っ」


 以降、絶叫。


 酔客は胸倉を掴まれたと思った瞬間には宙を舞っていた。そして、舞い続けた。彼女は子供が巾着袋を振り回すように酔客を五六回転ほどブン回したのだ。


 魂消るような悲痛な叫びが、尻が椅子にぶつかるどすんという音で途絶える。見物人のうちの何人かは、死んだかと思った。


 酔客は自失状態にある。とても質問に答えられるとは思えない彼の両肩を掴んで、彼女はがくがくと揺さぶった。


「おい、しゃっきりしろ! 知ってることを話せってんだよ!」


「お、おいあんた、それ以上は……」


 最初に声をかけた酔客、信じがたい空中体験をしたばかりの彼を案じて、別の客が声をかける。最後まで言葉を続けることはできなかった。


「この際お前でもいい、教えやがれ!」


 到底教えを乞うているとは思えない叫びが響いたかと思うと、二番目の男が“ハシェントの日時計”亭の天井にへばりつく。女性が、今度は胸倉を掴んだのがすっぽ抜けたのだ。必然的に床にも叩きつけられる男性を見て、彼とともに飲んでいた友人らしき酔客が、


「な、何しやがるんだテメェ!」


 と叫ぶ。叫ぶとそれに反応して女がそちらを向く。獲物を認識した魔獣に睨まれた気分になって、三番目の男が「ひっ」と息を呑んで後退してしまった。


 あとはもう、文化的・文明的な発言は嵐に吹かれて消えてしまった。


 客たちを追いかけまわす女性と、泡を食って逃げまどう客たち。そこに秩序はなく、あるのは強いものが生き残るという野生の理論だ。


 嵐の外、酒場の片隅で、彼女の連れがどうすることもできずに佇んでいた。ふと、彼女が注文したドリンクが目に留まる。グラスを手に取って、じっとよく見て、


「……まずい。ニーオ、これ酒じゃないか」


 シナンシスの呟きは、彼自身以外の誰の耳にも入らなかった。




◇◇◇




「……悲鳴が聞こえた気がする」


「そうか? 静かなもんだぞ」


 異端聖堂の男と会うと説得して連れてきたバスティが、夜空を振り返ってそんなことを言う。俺はムールギャゼットが出てくるのを警戒して五感強化をしていたから、ディゴールの夜の路地を野良犬が走り去る音まで聞こえていた。人の声はしないから、錯覚だろう。


「魔剣云々はこのさい置いておいて、その……異端聖堂だっけ? を忘れてたのはどうなの」


「言うな。あのあとあまりにも色々起きたせいでそれどころじゃなかったんだ」


 雑談しながらも警戒を切らさず大ハシェント像の足下で待つ。いつ来てもこちらから動けるようにと身構えていると疲れるが、主導権をくれてやるよりマシだ。


 バスティはどうでもいいのか、夜の街にそびえる像の周りをウロチョロしている。大の大人が十人もいないと抱えられないような立派なもので、反対側に行ってしまえばバスティの小さな姿などすっぽり隠れる。足音は聞こえるが集中したいからあまり動き回るな、と言おうとしたところで、


「あれ?」


 そんな声が聞こえてきた。


「ねえねえユーヴィー、こっち来てよ」


「……何だよ。俺、今、忙しいんだけど」


 年相応の中身じゃないから、身構えているのが分からないわけでもあるまいに。気の抜ける……。


 態度で“それどころじゃないんだぞ”とアピールしながらバスティの呼ばわる方へと行ってみると、彼女は神像を見上げて指差している。


「ユーヴィー、アレ。何かあるのは像の飾りじゃないよね?」


 言われてみれば、確かに像の飾りとは別にひっかかっているように見える。あれは……巻物か……?


 何をするにも神像というのは厄介なもので、ゴミ拾いをしようとしても見咎められれば盗もうとしていたと言われるとか、そういう話は枚挙に暇がない。待ち合わせスポットにするくらいに留めて、なるたけ触れない・関わらない方が安全に過ごせるものである。


 とはいえ見過ごせず、俺は周囲に人目がないのを確認してした。跳躍の最高地点を合わせて、引っかかっているものを取り上げて戻るくらいのことは、今までの《信業》を使ってきた経験で意識せずとも出来る。


 地上に降りて確かめればやはり巻物───それも《魔導書スクロール》だ。魔術を封緘した《遺物》、開けば中の魔術が動作する代物。どれほど安価なものでも一般人には手の届かないような高級品であり、まかり間違ってもゴミか何かのように神像に引っかかっているものではない。


 つまり、意図してあそこに置かれたもの。


「ここ、ここ。何かついてる」


 バスティが覗き込んで指摘したのは、《魔導書》にくっつていた付箋だった。そこには真面目そうな文字で、こうあった。


 ───親愛なるユヴォーシュ様へ。どうか何方どなたもいない場所でご覧ください。貴方の友ムールギャゼットより。

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