032話 都市騒乱その6
その一言で、あっけなく
「……今、何かしたか?」
その言葉にオーデュロは少しだけ、ほんの極僅かだけ驚いたようだった。何のことだか分からない、と主張するように小首を傾げ微笑んでいる。
───確かに美人だが、蠱惑的だが、先刻までのような感覚は惹起されない。惑わされない。
この女は曲者だ。最初に総督の妻と名乗って近寄ってきたのはもちろん嘘ではないのだろうが、果たしてどこまでが実情に即しているのやら。オーデュロがこのディゴール政庁を統べていると考えても、あながち外れていないのかもしれない。
嫋やかな女の面を被った魔の如し。オーデュロと俺の間に、小さな人影が割り込む。
「悪いね、オーデュロ。ユーヴィーはボクのなんだ」
「何がだ、馬鹿。とはいえ先制は譲っちまったんだから言わせてもらうが───」
すう、と息を吸い込む。これで多少は俺の内側で付いてしまった熱が収まればよかったが、
ダメだった。
「───俺は君たちに利用されるつもりはない。敵対するつもりもないが、俺をうまく使おうなんて考えるな。この
「それは、マア」
返答しようと口を開いたのにかぶせて、パリパリと《顕雷》が俺の周りを纏わりつく。ほんの僅か、静電気の放電と勘違いされてもおかしくないがそうはなるまいと予測する。案の定、オーデュロは悲鳴こそ上げないもののぎくりと身体を硬直させた。《
彼女が、反射的に強ばった表情を何とかほぐして再び口を開こうとしたその時、俺たちの会話の輪の外側から投げつけられる声があった。
「やれやれ。随分と奔放なことだ、ユヴォーシュ・ウクルメンシル」
会話の輪というものは、一種の結界である。
魔術的障壁としてのそれではなく、意識的に近寄りがたい、踏み込みにくいという心理的効果による壁。
男の声は、それを一言で切り裂いた。
「───ロジェス様」
安堵の溜息とともに呼ばわるオーデュロの存在と、彼女の方法不明な誘惑を、俺は覚えていても今は警戒できない。それどころではない。
一歩一歩近づいてくる男から視線が外せない。
そこにいたのは、あの日───俺が異端認定を喰らって《枯界》に追放されたとき、俺を拘束していた───信庁の《信業遣い》の片割れだ。ディゴールに来た日にも遠目に目撃していたが、それとは状況が違う。あのときは遠く、俺が一方的に認識していた。今の彼は俺のことを認識している。
《顕雷》を目の当たりにしたオーデュロが恐怖に竦む身体を誤魔化せなかったように、俺もまた
「久しぶりだな。ここで何をしている」
「あんたこそ……。どうしてここに? 《冥窟》でも潜りに来たか」
「指令だ。筆頭の」
ディレヒト・グラフベル。あの男が率いる神聖騎士は、その構成員すべてを《信業遣い》で固めた《人界》最強の軍事力だ。ただの人間のみで構成された征討軍と両翼で信庁の統治の象徴とされているが、実態は征討軍すら動かせる権力構造の頂点に他ならない。逆にその権威が大きすぎるからこそ、《人界》のいざこざ程度で神聖騎士を派遣するなど初耳だ。
探窟都市ディゴールに何があるかと問われれば第一に《冥窟》だ。そこに派遣された神聖騎士が何をするかと考えると、その武威で以て《冥窟》を踏破させる以外に思いつかないがだとするとそれはそれで違和感がある。遅すぎるのだ。
俺に探窟家のセオリーは分からないが、《信業遣い》ならば内部が詳らかになっている《冥窟》を踏破することは可能だろう。俺と
何故ここに居る?
疑心暗鬼に陥って言葉に詰まる俺の代わりに再びの口火を切るのは、いつもバスティだ。
「まあまあ、いきなり核心もないだろう。オーデュロ、紹介してくれないかい?」
「これは失礼を、バスティ様。どうやらお互いご存じのようですが、改めまして。ロジェス様、こちらは旅の方でユヴォーシュ・ウクルメンシル様とバスティ様でいらっしゃいます。お二方、こちらは信庁本殿からいらしたロジェス・ナルミエ様です」
一触即発の空気を崩され、ぎくしゃくとしながら握手をする。《顕雷》が見られることもなく、冷や汗の流れる挨拶が通り過ぎていく。
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