036話 都市騒乱その10

「立って、走り給えよ。ボクにはキミたちを抱えて逃げられるほどの力はないよ!」


「あっ、う、はい!」


 立ち上がる二人を庇うように、バスティはその前に立つ。仮面の彼女は闇を見通しているかの如く、腕を盾にして───闇より飛び出した何かに打ち据えられて軽々と吹き飛ぶ。


「バスティさんッ!」


「気にしないの、これくらい。───全く傑作だ、あの魔術師め!」


 ちょっと転んだように立ち上がる彼女には傷一つない。いいや、実際には纏う服は今の一撃で裂けてしまっている。だがその下、彼女の肌が無傷なのだ。魔術師カストラスの義体、生半の刃物など通りはしない。そして彼女の瞳もまた特製。人の虹彩に光を捉え得ぬ暗黒であっても、を見通すのだ。


「ボクじゃ止められないな───ならやはり、最寄りは彼女か」


 彼女が起き上がらないのを見て、カリエが躊躇する。とんでもない速度で吹き飛ばされて転がったのだから、助けないと、と。だがそんな彼女の様子を見越して、バスティが、


「助けをからキミたちは逃げろ! ボクは大丈夫だから!」


 この発言には意図的な語弊があって、彼女がさも予め救援を呼んでいるから大丈夫、と言っているようであるがそうではない。彼女は救援を呼んでいるのだ。そして実は、救援が来ることとバスティが大丈夫なことは等号イコールで結ばれない。バスティは素で問題なく、故に自分を囮にして少女たちの逃げる時間を稼ぐという荒っぽい手段に訴えている。ここに彼女の発言の意図があって、自分は魔術的義体だから大丈夫だなどと一々説明するのを避けたのだ。


「こっち、カリエ姉!」


 果たしてレッサは騙され、少女は手と手を取り合って路地を駆けていく。


 獲物が逃げたのを見逃さない魔獣───バスティの《森妖エルフ》並みの暗視はその全貌を認めている───の前に立ち塞がる。思考の大部分を救援信号に割り振っている彼女は、魔獣の爪にほとんど無抵抗でひっかかれてしまう。


 いつまでもこのままでは、さすがにいつか壊れそうだ、間に合うかと不安になったところで夜風を切り裂きグレートソードが飛来した。


 魔獣は機敏にそれを避けるが、バスティと魔獣の間に立ち塞がった人影が、路地に突き立っていたグレートソードを引き抜く。構えた黒い彼女が叫ぶ───


「無事か、少女よ! 我が来たからにはもう大丈、夫……あっ! き、君はユヴォーシュ・ウクルメンシルと共にいた……!」


 傾奇の大剣士、ジグレード・バッデンヴァイトは、どうにも締まらない性質タチらしかった。




◇◇◇




 俺が到着したころには、既に現場は大騒ぎになっていた。


 都市警邏が現場を封鎖し、その外側に野次馬が幾重にも人垣をこしらえている。人の輪の中心は《奇蹟》による照明で煌々と照らされていて真昼のようだ。路地裏であることを鑑みれば、太陽が一番高いときでもああも明るくなることはないだろうに。


 布で人目を遮った現場でまず目につくのはジグレード。警邏複数人に囲まれてどうやら事情聴取されているようだが、そこは独特なコミュニケーション能力を持つ彼女、話が二転三転して要領を得ないらしく担当警邏が悪戦苦闘しているのが遠目にも分かる。


 その傍らでは、怯えた様子のレッサとカリエ。こちらも事情聴取は芳しくないのだろう、女性警邏(珍しい。たぶん聖都では見たことがない)が二人に温かい飲み物を渡して落ち着かせようとしている。


 バスティは少しだけ離れたところで、なぜか毛布にくるまっている。いつか冬の川に落ちた征討軍の同僚が似たような有様だったが、バスティは決して歯の根が合わないということもなく、俺を見ると気恥ずかしそうにはにかみながら、小さく手を振ってきた。


「無事だったか」


「ん、まあね。その場凌ぎだけどなんとかはなったよ」


 聞けば、二人を魔獣が襲っていたらしい。そこにバスティが割って入って時間を稼ぎ、ジグレードの救援で魔獣は逃げたという経緯。レッサもカリエも、命の危機に怯えているが怪我はしていない。ひとまずは無事と言っていいだろう。


「助かった。任せて良かったよ」


「そうかい。役に立てて何よりだ。───それでだね」


 バスティは彼女らしくもなく照れて口ごもる。待てよ? そういえばここに来た時も、妙に恥ずかしげだ。どうしてと考えると、やはり謎の毛布が関係しているとしか思えない。


「なあバスティ、」


「ああ───うん。やっぱり気づくよね。それじゃあ悪いんだけど、替えの服を持ってきてくれないかな」


 いやはや酷い目に遭った。そうボヤきながら毛布を肩まではだけると、彼女の服はまあ見るも無残に破けてボロ布の惨状だ。俺は、バスティにも恥ずかしがる情緒なんてあったのか───と、ぼんやりそう思っていた。


 結局俺は、何もしていない一日だった。

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