043話 都市擾乱その7

 破片がロジェスの頬を裂く。彼が受けた傷はあれだけか。


 俺は胸に熱い痛みを感じる。《光背》とロングソードの犠牲を以てしても、彼の一刀を防ぎきれなかった。浅く斬られた。


 負けた───これ以上ないほど明白に負けた。


「クソッ……!」


「…………」


 ロジェスは健在、俺は持てるカードをすべて切ってしまってオケラ。彼がもう一度構えて、踏み込んで、斬りつければそこで俺の命は潰える。ここまでか───俺が何を言い遺すか、言い遺す時間くらいはくれているのだろうかと考えていると、


「───勿体ないな」


 彼は刃を収めた。戦意がすぼんでいくのが感じられる。


 膝をつく俺を見下ろす。今からでも彼が思い直して剣を抜けば俺の首が飛ぶので、俺は歯噛みしながらも微動だにできないでいる。


「これが《信業遣い》、神の恩寵。よく思い知ったことだろう、ユヴォーシュ。そしてディゴールの民よ」


 途中から声を張って、俺とロジェスの斬り合いを固唾をのんで見守っていた周囲の人間に届くようにする。バスタードソードを掲げる。


「畏れよ! そして安堵するがいい。信庁私たちの力が神のためにあることを。神は汝らを愛している。神に愛される汝らであれ!」


 それは、信庁のよく使うフレーズだ。神々の代行として《人界》を治める彼らの権威をアピールする文言は、俺も子供のころから何度も聞いて生きてきた。神を信じられないのは生まれつきだが、それでも昔の俺はそれを聞いて何かを思うことはかったのに。


 どうして、今はこんなにも反感ばかり覚えるのだろう。


 ───悔しい。


 《信業遣い》になって初めて、真正面から負けたことが悔しい。


 信庁から遠いこの探窟都市ディゴールで、信庁の威光をアピールするための当て馬にされたことが悔しい。


 そして、そこまでされても、命を見逃されたことに安心している自分が一番、悔しい。


「後悔させてやる───ここで決着をつけなかったことを」


「それは楽しみだ。せいぜい強くなれ、ユヴォーシュ」




◇◇◇




「なるほど。それでユヴォーシュはロジェスに負けた……と。オヌシとしてはどうだ? 引き入れようとした男が負けたことについて」


「いいえ、いいえ。これは評価に値する事実でございます」


 言葉で言っているほどには、彼もユヴォーシュの価値が落ちたとは思っていない。だが、そう言ってしまえば目前の男の言葉を引き出せないから敢えて辛口の評価を下した。


 予想通り、ムールギャゼットは早口で、


「《割断》のロジェスと言えば神聖騎士筆頭ディレヒトの懐刀、恐るべき《信業遣い》です。彼と相対して生き永らえているというのは驚くべきことです───何せロジェスは、《魔界》と《龍界》に踏み込み、そして帰ってきた数少ない神聖騎士。生粋の戦闘担当なのですから、それに匹敵する無所属の《信業遣い》とくれば、手を結ぶ価値は十分にあるかと」


 やはり。


 ロジェスが強靭な戦士であることは聞き及んでいたが、《龍界》踏破経験があるというのは彼にとって初耳の事実だった。やはり語るのではなく、語らせるのに限る。彼───ディゴール三巨頭の一人、商会の総元締めたる《銭》のゴロシェザは微笑んだ。


「算段はついておるのか?」


「今回の、ロジェスとの激突が最後の後押しとなるでしょう。彼とて単独で信庁とコトを構えるのは堪えるはず」


「そうであることを祈っておるよ」


 嘘ではない。彼は積極的に悪意のある嘘をつくことはない。


 ゴロシェザという老獪な男は、《銭》の二つ名をつけられながらも、心底からの拝金主義者ではない。金銭はあくまでもツールにすぎず、彼の本質は味方をつくる手練手管にある。


 誰かと事を構えるのではなく、懐柔と融和によって双方に最大限の利益を。八方美人の極みのような目的は、金銭という最も変換しやすい力を起点として成し遂げられる。


 ゴロシェザが異端者ムールギャゼットと接触を持ったのも、彼らには彼らのがあるから。信庁と孤独な対立を続ける彼ら異端聖堂にしか提供できないもの───例えば、信庁も明かしたがらない裏事情。ロジェスが《龍界》に踏み込んだ事実など、彼らでもなければ知りようはない───を受け取り、対価として彼らに援助をする。


 つまるところゴロシェザとは、資本主義の権化のような男であった。

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