010話 勇者始動その3

「いやいや、残念だねえ」


「何の話だ」


 旅馬車に揺られて、遠ざかってゆく聖都を茫洋と眺めながらバスティと会話する。車内は一人きり、神体と会話を交わしても訝しむ人はいないのが好都合だ。


 旅支度はかなり早く済んだ。もともと軍人の俺は、遠征で聖都から離れた地に赴くことも少なくなかったから、必要なものは揃っている方だ。それにいざというときに《信業》があると考えれば、安心感は遥かに違う。


 むしろ、今こうして話している相手───バスティの神体が一番の面倒事と言える。金属塊の重量だけ見ても一苦労だが、問題はそこではない。どう見ても貴重品である神体を、まかり間違って盗まれたり、落としたり、破損させたりするわけにはいかないのだ。俺とバスティの神体がどれくらい離れると《信業》が使えなくなるのか、バスティの神体がどれくらいの力でどの程度破損すると機能を喪失してしまうのか。そういったことは確かめられていないし、後者については確かめることは不可能と言っていい。


 バスティは今の俺の、まさしく生命線だ。


 《信業遣い》でいられる───ディレヒトが警戒し、迂闊に手出しできない存在でいられるだけではない。“テグメリアの花冠”亭での会談、あれもバスティの仕込みだ。堂々と振舞い、俺に手を出せば信庁もただでは済まないと印象付けさせ、身の安全を確保する。一兵士だった俺にそんな交渉術があるはずもない。《枯界》で《信業》を鍛えている間に、バスティに相談していなければ信庁との関係は到底成立しなかったと断言できる。


 頼りにはなる。それは間違いない。けれど───


「アレヤ・フィーパシェック。どうして確かめなかったんだい? 彼女が信庁に密告したのかどうかを、さ」


「またその話か。あの人がそんなことするはずないだろう」


「やれやれ、強情だね。どうして人族ヒトはそんなに信じられるのに、神のことは信じられないかねぇ」


「放っておけ」


 これでも悩んでいるんだ。


 ───この通りバスティは、頼りにはなるが性格が悪い。ディレヒトを脅した時の手口といい、アレヤ部隊長への疑念といい、キレる頭脳をそういう方向にばかり向けようとする。やはり災いを齎す神なのでは……という疑念と、この程度なら性格の悪い人間の範疇に収まるだろう……という擁護が入り混じって、評価を出すのが難しい。


 ……まあ、今の時点では俺でも制御できているし。どのような存在なのか、答えを出すのに急ぐこともないか。


 そんなふうに考えながら馬車に揺られていると、少しずつ瞼が重くなってくる。


 ふと、バスティが俺に声をかけてくる。


「───魔物の気配だ、ユーヴィー」


 俺は征討軍時代の染みついた習慣で、ロングソードに手を伸ばすと一息に抜き放つ。




◇◇◇




 ───ええ、はい。


 確かにあの方に救われました。


 ユヴォーシュ・ウクルメンシルさま。


 私どものキャラバンに、当日になって「乗せてくれ」といらしたときは……正直、怪しんでおりました。夜逃げというには昼出発でしたが、そういう類の輩ではないか、と。


 乗客はあの方だけでしたので、貸し切りになる馬車を出すのは勿体ないと思っておりましたが、全く自分の愚かしさに呆れかえるばかりでございます。あの方が乗り合わせていらっしゃらなかったら、私どもは今ごろ《蛮魔オーガ》の胃袋の中か、野ざらしか、そのいずれかであったことでしょう。


 まさか聖都の近郊で、あれほどの群れが現れるなど。私どもも護衛に傭兵は幾人か雇っておりますが、征討軍の正規部隊でもなければ、とてもとても。


 それを、あの方は単身で。


 ええ、はい。その通りでございます、《信業》。


 あの方が抜き放たれたロングソードが陽の光でなしに輝き、《蛮魔》の鉈と真っ向かち合ったかと思いますや、武器ごと両断なさって。当初は私め、《遺物》ではないかと思いました。


 ですがそうではないとすぐに悟りました。


 《蛮魔》たちが殺到するなか、ユヴォーシュ様は焦るでもなく悠然と、自然体で佇まれて。


 あわや八つ裂き、と思った瞬間のことです。


 ───《光背ハイロウ》。


 あれはそう称すべき輝きでございました。《顕雷》走りて後、ユヴォーシュ様の背が輝き出しまして。


 《蛮魔》たちの刃は、それに阻まれたように───それとも、畏れてでございましょうか。ぴたり止まってしまいまして。


 そうなってしまえばもうユヴォーシュ様の敵ではございませんでしょう。あとは見事なものでした。剣舞の如く鮮やかに、すぱすぱと。


 世に英雄豪傑は多々いますれども、私めにとっては、あの方。


 《光背》のユヴォーシュ様こそ、救い主に他なりません。

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